ゆきさんのブログ

元お祭りオヤジの周辺・・・

お相撲さんDJ

2008年03月08日 10時09分56秒 | 祭人
昨日のNHKBSの熱中時代」が面白かった。
何が面白かったかとういうと、元お相撲さんのDJ。
格闘技とジャズのDJという組み合わせが何とも裏腹という
感じでしびれます。硬軟併せ持つとはこの人のことかもネ。

本物の相撲を観にいってみたいと思っていたのだけれど、栃東の
引退で、その意欲もなえてしまった。
モンゴルばっかりじゃ観てもつまらない。
テレビでしか知らないのだけれど、裸同士、実力のぶつかり合い
で、ゴツーンと頭から当たって行く相撲が好きだ。
真正面から勝負する力と力は、フェアー感じで気持ちがいい。
そういう格闘技をやっていた人間が(引退して)DJをやって
いるというのが興味深い。

お相撲さんの名前は敷島 勝盛(しきしま かつもり)、現小野川
親方だ。小野川部屋は福島県にもゆかりがある。伊達町出身の力士
信夫山もこの親方を名乗ったことがある。
敷島の現役時代最高位は前頭筆頭、体格180センチ、180
キロの立派な体格の持ち主。それが、ちいさなディスクを自在に
あやつるソフトな面も持ち合わせている。

誕生日を調べたら、納得。
私と同じ12月15日生まれで、またまた近親間を覚える。
12月生まれに「ぐず」は居ないと思っている。

私としては、彼のように強い肉体が欲しいのだが・・・。

二本松で美味しい店

2008年01月20日 08時56分08秒 | 祭人
昨晩、旧知の友人たちとの新年会に参加してきた。
場所は郭内の「相生寿司」。
ランチなどで多くの客に広く知られ、夜は大勢の飲食客で賑わっていた。
料理は、二本松の外へ出ないと食べられないようなシャレた出し方で次つぎ
に出てきた。味は、まあ、あの値段だったら当然だろうという感じかな。
お料理だけで6000円はチト高い。貧乏人が続けて行けるお店ではないだろう。
高くて美味しいのは当たり前、安くて美味しい店に出合いたいものだ。

昨年夏、友人の紹介で松岡に出来た「シャンティ」へ行ってみた。
松岡若連の現役であるご主人の料理はなかなかのものだ。
4度ほど行ってしまった。 (^_^;)
豪華な店構えではないが、味は一流ではないだろうか。
お魚好きの方なら是非一度行ってみられたらいいと思う。
私は日本酒が好きなのだが、めずらしい酒も常備しているよ。
予算は食事、デザートまで出るコースでも3500円程度、ありがたい。
満腹になります。 (*^_^*)

ところで、二本松にもシャレた店が出始まっている。
しかも若い人が始めてくれたことがうれしい。
何とか頑張って続けてもらいたいものだ。

とかく二本松に来ると、人を招待できるような店が少ないと言われてきた。
定番のお鮨屋さんしか行くところが無いのでは寂しい。
次回は、お写真も載せてそういう店を紹介してみたい。

秩父中近笠鉾

2007年12月08日 14時33分47秒 | 祭人
合併になって二本松市は埼玉県秩父市と人口は同じくらいになった。
ただ、町の中にある施設やお店などのあり方をみる限りにおいては、相当
秩父は都会である。
東京からのアクセスは、当然のことながら、二本松の方が断然よい。
しかし、熊谷と甲府を結ぶ国道140号線沿いにある秩父市には、やはり
産業の底力というものがあるようだ。

秩父夜祭で全国に知られる秩父神社例大祭は300年近い歴史をもつ、国
の有形、無形重要文化財に指定されている。夜祭観光のために多くの観光
客が全国から集まるが、秩父祭りの歴史には、観光協会との摩擦が大分あ
ったようだ。あくまで神社の神事として祭りを維持しようとする屋台保持
町内連合と、多くの観光客に秩父へ来てもらい、祭りを通して経済的恩恵
得たいと考える商工会を中心とする観光協会の間には、考え方の違いによ
ってだいぶもめた時期があったようだ。

