ゆきさんのブログ

元お祭りオヤジの周辺・・・

二本松提灯祭りは日本一だ!

2007年02月02日 16時41分59秒 | 祭人
BBSにも書いたけれど、きちんと残しておきたいのでブログにも書いて
おく。

誰が言い始めたのか知らないけれど、二本松提灯祭りは日本三大提灯祭の
ひとつという。
二本松以外の二つは、秋田竿灯祭りと愛知一色祭りである。
単に、提灯を使うという意味なのか。
だが、どういう基準で言っているのはも明確ではない。
三つの祭りは、多数の提灯をかつぐ秋田と、12個の大提灯をぶら下げる
一色祭り、屋台に提灯をつける二本松と祭りの形式は一様ではない。

二本松提灯祭り公式ウェブサイトを自負する私達は、二本松提灯祭りを
日本一美しい祭りと表現してゆきたい。
別に、三大でなくていい。
私達が日本一なのだ、と思う。

以前にも書いたことがあったが、二本松提灯祭りの最中にカメラを抱えた
ご年配のグループに二本松神社でであったことがあった。
どちらからおこしになったのかを尋ねたら、栃木の鹿沼から来たという。
鹿沼にも祭りがあって、屋台は二本松の太鼓台よりずっと豪華である。
その地元の祭りをさておいて何ゆえに?と尋ねれば「提灯が美しいからだ」
という。

二本松提灯祭りは田舎の祭りだけれど、祭りの催行の仕方や美しさから言う
と素晴らしい祭りなのだ。そして、何よりもましてお囃子が素晴らしい。
東北の風土が育んだ哀愁のあるお囃子なのだ。
こんな祭りは他には存在しない。 

と、思う。

ついでに、GOOGLEで愛知の一色祭りを検索するとヒットしない。
愛知「一色大提灯祭」で検索するときちんとしたウェブサイトが現れる。
一色提灯祭りで検索すると、二本松での発言がいっぱい出てくる。
つまり、二本松でしか一色提灯祭りと言っていない訳だ。

さらに、私のブログの書き込みやウェブサイトにおいては、二本松提灯祭りを
漢字で「提灯祭り」と書くことにする。
公式ガイドブック「ほらどっこい」の方も、ずっとそれで統一している。
いつの時代か正確にはわからないけれど、GOOGLEで検索しても、漢字の
二本松提灯祭りが断然多いのだ。

お祭り勉強会

2007年01月29日 11時47分55秒 | 祭人
お祭りサポーターを多くするために
やってみたいことがある。
二本松提灯祭りを楽しみにしている
のは若連や祭典事務員たちだけでは
ない。一般の人たちだって祭りを指
折り数えて心待ちにしているのだ。


しかし、祭りの中心に居ない人達にとっては、実際の祭りがどう
なっているのかを知らないひともいる。また、当事者たちでも
歴史やしきたりの変遷、太鼓台の構造などについても知らない
人達は多いと思う。

お祭り勉強会

参加は誰でもできる。
お祭りのルーツから、今の祭りの見所まで二本松提灯祭りを詳しく
勉強する講座をやってみたい。
一昨年、二本松第一中学校と第三中学校に郷土文化の話しをして
欲しいということでお祭りの話しをしに行ったことがある。
学校で研究のための臨時学級を開設すると言ったら、大勢の希望者
があったために、女子だけにしたそうである。
相手が女子だけに少々のとまどいもあったのだけれど、何ゆえに
女性は祭りに参加できないのか・・・などの女性ならではの興味深い
質問もくりだされた。

ご年配の方や子供達だって、興味を持っていること、知らないこと
が沢山あるハズである。本当にお祭りを知って、後世にそのすばら
しさを伝えてもらいたい。
出版を通して啓蒙活動を続けてきたけれど、次なる展開としては
さらに立体的に行動を起こしてゆく必要があると考えている。
実際、祭りの当事者の方々は忙しくて以下にあげるようなことが
できないと思う。

