どんな活動をしているのか、といえば、いうまでもなくペット動物への虐待を始め、ペット販売店での不適切な動物飼育、不正に輸入された動物や希少動物の保護、さらには闘犬や闘鶏といった動物を使った違法な楽しみや賭博、あるいは、これは実際にあった話だそうだが、ニューヨークのセントラルパークを出発点に、五番街やブロードウェイ街を走る観光用の荷馬車を引っ張る馬の不審死など、そんなところまで踏み入って捜査し、違法があれば関係者を取り調べ、逮捕する権限まで持っている。そして保護された動物は、場合によっては治療を受けたりしながら、新たな飼い主が現れるのを待つ、というのである。
イラク戦争を持ち出すまでもなく、アメリカという国は自分だけが正しくて、そういう前提に立った政策を押しつけてくる。こういった一国主義的なお節介は気に入らないのだが、純粋な環境とか動物保護といった面ではまあまあいいセンをいっているな、などと思いながら、朝、新聞をめくっていたら、次のような記事が目に入った。
《以下引用》
「3日午後0時10分ごろ、岐阜県坂祝町のペット販売店で悪臭がする、と近くの住民から加茂署に通報があった。署員や同県中濃地域保健所の獣医師らが店内を調べたところ、展示オリの中で14匹の犬が死んでいるのが確認された。死んでいたのはヨークシャー・テリアやウェルシュ・コーギーなどいずれも小型の洋犬。えさは店の経営者が与えていたといい、外傷は見られず自然死か病死らしいという」(12月4日『朝日新聞』)《引用ここまで》
日本でももちろん〈動物愛護法〉という法律はある。岐阜県のこのケースに、〈動物愛護法〉違反が適用されるかどうかはこれからの加茂署の捜査次第だが、アメリカの「アニマル・ポリス」だったら、ペット販売店の経営者がどういう飼育をしていたのかなどを徹底的に、かつ事細かく調べるに違いない、と思った。そして少しでも違法行為があれば、逮捕し立件するはずである。そうでなければ「アニマル・ポリス」を組織した意味がない。そこが、ひょっとしたら日本の警察捜査と違うところなのかも知れない。
さて、問題は日本である。今日の岐阜のニュースを持ち出すまでもなく、いまやペット問題はどこの自治体でも頭の痛い問題になっている。例えば佐久市では、市の公式ホームページ上にペットを飼う皆様へ、というお願いが書かれている。
《以下引用》
「・・・飼い主の方の中には、ペットを飼うのは自由であり、自分の好きなように飼えばよいと考えている方もいます。しかし、ペットを飼うには社会のルールに従う必要があり、法令上の取り決めだけでなく人間社会の常識として守らなければならないことも多くあります」《引用ここまで》
市はペットを飼う場合のルールとして、犬は登録して、毎年狂犬病の予防注射を受けること。犬の散歩時には必ず引き綱をつけること。フンは必ず持ち帰ること。捨て犬、捨て猫は絶対にやめること、などをあげている。その通りである、と思う。その上で飼い主の責任についてこう書く。
《以下引用》
「ペットの飼い主の方は、ペットを飼うことによって生じる責任をしっかり認識する必要があります。ペットを飼うことの責任とは、いったん飼ったら終生面倒を見る、そのペットの全ての責任を負うといった覚悟が求められます。ペットの飼い主の方は、命ある動物の所有者としての責任を十分に自覚して、適正な飼養管理を行ってください」《引用ここまで》
確かにペットを飼う場合の自己責任は厳しく問われなければならない。それはペットとの関係ばかりか社会との関係においても、である。だが問題は、自己責任を放棄した人々、その中にはペットを残して孤独死をした老人もいるだろうし、意図的に放置した者たちもいるだろうと思う。しかしいずれにしても、どのような理由であれ、放置され遺棄されたペットや動物に関して、行政がどうような視点と政策を持っているのか、というきちんとした姿勢がなければ、このHP上の記述は単なる通知であり、ペットを飼う人の自己責任だけを問うだけで、余り説得力がない、といわざるを得ない。
「全国自治体における犬猫の殺処分数」という一昨年(2003年度)の統計がある。捨てられた犬や猫などを、行政が主体となって「処分」した件数を都道府県別にまとめたものだ。それによると、長野県では犬・猫が「処分」された件数は5,961件。全国では439,837件というから、県内の殺処分率は全体の1%強ということになる。このうち佐久市がどのくらいを占めるかは数字がないので分からないが、問題のありかは「処分」された数字にあるのではなく、捨てられた犬や猫をどう生かすべく行政は努力をしたか、ということでなければならないのではないか。これからはこういう発想こそが求められる時代である。
めったやたらと「自己責任」を問えばいいということではない。こういう発想は「お上」の考え方そのものである。そうではなくて、「自己責任」を問うためにも、「アニマル・ポリス」ではないが、行政が市民の先頭に立って、姿の見える動物保護のありようについて先鞭をつければいいのである。
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