ゆかりんご

沢田研二さん、ジュリーについてのブログです。GREEもどうぞ。
yukarin_004@yahoo.co.jp

鴨川ロマンス6

2013-05-31 21:52:28 | ジュリー
京都の方からのお手紙。
昭和22年1月9日生まれの方から。
つまりサリーと同じ誕生日の方だそうです。

塩見さん「さぁ、今は俳優の岸部一徳としてご存じの方の方が多いんじゃないかと思います。ザ・タイガースでは、岸部おさみ、といってました。ベースを演奏されていましたね。では聞いていただきましょう。岸部一徳さんです」

サリー「瞳とか、彼らと中学の同級生で、森本とかも同じ中学だったんで、あの、遊び友だちで、16くらいの時、うろうろしてたんでね、そこで加橋かつみとか知り合ったりして、田園というところの、今でいうとディスコですか、そこのバンドが入ってて。そこにほとんど毎日くらい遊びにいってたのが一番の思い出っていやぁ、思い出ですけどね。
そこに、沢田さんが歌ってた、という、それがいちばん最初ですから、やっぱりいちばん思い出ってのは強いんですけどね」

沢田さんって言い方、珍しいよね。

「ラジオは、どの局の番組とかって記憶はないんですけど、音楽に関わる番組はよく聞いてましたね。
あの、そこで聞いて、新譜を見つけて買ってきて聞くとか。そういうのはよくやってました。
だから、ラジオはよく聞いてましたね。
売れていく感覚は、大阪のジャズ喫茶に、ナンバ一番というところに、レギュラーで出るようになって、そこから1年弱でしたけど、レギュラーで入ったのは。
だから、最初からファンの数は増えていくのはわかりましたけどね、売れてきたとか、人気に追い付けなくなるという感覚は東京行ってからですかね。
東京に行って、最初は内田裕也さんといっしょにやってて、それから、最初は、内田裕也とファニーズという名前だったんですけど、それから、ザ・タイガースになって、それからはほんと、あっという間でしたね。あっという間が、どれくらいのあっという間かっていうのが、41年の12月に東京に行って、1月のウエスタンカーニバルでデビューして、2月に、僕のマリーってのが出て、これはそんなに売れてなかったと思うんですけども、このあとくらいから、もう急激にファンが増えた、って感じですかね。
ちょうど、その短い間に、いろんなことを考えなきゃいけない時期だったように思いますけどね。4年ですからね、考えてみれば」

ほんとにすごい勢いだったのね。

「最初出た時ってのは、僕らは今で言うジャニーズ事務所のジャニーズっていうね、最初のグループの前座をやってたんですけどね。で、ジャニーズの公演に僕らが出て、30分くらい時間もらって、それで何回かやったうちに、人気が逆転していくんですよね。だから、ジャニーズよりもタイガースの方が人気が出てくる、みたいになっていくんで、それで、タイガースのコンサートになり、またその前座がフォーリーブスがやったり、とかいって、もう今考えれば、1年くらいの間にそんなことやってるわけてすよ。
だから、ほんとに、普通だと10年分くらいを4年で通ったような気はしますね。
僕は、どれかって言われたら、僕のマリーでしょうかね。
これは最初にレコーディングしたときに、なかなかうまくいかなくて、もう、テイク20くらいやった記憶があるんですけどね。
今みたいに、チャンネル数が多くなくて、同時録音なんですよ。ま、音だけを全部でいっぺんに録る、誰か間違うとまた最初からやり直し、とかね。それが終われば、歌を、コーラスやって、誰か間違えば、もう一回やり直し、みたいに、ものすごく時間かかった記憶があるんですけど。デビューした曲ですから、これが。
一番なんとなく、いちばん思い出が強烈に残ってますけどね」

