社会の正体を十分に知るまでの経験のない子供たちにとって、立て続けに起きたこのような凶悪事件は、プレッシャーだけを背負わせることになるのかも知れない。
今度の事件を機に子供たちは「見知らぬ人に声をかけられても無視するのよ」「怪しい人について行っちゃダメ」と親を始め、学校の先生らからいわれたことだろう。だが広島のケースでは、子供たちは容疑者を知っていた、という。必ずしも「見知らぬ人」ではないのだ。
また「怪しい人」といっても、何を根拠として「怪しい人」と定義づけるかは、難しい。それに第一、子供たち自身「怪しい人」とはどういう人のことだと思っているのか、当の大人は知らないのではないか。日々怖い経験するのは子供たちなのだ、と一歩引いて、ここはまず、子供たちの声に真剣に耳を傾けて、子供たちの目線で見た意見というものを聞くことが必要だ、と思う。このことが子供たちへの無用のプレッシャーを取り払うことにもなる。
わが子との会話を深めること以外に、家庭でできることとはなんだろうか。親の送り迎え。携帯電話や防犯ベルを所持させる。そんなところか。意外に少ないことに驚かされる。
では学校はどうか。集団による登下校。行政が絡む話ではあるが、スクールバスの運行。携帯電話などの普及を利用して、下校などの情報を親に送るなど、家庭と密に連絡を取る。
次に日々地域でできること。老人クラブなどの協力を得て、下校時の子供たちにつきそう。朝夕の散歩を子供たちの下校時に合わせて行う。
ここ10年、登下校中の子供たちが狙われ、殺害された事件を見ると、当たり前のことながら人々の盲点になっている場所が多い。だからというわけではないが、ここはやはり行政がもっと積極的に出る番ではないか。犯罪者が目をつけそうな場所や人々の目線から死角になっているような場所、こういった場所を把握し、ハザードマップとして子供たちや親、それに地域の人々に周知徹底させ、それにあった対策を立てるなど、地域の安全を監視する責任をもっと行政が積極的に負うべきだ、と思う。また共稼ぎ家族の増加、といった現状に合わせて、親たちが帰宅するまで子供たちが安心していられるような場所、例えば学童保育を充実させたり、佐久市でいえば児童館の運営をもっと柔軟に考えるべきではないか。
そして、問題はこのような事件を起こした殺人犯たちのことである。広島の女児を殺害した日系ペルー人容疑者は、接見した弁護士に次のような話をした、という。
《以下引用》
「いつもは冷静なのに気が違ったようになった。殺す気はなかった。女の子に声をかけたときには悪いことをする気はなかった。自分の中に悪魔が入ってきてやったこと。女の子に謝りたい。ご両親にも謝りたい。日本の皆様にも謝りたい。否認したのも、悪魔がやったこと。悪魔が入ったのは初めての経験。昨晩、女の子のために祈り続けてようやく悪魔が逃げていった」(12月2日『朝日新聞』)《引用ここまで》
捜査当局の調べが進むなかで、容疑者はペルーでも同種の事件を起こしていたこと、氏名などを偽り、偽った名前でパスポートを取得して来日したことなどを考えると、「悪魔」のせいにして逃げようという魂胆だったのかも知れない。だがこのような事件を二度と起こさないためにも、容疑者に取り憑いたという「悪魔」の正体は是非暴いて欲しいと思う。そして、いうまでもなく栃木の事件における犯人の早期逮捕である。
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