そのお陰で冬を越し生き永らえられ、自分だけでなく家族や村人みんながその恵みに感謝します。
収穫は聖なるモノとして祭り上げられ、みんなのモノと成ります。
これは「原始共産制」と呼ばれ、たくさん働いた者が多くを取らない社会は発展しないとも言われますが、小さな原始社会で働き者は感謝という報酬を直接受け取れます。
この報酬はお金よりもずっと価値があり、働き者は村のヒーローとして祭り上げられます。
人が真に求めるのはこうした価値だとする共産主義は、理想主義とも言えるでしょう。
しかし、こうした理想主義は世界に大きな悲劇をもたらしてしまいました。
それは戦争のせいもありましたが、共産制の主役が農民や労働者ではなくなり、官僚や独裁者が権力を持ち過ぎたからで、理想主義は民を支配する為の道具に成り果てました。
どうすればこの「理想の堕落」を避けられたのか? 私はその答が「祭」に在るかと思っています。
共産圏で失敗した国々は悉く宗教を根絶して、替わりに共産主義の教義を祭り上げました。 それは「祭」を失った「政」だけの世を出現させ、そうした国々は腐敗を免れませんでした。
一方、共産主義が上手く行っているキューバでは「祭」が毎日たくさん行われていて、そこで祭り上げられるのは音楽です。
現代人にとってアートは宗教よりも大きな意味を持ち、アートにはマーシャル·アート(格闘技)やスポーツなども含まれます。
それは民に力を与え、支配者達はそれを恐れますが、そもそも支配者など居ない世を創るのが真の理想主義と言えるでしょう。
続いて日本の「祭」について語りますと、残念ながら収穫祭はもう廃れてしまいました。 食糧の大半を輸入に頼っている日本では、「食」に対し感謝して奉る伝統は生き残れませんでした。
宗教的な「祭」も廃れる一方で、これは世界的な潮流なので致し方ないと思えます。 それはインドに於いてすら然りで、豊かさに慣れた人類は神仏に感謝する心を失うのがサガなのでしょう。
その代わり日本では、音楽やドラマ、スポーツなどの祭典が人気を集めており、祭り上げられた民の力は政治家や官僚をも上回ってる観があり、これはとても善いコトだと思います。
しかしそうしたアートの祭が、細分化されて普遍性を持ちにくいのも日本の特徴でしょう。
人々の指向性が多様なコトは「豊かさの象徴」とも取れますが、キューバの様にみんなが結束を強められる「祭」が欲しい気もします。
ところで「祭」にはやはり「酔い」が必要でしょう。 日本にはこれに酒しか方とが無く、好き嫌いが別れるので結束を強める力には成りません。
一方キューバでは草が万人に愛好され、これは民を陽気な音楽好きにし、「祭」の結束力を高めています。
終わりに物語で締めますと、収穫祭はインドやキューバみたいに何日にも渡ってダラダラと行われますが、お祭り気分は永く続いた方が善いコトはクリスマスと共通します。
祭の出し物としては子供たちの劇や合唱などが良いかと思い、その指揮を取るトゥルクは女性バラモン(司祭)として民の心を一つにする力を発揮します。
彼女の歌声は祭のハイライトで、それを聴きに遠くの村々からも人が集まります。