僕のマリー

「ジャケット着てる写真もね、あれ、アマチュア時代作った衣装なんで、そういうのはちょっと、まだ京都、大阪のなごりが、僕のマリーにはあるな、って感じがしますね」

確か、京都会館のアマチュアバンドコンテストで優勝した賞金で作ったんですよね。

「音楽を、結果的には10年やったんですけど、まぁ、タイガース解散する頃がいちばん自信があってね、変な言い方ですけど、解散してPYG というグループを作って、そのときはショーケンが入ったり、井上尭之さん、大野克夫さんとか、大口ひろしとか、それぞれのグループから集まって、PYG をつくって、そこで曲書いたり、詞を書いたりしてた時代が音楽的にいちばんやりたい、って時期だったのかもわからないですけど。
そのあとに、井上尭之バンドに移って、沢田さんのバックバンドやったり、例えば、太陽にほえろ、の音楽をやったりとか、傷だらけの天使、の音楽をやったりしながら、音楽の難しさとか、音楽的な才能とか努力とか勉強とか含めて、自分にはもうないな、と。
もう、やめるならば、ここかな、と思ったんですけどね。だから、僕は、ある意味でいうと、俳優に転じて、偶然ですけどね、よかった、ということだと思うんですけどね。
タイガースも運だったし、そのあともずーっと運が続いてるような気がしますけどね」

いやいや、運だけじゃやれないと思います。

サリーのインタビュー、長いので、まだ続きます。
いったん送ります。
それにしても、サリーの話す声って、すごくかっこいい~
わたし、ほぼタイガースの時、どこかでたまたま生で声を聞いちゃったんですけど、ほんとにこのまんまの声でした
当たり前だけど、感激してしまった
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スパゲティ・バジリコとジュリー

2013-05-31 19:10:52 | ジュリー
この前、鴨川ロマンス聴いてて、トッポのインタビューのときに、たくさん話題に出てきたキャンティ。
タイガースの衣装を作ってたベビードールとか、サロン風なお店だったとか、わたしにはいまいちイメージがつかめないので、「キャンティ物語」という本を買っちゃいました。
きょう届いたばかりでまだ読んでないですが、パラパラめくっていたら、おや、というお話が

バジリコスパゲティのお話です。
この本では、スパゲティ・バジリコとなっています。
日本では当時、スパゲティといえば、ミートソースかナポリタンだった時代だそうですが、キャンティでは、バジルの葉を自家栽培してスパゲティ・バジリコを出していたそうです。
1960年の開店のときは200円、数年後には300円になったそうです。

これ、安いのかと思ったら、全然そうでもないのね。
ラーメン一杯30~40円、帝国ホテルでスパゲティを頼んでも150円以内、タクシー初乗りは80円だったそうですから。

ほら、裕也さんとジュリーがジョイントしたときに、裕也さんが言ってましたよね。
はじめてキャンティにタイガースのメンバーを連れていったとき、
ステーキを頼んだのが○○○で、
いちばん安いバジリコスパゲティを頼んだのがジュリーだった、って。
その話、思い出しちゃった
いちばん安くても、けっして安くはなかったのね。

このスパゲティ・バジリコ、はじめての人は「緑色のスパゲティがある」と気味悪がったそうですが、ジュリーはどうだったのかな

これから読み始めますので、またおいおい紹介していきます
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5月30日(木)のつぶやき

2013-05-31 04:12:01 | ジュリー

やばいなぁ、お昼に目のなかに何か入ってから、コンタクトレンズがおかしい(;o;)


先日、いじめられてると相談してきたHちゃん。きょうは自信を取り戻したようでいきいきしている。
彼女、今回のテストで格段に成績が伸びたの。だから、今まで同レベルだった子が、それをやっかんでのことみたい。
大丈夫、次はその子に教えられるくらい、賢くなっちゃおう。


ジュリーなら、どんなアドバイスするのかな、と、ふと思う。


津波の新聞記事を読みました。
漂着物がアメリカ西海岸まで届いてるそうです。
ジュリーの「Deep Love 」を思い出しました。


来週あたりチケットくるかな。
わたしの予想。6月7日発送。


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鴨川ロマンス5

2013-05-30 22:51:40 | ジュリー
もうTUBEに出てるらしいので、今さら、書く必要もないかもしれないけど、ま、途中になるのも嫌なので、完結するまで書いていきます

塩見さん「音楽っていうのは、ほんとにその時代に戻れる、ってのが不思議だな、という気がします。あの時代の自分というのがよみがえってくる気がします。鴨川ロマンス、流れはまだまだ続きます」

また京都の人々のお話。
「ジュリーが京都出身というのは知ってるんですけど、それでちょっと親しい感じは持ってましたけど」
「初めて買ったレコードが、タイガースの僕のマリーでした。
何回も何回も聴きました」
「隣が森本太郎の実家で、僕がほんまにちっちゃいころ、隣のお兄ちゃんはギター弾いてはるねん、って、いつかデビューするから覚えときや、って隣のおばちゃん、お母さんですね、タローの。
ときどき帰ってきはるときに、タローさんに頭なでてもらった覚えがある」
「青春時代のことやから、やっぱりがんばってほしいね。同じときを過ごしてる、って感じやね。わたしも昭和21年生まれですから。だからちょうど活躍してるとき、応援してました」