秩父夜祭の詳しい内容については中近笠鉾で太鼓係りをしている中村知夫
さんの「秩父夜祭の基礎知識」をご覧下さい。そちらによれば、
屋台曳行ひとつにとっても、時代の流れと秩父社会の変遷が大きく影響し
ているようだ。上町、中町、本町の三台の屋台は町の中心に町内が存在し、
秩父屋台祭りの中心として存在してきた。
明治初期に秩父屋台祭りは整備されて現在の形になったようだが、豪華な
屋台をもてる経済力があった。絹産業は町々を潤したが、その中心となっ
ていたのは、現在の町の中心に位置する前述の町内なのだが、後に、秩父
の中心街を取り巻くように宮地町、中村町・近戸町、下郷にも人口の流入
があって力をつけてゆき、やがては屋台や笠鉾を持つ町内にまで発展して
きた。
しかし、絹産業が化学繊維に押されて衰退すると町の構造や勢力も変化し
てきたようである。現在では、新興勢力の方が活気があり、中心部には、
当然のように住民が少なくなって屋台祭りの維持も容易でないようである。
例えば、曳き手の数の減少は、自分の町内でまかなえなくなっているよう
である。
町の中心部を考えると二本松のそれともオーバーラップして見えてくる。

秩父屋台祭りの先頭を行く中近笠鉾牽引に平成15年と今年の二度参加さ
せてもらった。前回は大綱を曳く曳き手を、今回は笠鉾の周りで写真を
自由に撮らせていただいた。
朝の曳き始めから、仕舞いの収蔵庫収納、そして、翌日の解体まで撮影
させてもらった。
多くの人の温かい対応で秩父祭りの中心が少し見えたように思えている。
秩父・中近笠鉾は三層の花笠をつけ、上部に万灯をもつ江戸屋台の豪華
版である。大正初期の電化により笠鉾の曳行はできなくなってしまった。
本来なら頂点まで20メートルもあるが、現在は、笠をつけずに、替わ
りに大榊をつけて曳行されている。八棟造りという側面にも顔をもつ鉾
だが、明治13年造営のこの笠鉾の豪華さと精密さは筆舌にしがたい。
解体に立ち合わせていただき、そのすごさを正に拝見したところである。
部品の数でいえば、笠鉾を付けない状態でも二本松の太鼓台に比べて
10倍はあるだろう。特に、彫刻のすべてが彩色、部材には打ち金物が
付けられ、それぞれの取り合いには細密な細工が施されている。組み上
げるには全体的な知識と卓越した取扱技術が必要と思われた。彫刻は
組み上げに際して、落下防止のためか裏側で必ず朝紐で縛りつけられて
いる。

部品が多いので、飾り物は収納箱の機能的に収納される。収納に際して
のノウハウも大変参考になった。彫刻や部品はひとつひとつ写真撮影さ
れて木箱のふたの裏側に貼り付けられており、収納に際して間違うこと
はない。また、彫刻の塗装を保護する意味か、薄い絹が収納箱に片側の
み固定されて取り付けられており、彫刻を入れたあとにカーテンのよう
に掛けられる。収納箱の箱書きには明治13年の文字がある。そして、
その箱は傷んではいなかった。何故なら、箱は決して地面にじかに置か
れることはない。4寸角の角材にはコの字型に毛布が巻かれている。
これにより収納箱も傷むことが少ないようだ。
解体の最後は下部の構造部と4つの車輪だけになってRC造の巨大な
収蔵庫にしまわれ、シャッターが下り、防火戸が閉められる。
この収蔵庫は国から保存の為に1町内あたり5千万円の予算がついたそ
うである。それにしても立派な収蔵庫でした。
まだまだ、語ることはあるのですが、とりあえずの見聞録とします。


19年の取材を終えて1

2007年11月25日 14時19分44秒 | 祭人
お祭りの取材を始めて6年目になった。
無我夢中ではしって来たが、時間をかけるごとに見えてくるものが
ある。今回は、二本松提灯祭りで使用されている屋台(=太鼓台)
について書いてみようとおもう。

