きのうはまたまたジュリーがよくみえるお席。
あら、ちょっとおひげがのびたような気がした🤗
最初のご挨拶。
まいどおいどが何回かつづいたあと、
「あついねぇ~名古屋。最近、つづけてやると疲れるのよ。でぇら、(このあと名古屋弁でなんかいったけど聞き取れず。それにしても名古屋弁じょうず)」
このあとはのりのり、🎤カサブランカダンディ🎤では水を落としてあわててた😆
どっかでは笹の葉さらさら〜ってポーズも🤗
最後のご挨拶。
はじめて聞く話もたくさん。
「わたし、ずっと京都出身だって言ってたわけ、で、あるとき親父に聞いたら、そりゃ出生届出したとこが出身だということになって、それから鳥取県出身てことになったのよ。ひとりは鳥取市内で、ひとりは鳥取県てことになってるんやけど。
産後のひだちが悪かったのか、お姉さんふたりもいて居心地よかったのか、なんか2週間くらい帰らなくて。
昔は紅白でたときに鳥取県出身て出たもんやから、おまえ京都出身てずっと言ってたやないか、ってみんな友だちが言ってた。
それから小さいころ、親父の家が牛飼ってたわけ、その牛がよだれ垂らして舐めてくるから、トイレがその牛小屋の後ろにあったわけ、だからトイレをずっとがまんしてた」
「中学生のころ、上田正樹のお兄さんと遊んでて、そのころ上田正樹のお兄さんが京大の学生とつきあいがあって、大文字山でメジロ捕りにいったとき、京大の人がぼくにいやらしいことをしそうになって、不潔だ〜と叫びながら、銀閣寺のところまで、一気にかけてきたこともあったんだけど。
いろんなことがあったのよ」
「それから時間がないから一気にとびますが、こないだの話になって、9000人のところが7000人しかはいらないということで、左と右のところがな、空いてるわけよ、だからぼくは帰るっていって、サリーじゃないころの社長がえらいことになると言ったけど、帰るからあとのことはよろしく、と言ったらね、今からいれるっていうのよ、そんなんきのうからわかってたわけやん、だからぼくは帰るっていって、あとはソニックシティでも代わりの公演やるっていって」
「で、蝶ネクタイしたときに、あれは飲み会やる前なんやけど、誰か代表者のかたはいらっしゃいますか?って言ったら、みんなしり込みしはるわけや、みんな下請けやからね、そんななかでもスポーツ新聞や、ちょっとお話をっていうから、今からプライベートなんでって断って」
「来年のお正月は東名阪はいってるし、そのあとは今年みたいにせずにダラダラとやっていこうかと思って、そのためには自分が元気であることはもちろん、みなさんにも元気でいてもらわないと。
だからみなさん、死なないでね、それがぼくの老後の楽しみなの、だからみなさんも元気で、ぼくも頑張ります、頑張ります、頑張ります、長生きします」
なんかいつもより力がはいってるような。
最後はいつものように手を振って、いつものようにのぞき込んで帰ってくジュリーでした~😉