すごいね、タローの実家の隣のひと、いいなぁ

塩見さん「タイガースのデビュー前からのクラスメートだった坂田さんに来ていただいています。
タローのご近所の方がいらしたみたいですね」

坂田さん「そうですね。タローは高校時代、軽音楽をやってて、他のメンバーよりは早くからギターをなぶってた、ってとこがあって、だから、なんか懐かしい話だったですね」

塩見さん「伏見の○○さんから。タイガースとの出会いは高校1年の時、本格的ファンになったのは、大磯ロングビーチ、サンケイホール、共立講堂、このあたりのステージということなんですけと、サンケイホールってのが最初のリサイタルですか?」

坂田さん「えぇ、彼らが単独でやったはじめてのリサイタル。もう今なくなったと思うんですけど、あのホールも。初めてだから、見に行こうよ、と言って、その頃のタイガースのメンバーの
親父さんたちが作ってたオールドタイガースというのがありまして、その方々に誘いを受けて上京したんです」

塩見さん「なにか当時のエピソードなどあります?」

坂田さん「ちょうどそのころ、1週間くらい彼らと合宿所、四谷左門町というところのアパートに住んでたんですね。いくつか部屋を借りて。
そこでいっしょに生活をさせてもらって、特に印象深いのは、モナリザの微笑の衣装を、僕とシローといっしょに、キャンティというところまでいただきに行って。
そしてその足で、ウエスタンカーニバルの楽屋に届けて、彼らがそれを着て初日のステージを飾った」

塩見さん「王子さまみたいなね」

坂田さん「そうなんですよね」

塩見さん「坂田さん、個人的にいろいろサポートもなさってるわけてすけれど、長い長い年月がそれから経ちました」

坂田さん「ほんとですね」

サリーのインタビューはこのあとでした
しかし、ほんとにタイガースのメンバーが期せずして集まり、バンドを作ったというのは、今から思えばすごいことだよね。
ジュリーを誘ってくれた、ってことも。
ジュリーはトークショーで言ってたよね。「恩返ししなくちゃいけないけど、恩返しなんてやってもやってもできない」って。
ジュリーはよく、「自分は後から入ったから」って言うし、わたしはそれを聞くたびに「そんな遠慮しなくていいんじゃないの?」と思っていたけど、
ジュリーが入る前のバンドの時のお話を聞くと、「よくぞジュリーを誘ってくれた」って思います。
ジュリーがちょっぴりいじけちゃう気持ちも、わかるかも。
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ジュリーはどっち?

2013-05-30 09:16:05 | ジュリー
先日、GREEの記事で、どんべえに、東西バージョンがあって、つゆの色や
味が全然ちがう、というのを紹介しました。
きのう読んでた新聞に、またまた東西のちがいを示すのが、「卵焼き」って記事があったので、思い出しました。
関東の卵焼きは固めで甘みが強く、関西はだし汁がきいている、とか。
わたしは名古屋ですから、どちらもOKですが、ジュリーってどっち派なんでしょう。
関西出身とはいえ、もう関東での暮らしも長いし。
お雑煮とかどうなんでしょうね。
京都風?
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5月29日(水)のつぶやき

2013-05-30 04:14:46 | ジュリー

GREEのブログは、しばらく休止します。Twitterの送信だけは入ると思いますが、ごめんなさい。


an・anの今週号は、「気になる男、色気の瞬間」。
ふた昔前なら、絶対入っていたよね。


何かとさよならするのは、わたしにはほんとに辛いこと。
GREEのこともそう。わたしは昔からそう。例えば、車を買い換えるときも。新車が来て、前の車が引き取られていくときも泣いてしまったことが何回もある。


「キャンティ物語」という本があるのを知り、さっそくAmazonで注文してしまった。


岸恵子さんの「わりなき恋」、ちょっと読みたいかも。


仕事が早く終わったので、NHK「歴史迷宮」を見てる。
吉田松陰と高杉晋作。


どうしてこんなに、幕末に生きた人たちは凄いんだろう。
若すぎるよね。


またまた新聞から。
バナナの購入量が全国でいちばん少ないのは熊本なんだって。熊本はすいかやメロンが多いから、だって。
いちばん多いのは和歌山県。和歌山だからミカンが多いのかと思った。


