ゆきさんのブログ

元お祭りオヤジの周辺・・・

バブルの後遺症

2007年05月05日 09時30分21秒 | 祭人
昔、作曲家・山本直純のCMに「大きいことはいいことだ」というお菓子の
宣伝文句があって一世を風靡した。
時代は高度成長期で世の中がイケイケドンドンで沸いていた時だった。
いわゆるスケールメリットで、大都市など、大の付くことが大体は当た
った時代だったのだ。

ところが、今に来て、それは間違いだったということになっている。
大きいことばかりがいいことではない、と学者先生も言っている。
さらには、大きいばかりに失敗する、とも・・・。

この町のことを考えるに、町のスケールが小さいから何をやってもダメと
いう考え方がずっと信じられてきた。
「二本松は何をやってもダメな町」「魚の数が少ないから、その仕事は
成功しない」などと、多くの経営者たちは合言葉のように言い続けてきた。
このあたりのことを、もう一度考えなおしてみようと思っている。
本当にこの町は何をやってもダメな町なのだろうか。

昔、学校の勉強で、地方というものは何でも遅れて波がやってくると教え
られた。つまり、景気の悪くなるもの良くなるのも全てに時間差があると
いうことだ。今、大都市は景気が回復しつつあるという。ところが、この
あたりでは未だにそういう感じを受けない。先のバブル崩壊でも、少し
中央と遅れて景気が悪くなったように記憶している。さすれば、私たちが
景気が良くなったと感じるのはもう少し先になるのかも知れない。

私の頭の中にもバブルの後遺症が残っているようだ。
前述の「この辺りは小さい地方の町だから、何をやってもダメなのだ」と。
大の付くことはバブルの象徴のようなものだった。
大仕掛けが功を奏した時代だった。
そして、私たちの頭の中身も、そういうジンクスに染まりきっているのか
も知れない。

郊外型ショッピングセンターの進出ラッシュで、大型店同士の客引き合戦
が地元の商店街の上を飛び越えて空中戦の真っ最中である。

この小さな町だからできることを考えたい、と思う。

投票へ行ってきた

2007年04月22日 07時57分45秒 | 祭人
町おこしと選挙
ある郷土史研究家の言っていた言葉に、この地方の人たちの意識というものは、やはり
戊辰戦争で負けたということが心の奥深くに残っていて、あらゆる面でに引っ込み思案
であるかも知れないという。

たとえば、私の思い過ごしであるかも知れないが、一度政権を握ってしまった人や、当選
した議員たちに改めて異議をとなえることが少ない。その人たちに少々の不満があっても
「ま、いいか」と無投票になることが多い。
無投票になるということは、本来「あなたの政治姿勢でいいですよ」と意思表示をしたと
いうことになるのだ。
今回のこの地方の選挙でも無投票で決着した選挙があった。
その割には、後から不平不満が聞こえてくるのだ。
やはり、無関心ではならない。
本当に町を変えたいと思うなら、行動を起こさなくてはならないのだ。

この地方の経済というものは、以前は問屋も存在した。
今では立場が逆転してしまっているが、福島市や郡山市に商品を卸していた企業も多く
存在したのだ。だが、長い年月は今日の町の発展度合いを見ても格差は歴然としている。
そして、この地方に未来があるのかというなら、悲観的にならざるを得ない。

さて、この地方も含めて国中が深い不況から脱しきれていない。
この地方にも、昔なら経済を牛耳っている傑物がいて、その人たちが政治に大きな影響
を与えていた。あるいは、その人たちそのものが政治家になったこともあった。
だが、今は家業の仕事に忙しく他人の世話どころではないのが現状なのである。
その人たちが右というと町の将来がガラッと変わるようなことがあったのだった。
今や、そういう人たちに余裕がないので、言葉は悪いが、どうでもいいのが政治家に
なっているのかも知れない。

今の時代、本当に豊かなのだろうか。
私は明治末期から大正あたりが、この地方も含めて、本当の日本の豊かな時代であった
のではないかと考えている。
何故なら、文化というもは豊かな時代にのみ育つものである。
振り返ってみるなら、この地方の祭りもその時代に大きく成長したと考えられるし、又
太鼓台の新調にも見られるように、人々にそういうことに掛けられる金があったのだ。

今、生活に四苦八苦して、太鼓台を新調するなどと言ったら、キチガイ扱いされること
だろう。文明は進歩したけれど、文化を培養する時代にない。

できないか「二本松ワッショイ」(仮称)