写真は、竹田町の車輪である。
竹田町は家具店と仏具店の多いまちだ。
そういう理由からではないだろうが、昔から職人が多い街、祭りにも
職人が多く参加する街という言われ方をしてきた。

今年、松岡の太鼓台を計量した。
一説に、2トンだの3トンという人が多かったので、明確にするため
に計ってみた。案の定、松岡太鼓台は1トン無かった。雨がふったせ
いで、箱棟の覆いと鬼板覆いを付け、シートがかかった状態での計量
だった。台はかりはくず鉄などを計量するものだが、はかりが大きい
ため、降った雨の重さも当然加わっていることになる。
結果は1010キロだった。
先の覆いやシートの分を除けば、あと50キロ以上は軽いはずだ。

さて、竹田町の太鼓台の話しにもどすが、松岡太鼓台よりもさらに軽
いはずである。部材は松岡のものに比べて、さらに細く、極限まで軽
量化されている。梁や桁、破風なども当然のように軽いとおもう。
彫刻にいたっては、他の6町のどれよりも透かし彫りが多用されてい
る。そして、それは計算しつくされているとしか言いようがない。
この梁の太さでもつか、かかる力に耐えられるかどうか、などなど。
後から作られた太鼓台は、部材の大きさに自信がもてなかったのか、
かなり太くなっているようだ。

七町の中で竹田町は一番動きがシャープだ。
残念なことに、太鼓台を動かすのに必要な人数、若連の数は限界に近
いくらい少ない。どんなに軽いといっても、太鼓台はそれなりに重い。
しかし、この太鼓台だから少人数でも動くのだと思う。
竹田町の太鼓台は軽いこともさながら、土台の高さに注目している。
人間が一番重いものを動かすのにいい高さというものがある。ある程
度低いところに手がかかる方が大きな力を出せるはずだ。
また、車軸と車軸の距離が一番短い。そして、写真の台八車形式の太
い矢をもつ車輪が回転しやすさを作っているのではないかと思う。

今年の七町合同出発式後に見せた見事な同心円3回転、さらにその後
の2度のそろばん曳きは、人数の少なさを全く感じさせかかった。
はっきり言って、踊りだしたい気持ちだった。
先人の仕事はスゴイ。今の職人が束にかってもかなわないのではない
だろうか・・・。

最後に、良い曳き回しをするために、苦言でないことを先に申し上げ
て、一言提案をさせてもらいたい。
四輪で回転する場合は、必ず内輪差が生まれる。
正確に回転させた場合、必ず二重の輪ができるのだ。
松岡の土台が平成14年に新調された。回転をしやすくするためだそ
うだが、土台の長さを後ろの柱から30センチも長くした。
これは、郭内太鼓台にも見られる形だが、回転のしやすさとは関係な
い、と思う。(後ろ切りなら効果はあると思うが・・・)

昔のビデオをみてもらうとわかるが、回転は前だけ押せばいいのだ。
で、前の高欄についている人は、単に太鼓台を持ち上げればいい。
前の鼻を作用点とするのはいいが、後ろの土台も作用させようとする
と、同心円になりにくい。内輪差を意識して、前の鼻と違う方向へ動
かすことなら別だが、前と後ろの二箇所を作用点として回すつもりな
ら、かえって力が相殺し合ってしまうだろう。まして、四箇所が作用
点であり、回転する同心円の中心が太鼓台の中にあると考えているよ
うなら、竹田町の太鼓台のようには回らないはずだ。

ビデオをみていて、四隅の柱を動かそうと思っている若連を多く見か
けたので昔の人たちの太鼓台の切り方を見習ってもらいたい。
方向変えも、回転も、前でしかやってないのだ。
例えば、松岡の太鼓台を回転しやくすするなら、心棒と土台との間に
ある部材を取り去ったらいいかも知れない。改修時には車軸の位置は
変更されず、依然と同じ位置に土台は制作された。土台の高さを低く
し、あと10センチ車軸と車軸の間隔を狭くするだけで相当に違うと
思う。また、度重なる改修や過度の追加部材で相当重くなってしまっ
ている。次回の改修が行われるなら、箱棟の欄間を取り外し可能な形
に変更し、夜間の曳き回しには倉庫にしまう形にすれば相当軽くなる
と思う。(鬼板覆いなどの保護のやり方も変更が必要だが)