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鴨川ロマンス4

2013-05-29 17:42:20 | ジュリー
GREEの日記はしばらくお休みしますが、ゆかりんごはまだ続けます。
続き書いていきます。

塩見さん「先ほどはタイガースのメンバー、ピーこと瞳みのるさんのお話だったんですが、続いてはトッポの登場です。加橋かつみさんのインタビューをお聞きいただきましょう。東京は六本木のレストラン、キャンティでお話を伺いました。実はここは、ザ・タイガースにとって、またあの時代のアーティストにとって、サロン的なお店だったんですよね。昔は彼らの洋服を手掛けたベビードールというお店もここにありました。そんな思い出の場所でお聞きしています」

トッポ「もうそれはたくさんありますよ。あまりにもたくさんありすぎてね、京都は、いちばん楽しかった時代ですのでね。
ちょうど世の中でエレキブームが始まりましてね、友だちの坂田くんってのがアマチュアのバンドをやってましてね、それ見てたら、なんかおもしろそうだな、と思ってね、ちょうど4人いましたのでね、ドラム、ベース、ギター、サイドギターってバランスで、僕らもちょっとやってみたいなぁって話で、坂田くんに楽器を借りたりしてね、見よう見まねで始めて、やりだしたらおもしろい、ってことになって、じゃんけんして、パート分けしようって決めたら、こういうことになったんです」

じゃんけんで決まったの

「で、そのコスチュームはみんな昔、僕がやってまして、僕とここにいた川添さんとふたりでやってました。ここはベビードールっていう洋服屋さんだったんです、昔は。
もともとは僕、美術関係が、子どもの時から好きな人間ですから、音楽家になるより、ほんとは美術系の方が才能あるのになぁ、っていまだに思ってますけど。同じですけどね、
絵も。絵描きになるのも、音楽家になるのも、似たような気がします。
ただ、キャンバスに向かって描くのと、音楽家はこういう空間がキャンバスになるというね、それだけで、僕のギターは筆みたいなもんですよ。同じ」

ベビードール、とか、よく聞くけど、よくわかりません。
タイガースの衣装はここで作ってたんですよね。
今回の再結成タイガースも、衣装はトッポ担当と聞きましたけど、当時からそうだったんですね。

「僕は嫌いだったですよ。あの、やっぱりこの前から、ビートルズだとか、ローリングストーンズだとか、ジミーヘンドリックスだとか、向こうの60年代の音楽シーンが出てきてましたんでね、それは音楽シーンだけじゃなくて、いろんなアートの世界でもそうだし、60年代の、なんていうか、ちょうどベトナム戦争が真っ最中ですからね、ちょうどそういうミュージシャンだとか、いろんなアーティストたちが、反戦だとかね、平和運動だとか、そういうことをみんな音楽にしてた時代ですからね。
タイガースの曲は、非常に…、すぎやまこういちさんと橋本淳さんが書いてくれた日本の女の子たちが好きそうな、メルヘンチックな、甘く優しい、甘ったるい曲っていうんでね、僕はうんざりしてたんですけどね。
最近好きで。非常に。初めて最近、タイガースの曲ね、いいなぁと思えるようになりました。年のせいでしょうね、きっとね。
客観的にあの、音楽的に見た場合には、花の首飾りって曲は、名曲ですよ。あの、すぎやま先生が、ウエスタンカーニバルでね、日劇のウエスタンカーニバルですけども、そこで、あの、ビージーズのホリディって曲を歌ってたんですよ。それを聞いて、すぎやま先生がひらめいて、あっという間に作られたらしいですけどね」

ここの、「きっとね」のあとに、誰かの笑い声が聞こえるんですよね。それがジュリーの笑い方に似てるような…。
でも、ちょっとトーンが違うかな…って思ってみたり。坂田さんかな。

廃墟の鳩、あれはね、あの曲は、あのころはあまり公には、はっきりとした意味は言わなかったんですけどね、あの、僕はタイガースで、あまりにもメルヘンチックな曲ばっかりなんでね、ちゃんとコンセプトがある、そういうメッセージ性のあるアルバムを制作するということで作った中の1曲なんですけどね、あれは広島の原爆が落ちたあとの、広島のことを歌った曲なんです」