2007年04月20日 10時00分11秒 | 祭人
面白いサイトめっけ!
二本松でもあらゆる情報のつまったポータルサイトを運営できないものだろうか。
リンクを紹介しているのはネットサーフィン(この言葉も死語か?)で見つけた
東京の各地を現地リポーターが地域に密着した話題を提供している。
名前は「トーキョーワッショイ」。

東京は巨大な地方の集合体だ。
世界中の、日本中の田舎が再現されていると言えるかも。
無論、生粋の江戸の文化も脈々と流れている。

さて、テーマはというと、これが何にも囚われていない。
飲み食い、アミューズメント、伝統文化などなと幅が広い。
さしずめ、これを二本松でやるとするなら、どういうことを考えられるだろうか。
この度合併によってできた元二本松藩旧領内である東和、岩代、安達でも、旧二本松
市内よりも長い歴史がある。このような文化を将来にむけていかにスポットをあてて
行けるかがポイントになると思う。

題材に選んだ、地域文化エンタメブログ「トーキョーワッショイ」は大都市のやり方。
二本松の場合は、二本松らしさ、二本松のやり方があるハズと思う。

二本松提灯祭り「お祭り会館」を標榜する私だけれど、だいぶ前に記述したように
単なる観光客だけを相手とした施設、あり方では将来を見据えたものにはならない
と考える。それらは、選考のそういうお祭り会館のおおよそが、観光客も少なく運営
に四苦八苦してる現状をみれば理解できる。
では、どういう形があるのか・・・それを考えている。

先の弘前大学の北原啓司先生の講演で聴くことのできた街おこしのポイントは、後
から大勢の人たちが参加できる仕組みに成功のポイントがあるという。
あらゆるジャンルの人たちに応援してもらえるあり方が鍵になりそうだ。

出版活動を通しながら感じる手ごたえは、このあたりに共感を覚え、さらには、今回
のポータルサイトに見られるような大勢の人に「迷惑」をかける形しかないのではと
思うのだが。

今朝、遅ればせながらお城山の桜の写真を撮りに行ってきた。
福島の新聞各紙の桜の開花情報、テレビが放映している各地の開花情報に「二本松の
霞ヶ城公園」は出ていないことが多い。名所と自負する二本松の人たちだけれども
宣伝が下手なのだと思う。これは、二本松提灯祭りについても言える。
意外と、市外に住んでいる人たちって、桜もお祭りも知らないんだよ・・・。

次世代の祭り

2007年02月24日 09時18分33秒 | 祭人
この後、何をしてゆくか

時が行きすぐままにしておくと、大切なものさえも気づかぬうちに風化して
ゆくのだ。たとえば、祭り囃子などは口伝えで伝承されてきた。専門家に聞
くと、囃子がダメになるのは笛の消滅からはじまるという。二本松提灯祭り
の祭囃子にも、昔はあったけれど今は笛が無くなってしまった曲が存在する。
それを、例えば復活させるようなことなどは意識的に行わなければならない。
そういう動きを祭り全体でどのように作り上げてゆくかが非常に大切なこと
と考えている。

時代と共に我が愛する祭りは変化してきた。その時代で受け入れられる形に
自分の形を変えながら。ただ、どんなに時代が変わっても祭りの軸を動かさ
なかったから今日まで伝承されているのだと思う。その軸を動かさないとい
うことは、愚直な郷土愛があったからではないだろうか。文明に駆逐されて
文化は軽んじられやすい。ただ、時代にそぐわないために祭り本体そのもの
が無くなっては元も子もない。次世代に受け継がれるべき形とは何なのかの
多くの議論を尽くしたいと思う。

では、誰が中心となるかである。再三、二本松提灯祭りの実行委員会のあり
方について提言してきた。若連単独では限界があること。そして、二本松神
社様を含めた市全体を挙げての祭礼の維持のための、即決即断ができる組織
母体が必要なのであること。七つの町内を密接に繋ぐ組織が必要なのである。
昨年、若連連合会を中心としてそういう動きがあったが、年が変わった今現
在は、はたしてどうなることか不透明である。今までと同じ、毎年一からや
りなおしの議論に終始しないことを切に望む。

私達が今後続けるべきことは、そういう祭りの中心となる組織を背後から支
えるサポーターであると思う。当然のことのように、フィールドで実際にプ
レーする者(祭りの参加者)は、サポータの居ない試合であり、いつか、試
合そのものの魅力をも失わせることになると自覚しなくてはならない。

