「介護告白したら戦力外」の恐怖心 支援の空気つくれぬ企業
本の題名
「心理カウンセラー坂口由美の鬱病お悩み相談室」
学校で仲間外れにされると、心が安心できないから、女性は誰でも鬱病になる
このたびは、全日本カウンセラー協会にご相談をお寄せいただきまして、ありがとうございます。
ご相談の内容を分析させていただいた結果、ご相談者さまの心の病は、「鬱病」であると考えられます。そして、この「鬱病」の発生原因は、「なぜ、大学での女友達から、仲間外れにされるのか?女の仲間に入れてもらえないのか?」という女の能力の出来、不出来として測定されるものなのです。女性は、学校に入学すると、それ以降、死ぬまで、「女の派閥争い」というグループからから抜け出て、その一員ではなくなることは出来ません。「女の派閥」から足を洗うことは出来ないのです。この「女の派閥」こそが、日本人だけに特有の「女のグループ」です。
「女の派閥グループ」は、現在では、保育園・幼稚園から発生しています。「男の目」「世間の目」「学校の先生の目」を前提とした無意識の選択の中で形成され、大学生で「女の派閥グループ」は解体されます。この解体現象の中で「1対1」の最小グループになります。
「女の派閥グループ」の関わり方は、間接的です。気持ちの仕組みの中でも「心情の関係」の付き合い方です。日本人の「女の派閥グループ」とは、この「心情の関係」という距離のある関係を結び付けるやり方に特質があります。
「女の派閥グループ」は心情の関係で社会をつくろうとしている
心情の関係の本質は、性格の本質に土台があります。性格とは、相手が喜ぶから自分も喜ぶという気持ちの安心の言い換えでもあります。人間は、自分の気持ちが安心しないと何も正しく考えられません。正しく考えられないとは、究極においては、「絶望して死ぬ」ということです。もしくは、無気力になって精神や身体の活動が停止するということです。
「死ぬ」か、「活動の停止」までに「鬱病」「躁病」「統合失調症」「神経病理」という「心の病」が、あらわれるのです。「女の派閥グループ」の心情の表現は、相手が喜ぶから自分も喜ぶという気持ちを安心させる方法をおこなっていることになるのです。
これは、日本の母親が子どもを産んで、子どもが痛くて泣いているときは、自分も気持ちが安心しないので、母親は子供に気持ちを同化させて、子どもになりきってあやしたり、遊んだり、幼児語をつかってお喋りをしたりということをやるということから始まります。
ところが、イギリス人やフランス人の母親は、「夫婦別姓」が当たり前と考えているように、言葉の表現を曖昧にすることを許さず、誰でも好きなようにイメージして良い言葉を断じて遣わせないのです。文法的にきちっと言うまで言い直させて表現させています。このことは、母は自分だけの人生の道を歩き、子どもは、子ども独自の人生を自力で歩めるようにと、最初から大きく距離を取った位置で、子どもに関わっているということです。
すなわち、日本の女性は、心情の関係を優先させて、「水臭いことをいうな」「他人行儀なことをいうな」「感情を我慢しなくていいんだ」「好きなことを言え」などと言葉を曖昧にぼかして、いい加減な表現で言葉を遣って、気持ちを安心させるという異常性を、「これが正常である」「これが正当なのだ」「なぜなら、みんな言っているじゃないか」と、呪文のように反復して言い募るから、この異常が、正常であるとして、まかり通ってしまうのです。
しかし、「女の派閥グループ」に属さない人間には、真逆のことを言います。「あなたの言うことはおかしい、変だ、間違っている」「あなたの言葉遣いは気に障る」「あなたの発音は訛っている」と変換して、都合の悪い話には耳を貸さない、言葉を喋らせないという悪意をぶつけます。「女の派閥グループ」に属している人は、これを聞いて、「味方である」「好きだ」「守られている」と気持ちが安心するので喜びを感じます。母親は、この心情の関係を最優先させることで、自分と我が子の外敵を打ち負かすディベート、舌戦バトルを展開します。この方法で子どもを庇い、外敵を攻撃する代償として、死ぬまで我が子に取り憑いて、我が子の人生を乗っ取り、離さないように、逃がさないように、しがみついて生きていくために、こうするのです。
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