例えば、10回の連続講座で・・・
(勝手にこちらが考えた事だが、講師を誰にお願いしようかな)

太鼓台の形と機能
「何ゆえに竹田町はフットワークが良いか?」

彫刻の漆塗りと金箔施工の実際
「よい彫り物と悪い彫り物」

祭り囃子のルーツ
「二本松提灯祭りのお囃子はどこから来たのか?」

二本松提灯祭りの誕生と変遷
「提灯を点けるようになったのはいつから?」

二本松神社例大祭の神事
「例えば、発與祭って何?」

太鼓製造 
「よい音はどうすれば出る?」
「実際に太鼓を敲いてみる」「笛を吹いてみる」

車輪のかたち
「壊れない屋台の車輪を作りつづけて」

祭りの見所
「二本松提灯祭りは日本一番美しい」

と、まあ春先から夏の終わりくらいまでやれたらいいな。


(写真は平成18年10月1日、松岡太鼓台組立)

二本松提灯祭りの開催日

2007年01月25日 09時53分53秒 | 祭人
久しぶりに、またまた 二本松ちょうちん祭りの開催日について考えてみたいと
思う。ちまたで会う人会う人から「やっぱり、土日開催でないとダメだ」という
話しを聞くようになっている。

このブログでもお祭りの開催日について何度も議論されていることを報告した
けれど、年も代わったので再度ハナシを出してみたいと思う。

昨年、岸和田のだんじりが130年ぶりに開催日変更に踏み切ったという。
あれだけの祭り(とっても、国の重文に指定されているわけではない)が、観光客
の減少を上げている。もっとも、それでも61万人の人出だったそうだが。
岸和田だんじりのトラックバックで読んでもらいたい。

さて、開催日を変更すると人出は確保できるのだろうか。
この場合の人出とは「観光客」のことだけを言っているのではない。
若連、小若も含めた地域住民の祭礼に対する協力も含めていってる。
このあたりを分けてハナシをする必要があるのだ。

 開催者も祭りに出やすくなるか?

 観光客を呼びやすくなるか?   である。

私の友人も一時ウェブサイトで議論したことがるが、秩父夜祭の開催日については
昨年は「例年通り」開催すると議論の後に書いていた。

さて、今後の二本松ちょうちん祭りが10月4・5・6である場合
曜日の関係は次のようになる。

 平成19年(2007) 木・金・土
 平成20年(2008) 土・日・月
 平成21年(2009) 日・月・火
 平成22年(2010) 月・火・水
 平成23年(2011) 火・水・木
 平成24年(2012) 木・金・土
 平成25年(2013) 金・土・日

ということで、
メインの10月4日(宵祭り)がハナ金10月5日(本祭り)土曜日に
そして、最後の10月6日(後祭り)で盛り上がれるのはナント、あと
6年後の平成25年ということになる。
 
 


二本松提灯祭り/お囃子CDの販売終了

2007年01月25日 08時56分33秒 | 祭人
一応の区切りとして21日で二本松提灯祭りの
お囃子CDの販売を終了しました。年末年始に
かけての販売でしたがあまり知られない
内に時間が過ぎてしまったようです。

 本町:カメヤ書店(22-0068)
 根崎:若松屋書店(22-3388)では継続販売中


今後は、こちらのウェブサイトから販売してゆきます。
  二本松提灯祭り出版物 >こちら

二本松提灯祭りの出版物は「ほらどっこい」も含めてどうぞよろしく
お願いいたします。


NPO法人化について考える

2007年01月21日 15時06分18秒 | 祭人
お祭りの啓蒙をかねて出版事業を展開して5年になるが、あらゆる面において
活動に限界を感じ始めている。例えば、マンネリにならないだろうか等のこと。
単なる金儲けとしか受け取られないということなどから、いよいよ平面の事業
から立体へと展開する時期なのではないだろうか。
そのような意味からして、非営利法人(NPO)を設立することはどうだろうと
考えている。