最後に、車輪が壊れてしまうのではないかと心配だ。
竹田町の構造ならいざしらず、あれだけ細い車輪で夜の回転は無理あ
あるというものだ。昼なら軽いから何とか問題はおきないと思うが、
夜なら、相当な重量になっているはずである。
太鼓台本体の重さよりも夜は倍以上になっているはずだ。
人間が15人乗ったら、そちらの方が重い。
竹田坂上で屋根に乗っている人数を勘定したら、11人も上っていた
のを見たことがあった。
提灯枠を加えると、それこそ2トンをはるかに超えるだろう。

昔は回転や辻を曲がる時、必ず屋根係りは後方へ移動したものだった。
前で車輪などで方向を変えるのに、前枠に5人も上っていたら容易に
曲がらないのは当たりまえだろう。
太鼓台の組み立てて、屋根の垂木にひびが入っているのを見たことが
ある。柱に亀裂が入ったのも何度も見たことがある。
不用意な回転で相当な力が入っているのだ。

先人からの素晴らしい贈り物を大事に後世に伝えてもらいたい。

ひとつひとつ行こう

2007年11月04日 11時43分49秒 | 祭人
忙しかった10月が終わって、少々気が抜けたようになっている。
ウェブサイトの更新をしなくてはならないのでが、気合が入らない画面で
造っても熱い想いが伝わらないのでは駄目だ。

「ほらどっこい」の創刊号を5年前に作ったとき、文章を書いても、写真を
整理しても、ドキドキした感覚を覚えている。
「この本を読んだら、みんな喜んでくれるかな、喜んで欲しいな」という
ような思いで制作したものだ。

今年、読者からハガキをいただいた。
はっきり言うと「マンネリになっていないか?」という指摘だった。
私自身の意識にはそう思えなくても、そうみている人がいることはきちんと
受け止めなくてはならない、と思う。

おかげさまで、5号を出版できたのだが、いよいよ次なるステップへ行く時と
思っている。
理由は、安価で出版を継続するには限界があるということだ。
「ほらどっこい」は500円、CDは1200円で、DVDは編集費がかかり
4200円だった。販売をしてくださるお店や書店に手数料を払わなくては
ならないので卸値となるので手取りは少なくなる。
印刷やプレス代のほか、いろいろな経費がかかる。
スポンサーによる広告がたよりだ。
しかし、毎年継続してくださるパトロンには迷惑の掛け通しであり、あちらの
都合も考えないとならない。
昨年はカレンダーで失敗してしまい、印刷屋さんに待ってもらうなど迷惑を
かけてしまったので、今年は制作しなかった。
この地方の祭りスケールや観光客の数では採算が取れないのが悲しい。

今年はDVDの出版も望む声が強かった。
平成17年に撮影したものがまだ残っている。
本当は新しいものを撮影して出したいのだけれど、コストを掛けるやり方では
次回は無理だろう。
やはり、一般購入者の立場からするなら、何とか3000円以内にしたい。
しかし、撮影、編集、プレス、宣伝の全てを頼むと原価は2000円を超える。
しかも、500枚しか販売を見込めないのでは、どうしても難しいのだ。

毎年、その年の祭りの映像が見たいのは当然のことだろう。
何とか期待に応えたいものだ。
これは、編集機械を買って、自社で編集するしかないのかも知れない。
ただ、プロ級の仕事をするには機械も高価だ。
何かの補助金などをもらえる手立てがないかと思っている。

ひとつひとつ行くしかない。

今年の取材予定

2007年09月27日 15時21分16秒 | 祭人
神社境内に提灯のための傘が設置された・・・
これがあるとお祭りだという感じが沸いてくる。
1日には大提灯も設置されると、いよいよ臨戦態勢ということになる!