廃墟の鳩

原爆のあとの広島のことなんだ。
初めて知りました。
この曲は、東日本大震災のときに復興の曲として、ASKAさんが確かカバーされてましたよね。

「今、どんなふうに自分が生きてくか、っていう、この社会の中で、この世界の中で、この地球の中で、自分がどういう表現ができるか、どういうメッセージを送れるか、みたいなことは思いますよね。
今の方が楽しいですね。自分の思った通りにずっと、生きてきてますのでね。ますます自分の思った通りに生きれそうだ、という感じだから。
非常に充実はしてますね。
人に生き方だとか、行動を左右される時代じゃないのでね。
44年前に、僕は、さよならしたんで、そういうところで、僕は、タイガースを辞めたんじゃなくて、渡辺プロを辞めた。
ここんとこ、僕ね、何がいちばん大切か、と思うと、時間というのがね、最も大事なものじゃないかとおもって。
僕の仲間とかも、僕、65なんですけどね、ずいぶんたくさんの人間が死んだんですよ、驚くぐらい。なんでそんな簡単に死んじゃうんだ、と思ってね、どっちみち、時間の問題で、僕も死ぬんだろうけども、生きてる間にやることをやっちゃわないといけない、みたいなことも思いますし、できるだけいい時間をね、自分が納得できるいい時間を持ちたいな、と思いますよね。
僕たち団塊の世代がいちばん数が多いわけでしょ、その人たちが、ちゃんと思うことをね、発言したり、自分たちがやることをちゃんとやるとね、いい日本になりますよ、きっと。まだリタイアしちゃいけないと思います。
僕、死ぬまでリタイアなんかするつもりありませんけど。なんかいろんなこと諦めてる人が多い。人生を勝手に終わらせちゃいけませんよ。だってねぇ、自分が終わったと思ったら終わってるんです、人生は。自分たちの子どもたちが安心して育っていける環境を作るのも、僕らの大人の責任ですから、その大人たちに、音楽でメッセージを伝えられるのが僕らの仕事ですから。
そういう意味で、今回タイガースやるのは非常に意味あることだと思いますよね」

花の首飾り

トッポが今回いっしょにやることを決めた理由みたいなものが、ちょっとわかったような…わたしなりに。

塩見さん「加橋かつみさんのインタビューをおおくりしました。
最初に聞いていただいた曲は、1968年の楽曲で、サードアルバム、ヒューマンルネッサンスからシングルカットされた廃墟の鳩でした。
そして、今聞いていただいている、本当にリクエストが多かった花の首飾り、あの、トッポの透き通るような高音が素晴らしいですよね、加橋さんはやはり、メッセージ性のある曲が好きなんだなぁってことが改めてわかったんですけども」

リクエストなさった方々の、曲にまつわるエピソードが紹介されました。

最後はサリーの登場です
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5月28日(火)のつぶやき

2013-05-29 04:11:55 | ジュリー

p.twipple.jp/J00rY
さつまいもとリンゴのパイ。
おごってもらいました(^^)/


山本太郎さん、参院選立候補表明だって。ジュリーはまた応援するのだろうか。


約1時間、生徒から相談受けてた。気持ちを強くもって…と励ましたけど、わたしだって偉そうなこと言えない。でも、学校いきたくない、なんて言わないで、がんばってほしい。


なんだか、すごく追い込まれている気がする。


負けたくないけど、悔しいけど、怖くて行けない。
なんともならない。どうしようもない。行ったらどうなる?行かなかったらどうなる?
こうやって書くことでしか、自分を鎮められない。


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鴨川ロマンス3

2013-05-28 08:47:07 | ジュリー
塩見さん「さて、ザ・タイガースのデビュー当時から大概の楽曲は、橋本淳さん作詞、作曲はあのドラゴンクエストでもおなじみのすぎやまこういちさんでした。
そのすぎやまさんにデビュー当初のことをお伺いしています」