非営利法人にするにあたってもいろいろメリット、デメリットがあるよようだ。

メリット:
団体が契約の主体になれる /団体が資産を持てる /代表者の交代が円滑になる
資金調達が容易になる /公共事業への参加が容易になる /節税が可能
従業員を雇える /社会的信用が高まる

デメリット:
活動内容に制約がある /厳正な事務処理が必要 /税務申告義務がある
設立に時間が掛かる /情報開示が必要 /財産の名義変更に問題がある

などだそうだが、事業を行う面において最大の問題点は、法人の支出総額の
50%を超えて営利事業ができなくなる。このあたりに公共性という意味合いが
あると思うのだが、このあたりはまだよく調べてみなくてはならない。

収益を上げて、祭りそのものにも貢献したい。
例えば、太鼓台に使用する「ヤマナシノキ」の植樹事業や、祭礼保存、お囃子
保存などの直接的な事業も展開して行きたいと考えている。さらに、地域社会に
おいて、祭りを通して社会教育なども展開してゆきたいと考えている。行政で
限界のある部分について祭りを実際の教育の場として使うのだ。

例えば、お祭り会館を運営して、生涯学習としての地域研究や社会奉仕ワーク
ショップの現場とすること。青少年の健全育成を目的とした、お囃子伝承館と
して定期的に研究会などを老若入り混じって行うことなどは意味深いものが
あるのではないだろうか。

いずれにしても、お祭り会館を観光客のみを対称として運営することには限界
があるだろうし、全国には「作ったは良いけれど地域のお荷物」になっている
例は上げたらきりがない。通年観光の拠点としての役割を果たすのは当然とし
ても、プラスアルファで、常に存在の意味がある完成度の高いものに結び付け
て行けないものかと考えている。

5年間続けてきたベースを基にして、私達が続けてきた事業をより公共性を
持たせる意味でも、NPOを含めて地域と溶け込んだ形が必要になって来ている
のではないだろうか。

お祭り会館だけじゃ無理じゃろ

2007年01月13日 11時57分33秒 | 祭人
人間というものは、相当欲張りにできているらしい。
今や、世の中にあまたのエンターテイメントが溢れている。
だから、おじいちゃん、おばあちゃんの老後の楽しみとしてスタートした二本松の
菊人形は時代遅れとなってしまっている。

聞くところによると1億円以上の赤字が昨年に続いて出たとか。
普通の企業だったら、銀行に対しての印象も悪いわけだから、即このプロジェクト
は中止にさせられるだろう。
毎年毎年、NHKの大河ドラマ おんぶじゃ 飽きられているのだ。
しかし、継続できているのは役所がバックにあるからなのか。
はてまた、やめるに止められない事情というモノが存在するからなのかも・・・。

ハナシがそれた。
そこで、お祭り会館をつくりたいなどとのヌカシテいるこの私なのだが、やはり
お祭り会館だけでは人は呼べないと思う。
お祭り会館には、常に情報を発信できるような仕掛けが必要なのだ。
毎年毎年、同じようなものを見せているだけでは飽きられる。
菊人形がいい例である。

だから、お祭り会館はユニークなモノでなければならない。
常に新しい? そんなことができないか?

冒頭に書いたけれど、全国で人が集まってくるお楽しみのスポットは盛沢山の
アイディアで溢れていて、そら飽きない仕掛けがあるのだ。
例えば、食い物とのコラボレーションなんか・・・どうかな?
全国から食いしん坊を集めるお祭り会館・・・なんちゃってネ。

 お祭り会館で ラーメン 食べよう!
 日本全国のお祭りに出会える+ラーメン博物館 <<< ちと悪ノリ かな

お祭り会館とは何か

2007年01月11日 10時37分22秒 | 祭人
他地方におけるお祭り会館の現状。と、言っても、そう多くのお祭り会館を
見てきたわけではない。これから、本当にお祭り会館を建設するのが良いの
かも含めて、調査や研究を続けて行きたい。
まず、第一回目としては、お祭り会館とはどういうものなのかを考えてみよう
と思う。

