ある小学校6年生のクラスでのこと。〈先生〉が「今一番悩んでいることってなに?」と聞く。とりあえずは当たり障り無い答えがでる。塾とか親がうるさいとか、といったことだ。友だち同士のこと、中でも、いじめという答えはない。
何故ないのか? そんなこといったら、またいじめられるから、親に心配をかけたくない・・・。こんな声がこっそりと聞こえてくる。
〈先生〉は質問の仕方を変えてみる。「もしいじめられたら、どうしたらいい」。するとこんな答えが返ってくる。「笑いをとればいい」。おどけて見せて取り繕う、というのだ。何とももの悲しい。
〈先生〉は提案する。本当に悩んでいることを、みんなの前で発表してみようよ。子供たちは、そうは簡単に自分の心を開かない。しかし、ひとりの子は、最近クラスの仲間に無視されるようになった、何故だろう、自分にも非があるかも知れない、それは直したい、しかし何故無視するようになったのか、知りたい、と発表した。
声を出して発表したことで、名指しされた子は驚きビビッタかも知れない。そして根に持つかも知れない。いじめがもっと陰湿になるかも知れない。しかしそこで〈先生〉がどう指導するか、が問われる。
あとで聞くと、発表をしたことで、その後のふたりは何事もなかったように遊んだり喋ったりしている、という。この変化はなんだろうと思う。あのとき〈先生〉は、無視したと名指しされた子に「本当なの? で、これからどうする? 」と聞いた。彼はちょっと考える。そして答えた。「もっと話をするようにする」。
小学校6年生の子供たちの頭の中は、そんな複雑になっているわけではない。〈先生〉のひと言がいじめを解決することもある。そのひと言が適切かどうか、が大事なのだ、と思う。
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