あつさんの記事は、あつさんが子育て談義の会でたくさんの難聴児保護者と交流があったこともあり、大勢の人が読んでくださり、また感想を寄せてくれた方々も長文で送ってくれたりした。
中には、なぜあつさんが補聴器の装用を中止したのか、なぜあつさんが声を出さなくなったのかについて、そうだったんだ〜となぞが解けたような心持ちになった方もいたし、その生きる姿勢を選択した経緯に感動もしたという人も少なくなかった。
保護者と当事者の感想の一部をぜひご紹介したいと思う。
[あつさんと子育て談義の会で交流した保護者(難聴社会人の母)より]
こんばんは。
ブログ、何度も読みました。なんだか胸がいっぱいになってしまって・・・。
初めて療育施設であつさんに会った時のことを思い出しました。
これから(難聴の息子を)どうやって育てていけばいいのかすごく不安な中で、たくさん質問してしまって、それでも嫌な顔をせずに丁寧に答えてくれたことを覚えています。家がすごく近いことを知り、お互いの家を行き来したり、個人的な話もたくさんして、私にとっては心の支えになっていました。
難聴を正しく理解し、この子にあったやり方を工夫していけばなんとか育てられるかも、と前向きになれたのは、あつさんとの出会いがあったからだと思っています。
子どもが大きくなり、会う機会も段々少なくなって、たまに会ってもなんか思うところがあるのかなと感じてはいましたが、完全に声を出さない生活になっていたとは知らなかったので、正直驚きました。
私もあつさんに負担をかけてしまっていた一人かもと思うと、申し訳ない思いです。
そして難聴というのは、本当に理解してもらうのが難しいのだと改めて思いました。頑張って努力して上手く振る舞えば振る舞うほど、相手には大丈夫と思われて配慮がなくなってしまう。せっかく流暢に話せるのに、そのせいで自分が苦しくなってしまうなんて、どうすればいいの?と思ってしまいます。
そんな中で、声を封印して手話の世界で生きると決めたことを、すごいな、かっこいいなと思いました。
我が息子も話せてしまうことで聞こえていると誤解されて、会社の中で辛い思いをすることもあるようです。それでも自分は話せてよかったと今は言っています。
これから更にいろいろな経験をして、自分の聴こえとどう向き合っていくのか、どんな選択をしても応援していきたいと思いました。
貴重なお話をありがとうございました。
[高度難聴大学生の母より]
今回の難聴ヒストリー、拝見させていただきました。
あつさんがとても大変な思いをしてきて、その中で様々な選択をして今に至るという過程、様子がよく分かりました。
締めくくりにもありましたが、インタビューをお母様が読んでくださったらどんなに良かったでしょう。でもきっと天国からあつさんの様子を微笑んで見ていらっしゃると思います。
難聴児教育については素人で何も意見できませんが、何を選択してどう教育するかで生き方まで変わってしまうということ、親と子の考えが変わってきた場合にどういう選択をするべきなのかを改めて考えさせられました。
大学生にもなると親の出番?も少なくなりますが、しばらくは子供の様子をしっかり見ながらいつでも相談に乗れる存在でありたいと思います。そしてどんな選択をしてもいつでもそれを応援していける存在でいたいと思っています。
今回も貴重なお話しをありがとうございました。
[年長難聴児の母より]
あつさんのインタビュー記事を拝読しました。ありがとうございました。
わが子も100dB近い聴力の高度難聴で、人工内耳適応のギリギリのところ・・。今はほぼ音声での生活を送っています。母としては、お友達の話が分かるように、みんなに自分の話を分かってもらえるように、つい発音をきびしめにチェックしてしまいます。しかし母といえど、子どもの聞こえ方や集音の苦労を実感として分かってあげられるわけではないので、いつも正しい、適切な育て方は何なんだろうと考えてしまいます。答えはひとつではないですが、あつさんの体験談のように、こんな風に感じていたというお話しを伺えることはとても参考になり、本当にありがたいです。