お祭り会館は本当に必要なのだろうか?
いわゆる通年観光の拠点としてお祭り会館があることによって、お祭りを年中
見たり、触れたりすることができる、というものだ。
しかし、本来ならお祭り本番に来て見てもらうのは一番いいに決まっている。
では、それでもお祭り会館は欲しいのだろうか。

太鼓台の展示室として
今、二本松市が所有する太鼓台のレプリカは、二本松市歴史資料館に常設展示
されている。ただ、訪問してご覧になった方は分かると思うが、提灯枠までは
ついているのだが、肝心のスギナリの頂点が天井につかえている状態なのだ。
知らない人が見たら、ああいうものかと思うかも知れない。
もっとも、太鼓台の展示用に建てられた建物で無いのでいたしかた無いのだ。
また、よく口にして言われることは「観光バスの入れない久保町にある」とい
うことで、多くの二本松市への来訪者がその見るチャンスを少なくしている訳
でもある。

場所はどこがいいのか
この問題は多くの議論を重ねることになると思う。何しろ、二本松市内には
多くのTMOが存在して、その核ともなりうるお祭り会館はハナシがあちこち
で出ている。ただ、お祭りそものもの存続や維持を願っている私達にとって
場所の問題よりも重要なのは、二本松提灯祭りを正しく多くの人に見てもらう
ということが重要であって、どこの出来るかはさして問題にならないと思う。
強いて言うなら、観光客の利便、いや、市民の利便を最優先するべきである
と思う。

お祭り会館の目的
場所の部分でも少々触れたけれど、観光客だけを相手にしたお祭り会館だけ
では不足があるというものだ。お祭り会館は二本松提灯祭りの殿堂としての
位置づけが欲しい。例えば、地元の小中学生が郷土研究でお祭りを知りたいと
思ったら「お祭り会館」へ行けば判る、という風にありたいものだ。
つまり、単に太鼓台や祭りのシーンを見せるだけの入れ物であってはならない
ということである。

最近、亀谷町の唐破風が里帰りしたという記事を書くために、二本松市の文化
財倉庫(旧原瀬小校舎)を見せていただいた。二階の教室だった一室にそれは
置いてあった。原瀬の盆踊り屋台に使われていたものが亀谷に戻され、亀谷町
では保存ができないという理由から二本松市へ寄託したわけである。文化財の
保存について述べるだけの知識はないので二本松市の保存の仕方について論評
はしないが、亀谷町の破風のほかに他町から寄贈された車輪や山車の土台など
も一緒に置いてあった。
少なくとも、一般市民の目に触れやすい場所でないことは確かである。
その点からすると、貴重な二本松提灯祭りの歴史を振り返る意味では役不足と
言わざるを得ない。だから、そういう歴史研究の場としてお祭り会館があるこ
とは必要であると思う。

お祭り会館を作りたい!

2006年12月23日 09時29分37秒 | 祭人
私用があって埼玉へ行った。時間が少しだけあったので川越お祭り会館を見学してきた。
5年ほど前の町づくり先進地視察で訪れたことのあった川越の街中だが、その中心地に
お祭り会館が建設されていた。(平成14年オープン)
駆け足の見学だったので細部までは分からないがなかなか雰囲気のある建物と展示内容で
あった。

川越は小江戸と言われるように蔵を中心とした門前町を上手に残した町だ。
ウダツが上がらないの語源、蔵の上にあがる装飾のついた立派な蔵が残る街並みだ。
町の中心地が駅の方へ移り、さびれてきた古くからの商店街の活性化を狙って町づくりが
展開された。町づくりの成功例として全国から注目されている。

ただ、今回のお祭り会館の建設は、どうも官主導型であったようだ。
建設地と建設プランなどについて地域住民(蔵の会という)となかなか折り合いがつかな
かったようである。街中に大きな建物を造ることと町並みを維持することに不具合が生じ
ることになったからだ。