昨年はCD制作のために録音機材を下げての写真撮影だった。
おいおい、そんなことでろくな写真が撮れるわけないじゃないか、と言われそうだが、
じっさいろくな写真が撮れないで終わった。
前にも書いたのだけれど、途中でオートフォースがはずれ、ピンボケになっていたのに
気づかなかった。ご承知のように夜のお祭りなので辺りは暗い、だから、写真がきちんと
写っているかどうかの確認が難しいのだ。
という訳で、また、これからやろうとしている理由から、ことしの取材方針を決めた。

29日:夕方、郭内のお囃子練習風景
30日正午:松岡の太鼓台/体重測定の様子
3日:若宮太鼓台組立て(前回、雨で下山電工車庫でよく撮れなかった)

4日:午前/どこかの町内の若連事務所開き 二本松神社お払い
   本町字曳き回し>亀谷字曳き回し>松岡字曳き回し>若宮字曳き回し
   午後/(どこかで昼食)>二本松神社例大祭
   夕方/ご神火祭>出発式>根崎もりや食堂夕食>竹田坂>亀谷坂
   二本松神社宮詰>松岡若宮通り>駅前終点>消灯 
   
5日:駅前出発>二本松神社宮詰>(早めの昼食)根崎休憩/全太鼓台幕撮影
   竹田坂>亀谷坂>亀谷ロータリー解散式
   お神輿/松岡>亀谷還御>露天の様子>(どこかで遅い夕食)

6日:根崎字曳き回し>竹田字曳き回し>郭内字曳き回し(昼食)
   三町出発式>四町神社宮詰め>三町竹田坂>三町解散式>四町解散式
   どこかの字曳き回し>>>どこかの消灯

てな感じで決めているけど、状態は状況によって臨機応変する。
そして、今年は細部まで写真を撮ろうと思っている・・・
新しいアクションのためだ・・・

太鼓台の構造がわかる

2007年07月31日 09時05分42秒 | 祭人
二本松提灯祭り・公式ガイドブック・ほらどっこいの掲載用に太鼓台の精密
トレースを行っているが太鼓台の構造に従って描いてゆくと、製作者の意図
や気持ちの入れようが分かってくるところがある。
まず、現在、二本松提灯祭りに使用されている7台の太鼓台は郭内を除いて
明治末期から大正時代に造られたものである。すでに100年を超えるもの
を使い続けられることに、もっと誇りをもっていいのだと思う。郭内は昭和
に入ってからの造営になり、今年が丁度半世紀の記念の年となる。6台のう
ち明治に造営された若宮だけは、各町太鼓台の造営ラッシュ等の事情により
製作グループが違っており、基本構造は一緒なのだが、構造体、彫刻の部材
も太く大振りで別物という感じさえする。

描いていて美しい。
ただ美しいだけではなく、構造計算などの学問がない時代において、ここ
までできるものかというくらい機能美というものがあるように思える。
軽くて操作がしやすい。体力にものを言わせるような動かし方ではなく、二
本松のような坂の多い場所での曳き回しでも容易に操作ができるように考え
られたのだとおもう。無論、足元は砂利道だった。

今の時代、文明は進んだけれど、昔の人たちに敵わないことが多いのでは
ないかと思う。例えば、松岡太鼓台の庇の裏側を見てほしい。放射状に細工
された垂木がある。二段構造になっているが、実は木口を二つ見せているけ
れども1本の部材である。かって違いで反対側の部材を作ることになるけれ
ども、同じものは太鼓台に2本しか無い。ひとつひとつ庇の縦・横方向につ
いて全部違う形になっているのだ。この辺りに時間と労力をかけることがで
きたのだ。