わたしは今、家庭内では音声と手話の両方を使うよう心がけてはいますが、がんばれば聞こえる・しゃべれるので、発音の矯正等にうるさくなりすぎかもしれません。
今回は、本当に大切なことは何か考えるとても良い機会になりました。いつか本人があつさんのように、自分で心地よい環境を選べるよう、サポートできたらいいなと思います。音声の世界も手話の世界も身近に感じられるよう育て、どちらをどのように選んでもいいのだと思ってもらえたらいいなと思いました。
[難聴中学生の母より(デフバスケットであつさんに世話になった中学生の母)]
何度も読ませて頂きました。
先日、優しくて面白い素敵な方と(デフバスケットで)出逢えたと家族みんなで喜んでいたのですが、辛い過去を乗り越えた今があるのだと改めて気付いて、胸が痛くなりました。だからこそ、強くて格好いい人なんだと家族で言い合いました。
ペンドレット症候群と言う言葉も初めて聞いたので、参考になります。我が子も、めまいがあるので情報としても有難いです。
20代半ばから補聴器装用中止。30代半ばからは声も中止。この決断をした背景は想像も出来ません。
親として、我が子がこの決断をしたらと思うと又、胸が痛くなります。必死に関わって来た今までを否定された気になるかもしれません。
それでも、自分の生き方は自分で決めるべきだと言う部分では共感しますし、素の自分で居られる世界が発見できて良かったです。
我が子にも、認められている自分・存在意義を感じられる場所が見つかればいいなぁ。
これから、高校・社会人と進んで行く我が子。周りの配慮が無く、コミュニケーションがとれずにやるべき事がわからずに苦労する場面が出てくるのは目に見えて居るので、そこにどう対処して行くのか、今後の知識や経験から、学んでいって欲しいと思います。
『家族で、ママだけが分からないと言う状況が無い様に手話の配慮』という部分を読んで、最近我が子に対しての配慮に欠けて居たなぁと気づきました。雑談の様な会話の時は我が子は会話に入れずにシーンとしていたなぁと。それが家族の中で当たり前の光景になっていました。反省です。
先日のデフバスケでは、初めての場所で緊張していた我が子にたくさん声をかけてくださり、優しくて面白いお姉さんのイメージでしたが、沢山のことを乗り越えた今なんだなぁと、益々、大好きになりました。
デフバスケも又参加させて頂きたいです。
ありがとうございました。
[子育て中難聴当事者(お子さんを療育施設に通わせている難聴当事者)]
あつさんの内容を読みとても私にとっても感慨深い内容となりました。
確かに音声で楽な部分や聞こえる相手には話すには音声で合わせやすいといった所はあります。けど、それに慣れちゃうと、相手もそれに慣れてしまってずっとそのままになってしまい、その先もずっと疲れるのは自分です。
ろう者と出会うと自然と声出さなくて手話だけになる自分もやはりどこかにいます。それは安心と楽しさも心のどこかに感じているなと薄々思っていました。
このあつさんのブログを読んでやっぱり私もそうなんだと気付かされました。子の通う幼稚園でも、療育園でも、聞こえる親が中心は当たり前です。そのコミュニケーションの輪にスムーズに入れるかといったらそうでもなく、気を遣いながら自然と気を合う人見つけては話しやすい聞きやすい人と一緒にいたりします。なので、ろう学校の乳幼児相談へ行くと自然と話せて変な気を遣わない自分もいて、聞こえない人同士で話すとすごく気が楽な場所となり、やはり大人になった今もそのような場所やコミュニティーは必要だなと思います。そのような居場所をやはり子供のうちから作ってあげて知っていくことでいろんな道も開かれ、手段も増え、アイディンティが様々につくられていくことの大事さを身にしみています。
今回のあつさんのヒストリー内容も面白かったです。家族たちがとてもあったかいなあと。私たちも同じ聴覚障害を持ったファミリーだけど聞こえ方もコミュニケーション方法もバラバラ。けどやっぱり共通できるものは手話✨また次回も楽しみにしています。
[あつさんと仲の良い友達の当事者(デフアスリート)]
インタビュー記事読ませてもらいましたよ!
