韓国の漢陽大学校から短期日本語研修に来ている学生を引率して、8月4日に福津市に行ってきた。
はじめに福津市役所を訪問し、小山達生市長を表敬訪問。その後、市長から福津市の概要について説明していただき、学生からの質問に答えていただく。
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市役所を退出し、宮地嶽神社へ。
宮地嶽神社は、注連縄、鈴、太鼓という3つの「日本一」があることで有名だが、本殿の裏手の宮地嶽古墳にはまだ行ったことがなかった。大型円墳で、横穴式石室がある。この石室は盗掘されていなかったため、石室の中からは馬具や太刀などの貴重な副葬品が多く出てきた。通常、石室は年に数回例大祭の日に公開されるそうだが、今回は特別に公開していただき、学芸員の資格を持つ権禰宜さんの案内で見学する。
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外は気温35度以上の猛暑だが、中はひんやりとしている。
その後、本殿で副葬品の一つである太刀のレプリカを見学。太刀といっても、長さは2メートルほどあり、何らかの祭祀に用いられたものか、副葬のための装飾的なものであるという。
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権禰宜さんの話では、古墳の規模や副葬品などからみて、この古墳は皇族かそれに準ずる臣下の墓としか考えられないとのことである。
はじめに福津市役所を訪問し、小山達生市長を表敬訪問。その後、市長から福津市の概要について説明していただき、学生からの質問に答えていただく。
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市役所を退出し、宮地嶽神社へ。
宮地嶽神社は、注連縄、鈴、太鼓という3つの「日本一」があることで有名だが、本殿の裏手の宮地嶽古墳にはまだ行ったことがなかった。大型円墳で、横穴式石室がある。この石室は盗掘されていなかったため、石室の中からは馬具や太刀などの貴重な副葬品が多く出てきた。通常、石室は年に数回例大祭の日に公開されるそうだが、今回は特別に公開していただき、学芸員の資格を持つ権禰宜さんの案内で見学する。
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外は気温35度以上の猛暑だが、中はひんやりとしている。
その後、本殿で副葬品の一つである太刀のレプリカを見学。太刀といっても、長さは2メートルほどあり、何らかの祭祀に用いられたものか、副葬のための装飾的なものであるという。
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権禰宜さんの話では、古墳の規模や副葬品などからみて、この古墳は皇族かそれに準ずる臣下の墓としか考えられないとのことである。