昨年、暴風雨の中でも執行された祭りは見る人にも大きな感動を与えたと思う。
しかし、その陰にかくれた反省すべき点も多かったように思う。
祭りは自分の祭りであるが、同時に人々の祭りでもある。

今年のダイドー日本の祭り

2007年02月16日 16時40分08秒 | 祭人
5年目を迎えるダイドードリンコのスポンサーで行われる
ダイドー・日本の祭りには20の祭りが紹介される。
昨年、二本松提灯祭りが福島県代表だったが、今年は田島の
祇園祭りが取り上げられた。

20の祭りを見ると有名で大きな祭り、青森ねぶた、おわら
風の盆などがあるが二本松提灯祭りと良く似た、戸畑祇園
大山笠という祭りもある。三角形の提灯枠が二本松によく
似ている。

昨年の二本松提灯祭りに行われた「ひとことパフォーマンス」
では、全国18の祭りの中で人気度ナンバー3に入った。
また、スポンサー評価では二本松は第4位だった。
さらに、地元テレビTUFで放映された「若連人生・いのち
華やぐ」は視聴率が9%だったという。
視聴率の割合の評価はどのような基準でされるのか分からない
けれど、担当だったディレクター氏のハナシでは、社長賞もの
だそうである。

昨年の一連のブログやテレビ番組の放映にかかわって、今まで
にない数々の経験をさせてもらった。短足肥満おやじの顔を
一般にさらしたくはなかったのだが「祭りのPRになる」の
一言で乗ってしまった。

ブログやテレビで話せなかった沢山のハナシがある。
それを是非知りたいという人もいるので、まとめることができ
るなら、ほらどっこい5号にも掲載できればと思っている。

王の手であるうちに

2007年02月11日 10時12分29秒 | 祭人
今朝のテレビに石原東京都知事とそのまんま東宮崎県知事が揃って
出演していた。そろってテレビに出たことが興味深かった。
ベテラン、新米、どっちが有能?
方や交際費で、方や副知事選出でマスコミに提供する話題が絶えない。

さて、政治家というものは何が重要なのだろうか。
議会政治の場合は、提案者である首長がどれだけ議員を説得できるか
にある。だが、日本の場合、議案を考えているのは官僚であるので
思いつきで首長が左といっても簡単に右には向かないのが現状である。
まして、たいした名誉でもないのに議員様方は、なった地位を勘違いし
て提案されたことの善し悪しを判断するだけになっている。

亡くなった従兄(元町議会議員)が言っていた。
予算なんていうものは潤沢にあるもんじゃない。首長が自由にできる
額なんて限られているのだ、と。
特に既成路線を歩んできた町や県が急に路線変更と言われても、元々
レールの無いところへ電車は乗り入れられないのだ。
方向を変えたと思っていても、どっこい、ずっと残っているのが行政
の常套なのである。

長野県は脱ダム宣言をして臨んだ改革路線だったが、何の新展開も
見せずに終結した。また、元の路線に戻るという。あっちだの、こっち
だの連れ回される民衆にとってはいい迷惑だ。もっとも、それを選択
しているのも民衆だが・・・。

テレビの話しに戻るが、竹村健一が面白いことを言っていた。
「そのまんま東の今の手は、王の手だ」と。
「王が触れるものは、皆、金になる。今のうちに沢山触れろ。」と。

地方の小さな行政体が革新的に変貌をとげることは難しい。
夕張のように、よかれと思ったことが裏目に出ることもある。
しかし、丁半ばくちでもやらない限り、町や県は変わらない。
少なくとも、今までの路線の延長線上に輝くような未来は無い。

放送禁止用語

2007年02月09日 09時33分11秒 | 祭人
TUF取材中の松岡

最近、厚生大臣の発言問題で不毛な論争を展開している国会だが
言葉の使い方は本当に難しい。
また、話す人の人柄や置かれた立場、時と場合によっても同じ言葉が
違って受け取られることがあるようだ。
普通の人が子供が二人以上が望ましいと言ってもなんともないが
時の人はそうはゆかないようだ。

昨年のダイドードリンコにTUFのスッタフが再三二本松を訪れて
取材をしていったのだが、その時に放送禁止用語というものを初めて
実感したやりとりがあった。

スタッフ(以後S):お祭りについて子供さんと話されますか?
私:いいえ、あんまししゃべんねね。
S:何故お祭りについて調べてるのですか。
私:お祭り気ぢげなんでだべね、やっぱし。
S:それ放送禁止用語なんで、言い直して戴けますか。