すぎやまさん「作曲家のすぎやまこういちです。僕は当時、フジテレビジョンで、ザ・ヒットパレードという番組のディレクターをしておりましたけれども、ちょうど、ザ・ヒットパレードのヒットチャートにいろいろなグループ、個人の歌手ではなくて、グループの曲が登場してくるような時代になってきた。
例えば、ブルーコメッツのブルーシャトーがヒットしたり、ザ・スパイダースが注目されたり。
そういった時期に、京都から出てきたファニーズというおもしろいグループがいるんですが、ちょっと見てくれませんか、と言われて、リハーサル時間に彼らのテーマ曲を演奏し歌ったんですね。
それを見たときの印象として、これは非常に大きな可能性をもったグループである、それから非常にダイナミックな動きも伴っている、非常に強烈な印象でした。それで、音楽的には、加橋かつみのテノールの声、沢田研二のハイバリトンと言っていいでしょうか、中音部の非常に魅力がある声、それから岸部おさみの天然の低音部の声帯を持っている、ほんとにドスのきいたバスの声がある、非常に広い音域を持っている、音楽的に可能性のあるグループだという印象を受けまして、ぜひこのグループに、渡辺プロダクションのリクエストどおり、楽曲を提供していこうと思いました。
それで彼らの敏捷な動きを見た印象から、虎を連想しました。それで、グループ名も考えてくださいということなので、虎、ザ・タイガースというのを考えました。しかも、関西出身というと、野球の方では関西はやっぱりタイガースですよね、阪神タイガース。彼らは京都ですから、大阪ではないんですけれども、なんとなくそういうことも合わせて、ザ・タイガースという名前をつけました。
それで、世界では、ザ・ビートルズをはじめとして、わりとグループ名に動物の名前をつけるという風潮もありましたので、そういった意味でも、ぴったりはまったと思います。
それで、彼らに感じた音楽的な魅力から、楽曲を提供しようと思いまして、そのとき考えたのは、1曲1曲ただ単独に考えるのではなくて、彼らのシングルの曲を縦にずっと繋いでいったとき、ひとつの組曲になるような形を作っていったらおもしろいな、と思いまして、僕のマリーシーサイドバウンドモナリザの微笑君だけに愛を花の首飾りに至る一連の曲想ができていったわけです。
それが結局、ザ・タイガース時代の、今に残るある種エバーグリーンみたいなものになっていると思いますけど。
それで、ザ・タイガースに提供した楽曲のなかで、ある種わりと印象に残っている曲をなにかあげろ、と言われましたら、シーサイドバウンドではないかと思うんです。
シーサイドバウンドという曲がある種、彼らのビビッドな動き、グループの特徴を非常に実現できた曲だと思います。
シーサイドバウンドはグループの曲、例えば、君だけに愛をはほんとに沢田研二の曲といってもいい感じ。そういった意味で、それぞれ、僕の好きなナンバーなんですが、特にシーサイドバウンドは僕にとっては大変印象的な楽曲になっております」

シーサイドバウンド

「ザ・タイガースというグループは、日本のポピュラー音楽の歴史に大きなページを刻んだグループですから、今なお、そのような支持を集められるグループなので、これからも全国ツアーをはじめとして、活発な活動を続けていってほしいと思っています。
心からエールを贈りたいと思います」

塩見さん「すぎやまこういちさんは現在82歳。まだまだお元気です。タイガースの名前の由来、はじめて伺いました。おもしろいエピソードでした。
おおくりした曲は2枚目のシングルスシーサイドバウンドでした。
これ、同じように踊ったんですよ。けっこう息がきれる、こんどステージで見せてくれるんでしょうかね。かなりステップといい、疲れますよ、これは」

いやいや、大丈夫よね~。
この前もちゃんとやったものね~

すぎやまこういちさんがタイガースの名前をつけた、という話はジュリーからも、何回も聞きましたが、阪神タイガースからだけじゃないんだね。
敏捷な動きから虎を連想した、なんて、かっこいい
今は、ちょっと敏捷からは……かもしれませんが
それはそれでね、今も十分かっこいいものね

つぎは、トッポのインタビューです。
そういえば、この番組の前の方で、「トッポ」という愛称はあとからついた、って坂田さんが語ってらっしゃいましたね。
みんな「かつみ」って呼んでた、って。
だから、ジュリーも「かつみ」って呼んだり、「トッポ」って呼んだりいろいろなのね。
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5月27日(月)のつぶやき

2013-05-28 04:06:30 | ジュリー

朝からテンション高いみなさんと仕事せなあかん。


あれ、きのう、メール着信音変えて、今朝までちゃんとなってたのに、なぜかさっきから、元に戻ってる(;o;)


ソロコンツアー、不便なところ多いよね。富岡、鯖江、笠懸野、刈谷…。


今のわたしのお気に入りは、リプトンのゴールデンパイナップルティー(^^)/


@juliedisuki 遅レスごめんなさい~。
歩きスマホ、ほんと危険。
わたし、3月の終わりに落ちて、まだ傷跡ひどい(-.-)


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