しかし、建物に入ってその苦労の後が分かるようだった。
通りからお祭り会館に入るのだが、「えっ」と思うほど入口が小さく、奥が深い。つまり、
通りからは大きな建物を予測できないくらい入口を圧縮した形で、通路でどんどん奥へ
入って行きホールに行き着くという形なのだ。建物の内部は暗くしてあって雰囲気十分で
あった。

展示の山車(山車とは人形などの乗る屋台をいう)は、川越祭りに参加している
実際の山車である。祭礼に曳き出されるのは30台弱だそうだが、現代になって
造営されたものもあり、会員にかっている山車のみが祭りに参加することを許さ
れているようだ。その内の重文に指定されていない山車が毎年祭礼終了後から2
台ずつ展示されている。

話しは変わるが、二本松でも菊人形展示期間中に各町内の太鼓台を展示したこと
があった。しかし、空調などの設備や管理が不十分なのdで展示の後の後遺症が
甚大で、木部の狂い、提灯が伸びるなどがあって二、三年で持ち回りの展示は取
りやめになった。
その後、菊人形に展示されるようになったのレプリカで市所有のものである。
これは歴史資料館に常設になっている。
だが、ご承知のように資料館の展示室は屋根が低く、見せどころのスギナリが
天井につかえる始末で、計画性が全くないのが現状なのだ。

お祭り会館は建物があればいいというものではない。
また、太鼓台を展示できればいいというものでもない。
運営は難しい。
どうすれば、通年で素敵な提灯祭りに年中出会えるか・・・である。
このことをシッカリと考え、人を呼べる仕組みをつくり、誰がどのように運営
して行くかを考えないと失敗する、と思う。

これから、来年にかけて多くの人の話や研究をつづけて実現させたいものだ。

お囃子の魅力

2006年12月22日 13時20分43秒 | 祭人
二本松提灯祭りのお囃子は福島県重要無形文化財に指定されている。
だから、どうした・・・という人もいるかも知れないが、とにかく独特のお囃子である。

お囃子のルーツはいろいろな説あるようだ。
江戸の流れをくむというけれど、江戸の祭り囃子とは似ても似つかない。
局の中に「祇園」という言葉もあるけれど、京都の祇園祭がルーツではないようだ。
長い年月をかけて伝播してゆく過程で変化したものと思われる。
東北の風土がそうさせるのか、短調でものがなしいところがある。
いくらアップテンポでも、やはり、哀愁のようなものがウラにあるようだ。

今年、お祭りのライブ版CDを出してみた。
今までのCDやレコードはスタジオで録音したものだ。
ハイ、演奏して!と言われて録音したものだから、生の音とは違いがある。
屋外、生で有る分、当然他の音も入るし人の話し声もある。

しかし、やはり祭り本番に演奏される曲だから、これが本物なのである。
本番にかける演奏者の意気込みは、やはりノリが違う。
周りではやし立てる合いの手や掛け声も合わせて お囃子 と言えるハズである。

詳しい紹介は>私のウェブサイトで!

先ごろ、二本松藩江戸上屋敷が議員会館建設の為の発掘で出土品があったという。
週間ポストにデカデカと記事が書かれていた。
実際の様子は週刊誌のレポートとかけはなれているようだ。

だが、二本松藩の江戸上屋敷は山王神社の入口に位置している。
天下祭りのひとつの山王祭(日枝神社)でも、もうひとつの天下祭りの神田祭と
同様に通りを埋め尽くすほどの山車や屋台が出たと記録がある。
二本松藩の殿様がその祭りを見て、地元でも奨励しようと思わなかったとはいえないだろう。

二本松って難しい

2006年12月01日 09時16分13秒 | 祭人
師走になった。あっと言う間の一年だったかも知れない。
お祭りの取材をはじめて5年目になるが、いろいろなメディアにも形で取り上げら
れるようになった年だったと思う。一昨年と昨年にFMふくしまの生番組に出たり
今年はテレビにも出ることになった。また、みんぽうの読者に無料で配られる「
ハイみんぽう」にも祭りの紹介者として取り上げられた。