もう・・・
途中まで私の生き方を見てるんじゃないかってくらいに、自分の事のように読んでいました。
K先生が、子どもたちが上手に話せるようになるのにやりがいを感じていたけど、子どもたちが聞こえにくさに困る場面への想像力が足りなかったと反省したように、私の母も育て方について悩んだこともあっただろうなぁと読みながら自分の過去の出来事を回顧していました。
私はやはり完璧に発音ができるわけでもなければ、手話も完璧にできるわけじゃなくて。口話ができればすごい!と褒められて結局は配慮方法を間違われることも度々あって、一時期なんでこんな中途半端な子に育てたの?って母に対して思ったこともありましたし、母にぶつけたこともありました。しかし、成長するにつれて色んな事情を理解するようになってからは口には出せないと、自分の中で消化しようとする場面が増えてすごい苦しんだことを特に思い出していました。
口話も結局は、誤解されるから初めから口話だけでなく手話を併用してきこえないアピールを分かりやすくしようとしますが、そのような事を日々色々と考えるのも疲れるよなぁと。
けれども、これまでの自分の生き方を後悔したこともないし、口話ができることで、きこえる人に歩み寄りやすいので、良かったと思います。母は私のしたい事や選択を尊重してくれましたし、今では一番の良き理解者です。私の障がいを理解して仲良くしてくれる友達も近くにいたので、私は恵まれていたのだとも思います。
手話もできる限り使うようにしたいと思い、聾者が出ている動画を見たり、テレビを見たり、デフコミニュティに積極的に入ったりなど自分なりに表現力を磨く努力をするようになりました。これも、20歳の時にデフリンピックの日本代表に選出されたのがキッカケです。以前は手話をすると、これまで聴こえる人に負けないように育てられ、努力してきた自分を否定することになると思っていましたので、手話は自分に必要のないものと思っていた当時に比べたら、断然肯定的に捉えられるようになってきています。
今の時代は幸いにも、難聴者に対する理解も進んできて何も言わなくても、分かってくれる場面が少しずつではあるけれど、私の中では昔に比べたら増えてきたなぁと思っています。
これも、自分だけの努力ではなくて、あつさんのようなお姉さんたちが苦しんだ分の、恩恵を受けていると思います。
私も後輩たちが少しでも生きやすいように、これからも何故?と疑問に思ったことは放置せず口に出していきたいですし、デフアスリートとして活動している今、社会に向けて聴覚障がいへの理解が進むように、私の障がいに対する向き合い方等を発信し続けていきたいとも思っています。
また、デフに関する様々なアイデンティティが混在するデフスポーツの世界では尚更、全てのデフアスリートや関係者にとって、デフスポーツコミュニティが拠り所でいられるようにしておきたいなとも思います。
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他にも支援者の方々からの感想もいただいたが、今回は、保護者さんと当事者さんのをご紹介した。感想は、みなあつさんにも読んでもらった。彼女は、感想を読んで、インタビューを受けて本当によかったと思ったと連絡をくれた。彼女にとってもこのような形で半生を振り返ることができてよかったとのことだ。
しばらく連絡がとだえていた人も彼女と連絡が再開したりして、当事者同士、子育ての仲間同士、色んな方々の橋渡しができて、私自身とても嬉しい気持ちになった。
聴者、難聴者、ろう者の3種類の生き方があるのではなく、それぞれに様々な生き方がある。そして、それぞれの生き方に到達したそれぞれの歴史がある。お互いにお互いの歴史や違いを理解するのは、容易ではない。でもこれからも、一人一人の生き方を尊重し、それぞれがお互いの生き方を尊重できるような姿勢を持ち続けたいし、そういうことができるきっかけを提供できたらいいなと思う。