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鉄道、登山、動物、植物、グルメ、歴史、名所、読書といった内容で、焦点の定まらない内容となってしまうかも😅

庚申堂、金剛寺、鶴見橋

2022-09-18 18:45:00 | 東海道
市場の一里塚を過ぎると、庚申堂が現れます。ここには、青面金剛像が安置されています。庚申堂も、至る所で見かける事ができます😀



その先にあるのは金剛寺です。横浜市を中心とした東国八十八ヶ所霊場の10番目の札所となっております。門が閉ざされていましたので、お寺には入りませんでした😅


この後、鶴見川を渡ります。鶴見川は、東京都町田市上小山田町を水源として多摩丘陵を流下し、川崎市、横浜市を大きく蛇行しながら、東京湾に注ぐ全長42.5km、流域面積235k平方メートルの一級河川です。

鶴見川に架かる鶴見川橋です。川に柱のない、アーチ形の美しい橋です☺️



横浜市鶴見区のホームページによると、

鶴見橋(現鶴見川橋)は,家康が東海道を整備した慶長年間に架けられた橋である。六郷川の橋は元禄年間の洪水で流失し,明治初年まで渡し船になっていたため,鶴見橋は江戸を出て京都へ向かう旅人が,最初に渡る大きな橋だった。

鶴見橋界わいは,葦の原にツルやミズドリが生息し,河口付近には帆かけ舟が浮かび,富士山も眺めることのできる景勝の地であった。初代広重の絵をはじめ,多くの文人墨客がその美しさを旅日記や歌に残している。


とあります。
なるほど、これは良い眺めですね😆



おしまい😀







横浜熊野神社、市場の一里塚

2022-09-17 15:33:00 | 東海道
八丁畷を後に進んでいきます。市場上町の交差点から横浜市です。八百屋さんがあります😅



やがて、右手に熊野神社が見えます。

今よりおよそ一千二百年前弘仁年間、紀州熊野の別当尊慶上人が、紀州熊野本宮御祭神の御分霊をこの地に勧請したのが始まりとあります。徳川家康公は、江戸入国の折当社に立ち寄り、天下泰平、国家安穏、武運長久を御祈念いたしました。以前は、鶴見川西方にありましたが、明治時代に鉄道と交差するため、この地に移転してきました。




その先に、市場の一里塚があります。ここは、5番目の一里塚となります。川崎市西部、横浜市東部この辺りは橘樹郡と呼ばれていました。






おしまい😀








芭蕉句碑、八丁畷

2022-09-16 21:41:00 | 東海道
川崎宿京口を超えて進みます。やがて、芭蕉句碑が現れます。松尾芭蕉は、当時から有名人だからなのでしょうか。全国、至る所で見かける事ができ、それぞれに由来やエピソードがあったりします。では、句碑を見てみます。



草書体ですか?よくわかりませんが、側に解説があります。



麦の穂を たよりにつかむ 別れかな

弟子たちとの別れを詠んだ句です。
元禄七年(1694年)5月11日、芭蕉は、江戸深川の芭蕉庵をあとに、故郷である伊賀上野に向かいました。芭蕉を見送りに来た弟子たちは、名残を惜しんで、六郷川を渡って川崎宿に入り、この辺りで弟子たちと句を詠み合いました。

その先、京浜急行の踏切を超え、JR南武線の高架をくぐりますと八丁畷駅前です。この辺りの街道は、川崎の京口から西へ八丁(約870メートル)にわたり、畷といって田畑の中を真っ直ぐに伸びて市場村まで続いており、この辺りを八丁畷と呼んだという事です。

この辺りは、江戸時代と思われる多くの人骨が発見されるそうです。当時の様々な自然災害や飢饉、疫病などで命を落とした、身元不明の亡骸を川崎宿の外れのこの地にまとめて埋葬したようです。これらの供養碑が建っています。




おしまい😀




佐藤本陣跡、小土呂橋、教安寺

2022-09-14 22:40:00 | 東海道
JR川崎駅の駅前通りから東海道に入ったところに、佐藤本陣跡があります。上の本陣と呼ばれ、徳川家茂上洛の際に宿所となったところ。格式の高い本陣だったと想像できます。今はコンビニがたってます😅



その先の小土呂橋を渡ります。親柱がありますが、川らしきものはありません。以前、新川堀に架かる橋であったようで、昔の写真もあります。





その先、教安寺です。

創建

天文22年 1553

山号

乗山

宗派

浄土宗

本尊

阿弥陀如来


天文22(1553)に創建の浄土宗の寺。本尊は阿弥陀三尊立像。境内には、江戸中期に庶民から「生き 仏様」と敬われた徳本上人の六字名号碑があります。また江戸時代に鋳造された貴重な梵鐘も残されてお り、寄進を行った多くの人々の名前が刻まれています。




梵鐘です。

そして、この辺りが川崎宿の京口跡になります。




おしまい😀









田中本陣跡、助郷会所跡、宗三寺、問屋場

2022-09-13 22:04:00 | 東海道

田中本陣跡、助郷会所跡です。本陣は、大名が泊まる旅館、助郷は宿場の人手が足らない時に、手伝わされる農民たちのこと。どの宿場にもあります。



宗三寺です。江戸時代の飯盛女の供養碑があります。このような供養碑も、大抵の宿場にあります。





問屋場跡です。宿場業務を管理したり、人足、飛脚などの調整など、様々な業務をこなします。これも、どの宿場にもあります。


おしまい😀