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大山忠作先生がお亡くなりになった。
先生は二本松市根崎町の染物やに生れた。
苦学して東京美術学校(現在の芸大)に学んで、芸術院会員、日展理事長、
同会長を務めるなど日本の美術界に大きな影響を与えた人だった。
ご縁があって、仕事で何度か先生の新宿のお宅におじゃましたことがある。
何でもそうだけれど、トップに登りつめる人というのは、周りに気配りのできる人
であると言えるかもしれない。
絵画というものは形と色彩と陰影で描き上げるものなのだろうけれど、片隅で人の
陰に隠れている者へも心配りをされる方であった。
個人的には、美術家としてよりも、人間として大きな人物だったと思っている。
お祭りが大好きだった忠作先生。
文化功労賞の受賞を記念して地元で祝賀会が開かれたおり、町内は違うけれど松岡
のお囃子を呼び、演奏に加わっていただいたら、涙を流して喜ばれた。
どうぞ、安らかにお眠りください。
先生は二本松市根崎町の染物やに生れた。
苦学して東京美術学校(現在の芸大)に学んで、芸術院会員、日展理事長、
同会長を務めるなど日本の美術界に大きな影響を与えた人だった。
ご縁があって、仕事で何度か先生の新宿のお宅におじゃましたことがある。
何でもそうだけれど、トップに登りつめる人というのは、周りに気配りのできる人
であると言えるかもしれない。
絵画というものは形と色彩と陰影で描き上げるものなのだろうけれど、片隅で人の
陰に隠れている者へも心配りをされる方であった。
個人的には、美術家としてよりも、人間として大きな人物だったと思っている。
お祭りが大好きだった忠作先生。
文化功労賞の受賞を記念して地元で祝賀会が開かれたおり、町内は違うけれど松岡
のお囃子を呼び、演奏に加わっていただいたら、涙を流して喜ばれた。
どうぞ、安らかにお眠りください。
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