今年、二本松にダイドーコーヒーのCMクルーがやって来て、二本松提灯祭りの
本番の様子とそれにまつわる人達の「日本の祭り・一言パフォーマンス」が行われた。
この番組は「お祭りが日本人を元気にする」というコンセプトで全国にあるお祭りに
スポットライトを当てて、CMに利用するという企画なのだ。メインキャラクター
はあのエジプト考古学者の吉村先生だ。また、この企画の中心になっているのがダ
イドーコーヒーのお祭りブログ「日本の祭り18選」なのである。(ダイドーの社長
と博報堂のシニアディレクターは早稲田の同窓生とか)

私とこのブログの出会いは昨年にさかのぼる。
聞くところによればこのブログは三年目なのだそうだが、昨年は福島県代表として
「相馬野馬追い」が選ればれていた。これに選ればれている祭りには、それぞれに
現地リポーターなるブログ担当者がいるわけだ。
二本松の提灯祭りがこ選ばれ、お祭りを紹介してもらえることになった。このことを
二本松市観光課から初めて知らされたのは今年の2月頃だったと思う。観光課では
内容をよく知らなかったハズだが「現地リポーターという役目」があるはずだから
お願いして、とこちらから頼み込んだのだった。
後は周知のとおりの二本松のお祭りを年間を通して記事をアップすることを続けた。
最低週1回は投稿するようにこころがけて半年を無事終えることができた。

このお祭りブログにはおまけがあった。CMを流す為の母体となる地元テレビ局に
よるテレビ番組があるのだ。やがてTUFの担当者が二本松にやってくると聞かさ
れ、お祭りの見所、取材をして欲しい場所などのアドバイスをした。これで終わり
と考えていた。しかし、まさか、自分が中心になって番組に出ることになろうとは
思いもよらなかった。本当に正直な話、あまりテレビに映りたくなかったのだ。

二本松と言うところは、目立つ動きをすると、その者の足をひっぱる地域性がある。
なんとか出版の仕事を続けてきた。私は自分の名前をどこにも出したことがない。
公然の秘密になってしまっているけれど、二本松では目立たないようにしていた方
がいい町なのだ。しかし、自分の志惑とはうらはらに、テレビ局のディレクターが
どんどんと二本松提灯祭りの伝え方を決めて行った。そしてそれが今回放映になっ
てあの手の形という訳である。

ディレクターの言葉そのものを借りていうと「ゆきさん、例えば、二本松の人以外
に祭りを伝える時、若宮の太鼓台だけが回転を違う方法でやっているのです。など
と言っても短い放送時間では分かってもらえないでしょう」と。その通りだと思っ
た。私のねらいは、二本松提灯祭りをメジャーにすることである。だから方法は何
でも良いと考え、大阪や東京にも出かけテレビ局の望むままの取材に応じた。
番組放映終了後メールがあって、視聴率9.9%だったそうである。私には分からない
けれど相当いい数字らしくて「社長賞モノ」だそうである。テレビ局の番組モニタ
ーの評価文書も見せてもらった。なかなかの評判だったようだ。

いずれにしても、自称「公式ウェブサイト・二本松提灯祭り」「公式・二本松提灯
祭りガイドブック・ほらどっこい」などが評価され、CMの元締めとなっている博
報堂のディレクターに目がとまり、CM対象の祭りに選出されたのだと思っている。
そして、数々の取材が半年間をかけて行われ、切り口の一味違う二本松提灯祭り紹
介番組が放映されたということになる。

只今、平成18年度祭礼のライブ版お囃子CDを制作中である。本来なら、スタヂ
オ版との二枚組みで出版する予定だったのが足並みを揃えられなかった。文化セン
ターでの公開収録、教育委員会など関係機関の同意、会場確保、収録スタッフ確保
、編集者のめどなどすべての準備がOKだった。所詮、個人が仕掛けたことに違い
はない。力不足を痛感している今日だ。

ほらどっこい>カレンダー>DVD>CD・・・新しいことにチャレンジして来た
けれど、この町・二本松では全てが難しい。