今日、ユーロ/円を買った。FXonlineで。今までに5万最初に入れて、マージンコール。次に2万入れて。思惑はずれて、ユーロ安。夕方まで懸念が続く。近くのスーパーで韓国産発泡酒350mL6缶・598円。一番安いやつ。でも他の発泡酒よりおいしく感じる。朝7時に鞘抜き数百円のつもりで買って、600円の儲けをつけたけれど、売ろうとしたその時にソフトが一時フリーズしてしまい売れず。結局ジワジワと値を下げる。
スーパーから自転車で帰ってきた。今日もただその日を部屋で過ごすした。唯一の外出。戻ってくると、瀕死の重傷。もう少しでマージンコール。後数百円。今後1銭下がると相場から強制退去のマージンコールに来た。あ、戻した。そんな繰り返しを20分ばかりジッと見ている。臨終の患者を看取るようだ。まるで親族がそうするように。頭の中で賛美歌が流れる。5月中旬近く、外は静か。藤原新也の世界を思い描く。
しばらくすると、ついに後1銭下がった。維持(意地)証拠金を超えてしまいマイナスになった。最後は劇的ではなく、あっけなくと思った通り。でもすぐに1銭上がる。なぜか辛うじて生き残ったらしい。臨終体験だろうか。
その臨終体験を2回繰り返したと思う。しばらくすると後数百円の維持証拠金枠から急に千円台へと上がりだした。それに呼応するかのように余剰金額は上がりだした。チャート上では幾分かの上下を繰り返しながら。今は余剰金額3300円。でも明らかに今朝からは5000円のマイナスだ。スーパーでの買い物はビニール袋を要らないと言い、5円を浮かす私からすると大金だ。もうこの1ヶ月やればやるほど損してばかりだからやめればいい。これが一般論だろう。でも止められない。そこには生命を感じる。今日は強烈に死を感じた。幸田真声作の小説『日本国債』の下巻の最後で主人公が生命を感じた場面がある。今は小説も読めない酷い精神状態の私だし、それに比較するのもどうかと思うが、何となく分かるような気がする。
夕方からはこの頃は飲まずにはやってられない。これも酔って書いた。相場が生き物だとすると、今の私の環境では現実の世界はあまりにも空虚に感じる。競馬と相場を一緒にするのはどうかとも思うが、この時に感じる躍動感を求めてある人は病みつきになるのだろう。他のギャンブルもそうだが。でも私見ですが、ドツボに嵌った状況での音楽は、相場にはバロック音楽が、ギャンブルには演歌が似合うような気がする。やっているのが為替相場だからかも知れませんが。24時間相場が開いているのは、まるで脈を打つようだ。今の一般現実世界より遥かに生き生きと感じてしまう。
さあ、ロンドン時間では辛うじて生き残ったようだが、次のニューヨーク時間ではどうなることか?
こういうとなんだか現実逃避は、テレビゲームにはまる小学生と変わらないような気もする。要は理由付けの面もあり。ただ命を懸けてしまうことがある。冷静に考えられる環境なら、全く理不尽。
(土曜日 午前5時 結局、生命を噴き帰したかのようにNY時間で上がり、2100円プラスで手仕舞いしました。)
スーパーから自転車で帰ってきた。今日もただその日を部屋で過ごすした。唯一の外出。戻ってくると、瀕死の重傷。もう少しでマージンコール。後数百円。今後1銭下がると相場から強制退去のマージンコールに来た。あ、戻した。そんな繰り返しを20分ばかりジッと見ている。臨終の患者を看取るようだ。まるで親族がそうするように。頭の中で賛美歌が流れる。5月中旬近く、外は静か。藤原新也の世界を思い描く。
しばらくすると、ついに後1銭下がった。維持(意地)証拠金を超えてしまいマイナスになった。最後は劇的ではなく、あっけなくと思った通り。でもすぐに1銭上がる。なぜか辛うじて生き残ったらしい。臨終体験だろうか。
その臨終体験を2回繰り返したと思う。しばらくすると後数百円の維持証拠金枠から急に千円台へと上がりだした。それに呼応するかのように余剰金額は上がりだした。チャート上では幾分かの上下を繰り返しながら。今は余剰金額3300円。でも明らかに今朝からは5000円のマイナスだ。スーパーでの買い物はビニール袋を要らないと言い、5円を浮かす私からすると大金だ。もうこの1ヶ月やればやるほど損してばかりだからやめればいい。これが一般論だろう。でも止められない。そこには生命を感じる。今日は強烈に死を感じた。幸田真声作の小説『日本国債』の下巻の最後で主人公が生命を感じた場面がある。今は小説も読めない酷い精神状態の私だし、それに比較するのもどうかと思うが、何となく分かるような気がする。
夕方からはこの頃は飲まずにはやってられない。これも酔って書いた。相場が生き物だとすると、今の私の環境では現実の世界はあまりにも空虚に感じる。競馬と相場を一緒にするのはどうかとも思うが、この時に感じる躍動感を求めてある人は病みつきになるのだろう。他のギャンブルもそうだが。でも私見ですが、ドツボに嵌った状況での音楽は、相場にはバロック音楽が、ギャンブルには演歌が似合うような気がする。やっているのが為替相場だからかも知れませんが。24時間相場が開いているのは、まるで脈を打つようだ。今の一般現実世界より遥かに生き生きと感じてしまう。
さあ、ロンドン時間では辛うじて生き残ったようだが、次のニューヨーク時間ではどうなることか?
こういうとなんだか現実逃避は、テレビゲームにはまる小学生と変わらないような気もする。要は理由付けの面もあり。ただ命を懸けてしまうことがある。冷静に考えられる環境なら、全く理不尽。
(土曜日 午前5時 結局、生命を噴き帰したかのようにNY時間で上がり、2100円プラスで手仕舞いしました。)