センター入試監督。疲れました・・・。
明治生まれの祖父はもう20年もまえに鬼籍に入ったが、横浜生まれの横浜育ち、戦前の都市中産階級の価値観を絵に描いたような人であった。
貧富の差の大きい時代である。中産階級、すなわち女中を何人も置くような暮らしではないけれども、たまの休みには円タクに乗って家族で食事や映画に出かけるような暮らしぶりは、戦前日本ではマジョリティではなかったはずである。
その祖父いわく、鮭は貧乏人が食うものだから嫌いだ。
祖父が小さい頃、貧しい家の子が鮭を弁当のおかずに持ってきていたのだという。そもそも、もっと貧しい家の子はお弁当ももってくることができなかったのではないかと思うが、祖父は貧乏くさいことは嫌いであった。
いわく、鮪は赤身を食べるものでトロなんか食う奴の気が知れない。
戦前までは鮪は赤身が好まれ、トロが好まれるようになったのは戦後であることが知られているが、そもそも祖父は寿司というのは立ち食いの店でズケに突っ込んで食べるものという子どもの頃の記憶が強く、寿司屋に行くということを晩年まで嫌がった。
いわく、洋食は不二家。
今なにかと話題になっている不二家は、横浜が創業の地である。
祖父はたまに伊勢佐木町の不二家に連れて行ってくれた。もとよりその頃には伊勢佐木町の不二家はペコちゃんが入り口で出迎えるファミリーレストランに毛が生えたような店になっており、私は本当は横浜高島屋の特別食堂(これはすでにない)に連れて行って欲しかったのだが、不二家でも嬉しかったのを思い出す。
明治生まれの祖父はもう20年もまえに鬼籍に入ったが、横浜生まれの横浜育ち、戦前の都市中産階級の価値観を絵に描いたような人であった。
貧富の差の大きい時代である。中産階級、すなわち女中を何人も置くような暮らしではないけれども、たまの休みには円タクに乗って家族で食事や映画に出かけるような暮らしぶりは、戦前日本ではマジョリティではなかったはずである。
その祖父いわく、鮭は貧乏人が食うものだから嫌いだ。
祖父が小さい頃、貧しい家の子が鮭を弁当のおかずに持ってきていたのだという。そもそも、もっと貧しい家の子はお弁当ももってくることができなかったのではないかと思うが、祖父は貧乏くさいことは嫌いであった。
いわく、鮪は赤身を食べるものでトロなんか食う奴の気が知れない。
戦前までは鮪は赤身が好まれ、トロが好まれるようになったのは戦後であることが知られているが、そもそも祖父は寿司というのは立ち食いの店でズケに突っ込んで食べるものという子どもの頃の記憶が強く、寿司屋に行くということを晩年まで嫌がった。
いわく、洋食は不二家。
今なにかと話題になっている不二家は、横浜が創業の地である。
祖父はたまに伊勢佐木町の不二家に連れて行ってくれた。もとよりその頃には伊勢佐木町の不二家はペコちゃんが入り口で出迎えるファミリーレストランに毛が生えたような店になっており、私は本当は横浜高島屋の特別食堂(これはすでにない)に連れて行って欲しかったのだが、不二家でも嬉しかったのを思い出す。