と、まあ、お祭りキチガイはダメで取り直しになった。
しかし、語気を強める意味では、この言葉以外に「祭りに対する
情熱は尋常でない」という表現は見つからない。

私のウェブサイトで「二本松弁以外禁止のBBS」には
二本松弁辞書
を添付しているが、そちらでは
「祭り気違い=祭りシンケ」という。

おそるべし ブログ

2007年02月08日 09時46分47秒 | 祭人
ブログってホントにすごい

三日ほどまえにマンガ「蔵の宿」について私のブログに書いた。
そして、本日GOOGLEで「蔵の宿」という言葉を検索してみたら、
なんと2万6千ヒットのうち上から6番目に私の記事が載っていた。
いくら素晴らしいウェブサイトを金をかけて構築しても、素人がキー
ワードを的確に盛り込んだ文を載せただけで目に付くわけだ。
今の時代この仕組みを理解しながら情報を発信しない手はない。

一昨日、面白いことをBSでやっていた。
今流行っているビジネスに「バーコードアート」というものがある。
これって隙間産業だなぁ、と感心させられてしまった。
会社が小さくても関係ない。アイディアが良ければメジャーになれるのだ。
そして、それを可能にしたのはネットビジネスなのだと思う。
ブログの話しもそうだが、パソコンの画面上では大企業も個人も関係ない。
要は面白く伝えるパワーがあるかどうかだ。

バーコードアート社

今、物凄くモノの見せ方について考えている。
見せ方次第で光もするし陰りもする。
ネット上で二本松提灯祭りを上手にPRできないかナ。

マンガ・蔵の宿/二本松

2007年02月05日 08時45分49秒 | 祭人
マンガ喫茶で西ゆうじ作の「蔵の宿」というマンガを読んだ。
あらすじは、東京の大ホテルに勤める女性マネージャーが福井の実家(蔵元)の
父が亡くなったことによりふるさとへ帰り、新しく酒の蔵元と小さな蔵造りの
宿屋を経営し始めるという展開である。
そして、女将にふりかかる数々の難題をひとつずつ解決しながら生きて行くと
いうご当地マンガである。

さて、このマンガの中に城が登場する。
城の名前は「霞ヶ城」。あれ、どこかで聞いたことのある名前だが。
日本全国には「霞ヶ城」俗称がついた城は7つくらいあるという。隣の山形城も
別名は霞ヶ城というそうが、福井のこの城は現存する日本最古の城郭で国の重文に
指定されている。
ここに出てくるお城の正式名称は丸岡城である。

福井県のこの地方とは縁が深い。
もともと、二本松藩領主・丹羽家のルーツはこちらである。
この丸岡城は、丹羽長秀とともに織田信長の家老・双璧と言われた柴田勝家の
嫡男によって一向宗鎮撫の要として築城されたという。
時代は下がるが、柴田勝家に連なる鬼の作左と呼ばれた本多作左衛門の城でも
あり、「一筆啓上、おせん泣かすな馬肥やせ」は有名である。

こういうマンガに取り上げられるような物語が福島県二本松市にも欲しい。
歴史の宝庫、観光資源の宝庫といわれながら、本当に生かしきれていない。
全てがちぐはぐで、連なりがない。

お祭りを取り上げるにしても、何かストーリーが欲しい。
二本松提灯祭りのお祭り会館も単独では息が続かない、と思う。
常に新しく呼吸し続ける仕掛けを   

 探すぞ!



節分で豆まき

2007年02月04日 08時36分37秒 | 祭人
昨晩は豆まきをやった。

二本松地方の豆まきは掛け声が違う。
「オニーソト」と言う。「福は内」は同じ。
江戸時代のご領主様である二本松藩主が丹羽のお殿様だったためで、
「おにわそと」と言うと「殿様出てゆけ」という意味になるから
殿様への敬意のあらわれとして「おにぃー外」と言うようになった。
この現代においても、そういう風にして豆まきをしている家は多い。

家の戸を全部あけ、「おにーそと」「ふくはうち」と大声で言う。
家の中の全部の部屋に(後から拾うのが大変なので少々ずつ)豆を
まいた。
全く雪の降らない今年の冬だ。
伝統を守りつづけるこの田舎町にも何か異変が起きているのかも。