詳しくは5号で。

結婚しましょ!若連さん

2007年06月21日 09時16分20秒 | 祭人
お祭り好きの皆さんのとことを歩いていて出るハナシ。
若連の諸君に独身が多い。
うーん、これはまずい。
お祭りと結婚しちゃった訳じゃないけれど、やはり、一生を共にする伴侶は
どんなに忙しくても見つけなくちゃならない。
しかし、幹部にでもなれば、祭りに入ると忙しいことこの上ない。
結婚している者も、お祭りモードでは母子家庭になって、しばしば奥方の
機嫌をそこねてひともんちゃくある場合もあるようだ。
やはり、家庭もちの場合は、家族の理解だないとお祭りどころではない。
普段から協力をもらえるように家族サービスは欠かせないのだ(経験談/笑)

さて、独身の諸君のためにアドバイスをしておこう。
とにかく、女性に対してはマメでないとだめだ。
自分が分かっていても、意外と意思が伝わっていないことも多い。
やはり、自分の気持ちを分かってもらえるようにするには、きちんと意思
表示をして、行動にうつる必要がある。
二本松提灯祭りの場合の年齢というのは、動物でいうなら発情シーズンに
あたるかもしれない。18歳から35歳、これ、まさに結婚適齢期と合致
しているから始末が悪い。
お祭りも一生懸命やるけれど、きちんと彼女も見つけなければならない。
そして、これぞという女性に出会って、決めるときには「決めろ」よ!

今や、少子化が社会問題になっているけれど、提灯祭りをとりまく環境だって
まったくこのハナシは無縁ではない。結婚して子供ができなければ、将来の
小若の数が少なくなるわけだ。そして、小若の数は10年後の若連の数に
なる。
若連幹部になるには、妻帯者であること・・・なーんて、条件付けたりして。
自分が町内の若連幹部になるとき、できるならば小若に自分の子供が入って
くるのが望ましい。しかし、これは25歳前後で子供ができなければ無理で
35歳で会長を務めるあたりで子供を屋根の上に上げてても、ひとりで手摺
をつかんでいられる位なら合格点かな。

おーい、世の中の娘さんよーっ、若連のお嫁さんになってくださーい!

(画像と本文は関係ありません。撮影平成18年本祭り/二本松神社前)

ボクらの時代

2007年05月14日 08時26分54秒 | 祭人
日曜の朝のテレビ番組「ボクらの時代」が面白い。
対談の番組なのだが、ここには司会者が居ない。
三人の話し手が出てきて、番組の意図とは関係なしに?勝手に話をして
盛り上がる構図だとか。
大分昔にあった時事放談(じじい放談?)のスタイルを政治談議ではなく
登場人物の世界がテーマで語られる。
例えば、NHKのプロフェッショナル仕事の流儀では、司会者の男女の視野
からその人物なりを表現する格好がとられている。テレビ番組制作者の意図
が司会によって導かれるわけである。
その点、この番組は雑談の中に登場人物の人格が能動的に出されるわけで
視聴者もその言葉の中から自分の知りたい情報などを見極める面白さがある
のでは、と思う。

今回は瀬戸内寂聴と美輪明宏と若手新人作家(知らないので書かない)の三人。
80代、70代と30代の組み合わせは、やはり長老たちの話が中心に
ならざるを得ない。年老いてもなおも元気で説得力のある話しだ。
特に作家としての先輩のは「作家というもの、短命だから気をつけないと
すぐに忘れられてしまう。後に残る作家は稀だ」と後輩を気遣う。
舞台の先輩は「最近の若者では寺山修二を知らない人がいる」と時代の
流れの速さを話している。老人二人は自分たちの時代を突っ走って来た
わけだが、今の若者たちにとっての道標としてその輝きを失っていない。
美輪明宏の話に「30代で何でも分かったように思えていた自分だったが
50歳、60歳を超えるごとに知らないことが多いことに気づき、そして
今70歳を超えて初めて分かることも多いと話す」

前回は椎名誠、篠山紀信と坂東玉三郎だった。
この番組の別の面白さは、各界で中心的な人物である人が、別の世界の人た
ちとある意味での共通点を話しの中から語ることにあると思う。そして、
一般人には知りえない個々の交友の有り様についても興味深いところがある。