ガラス玉のようなしずく。 時間を吸い上げ 静寂の中 割れることなく沁み入るだけで・・・。
2022年8月29日の再発、転移の病理検査結果が出た。 ・・・頭の中を冷静に整理し 言葉(文章)にするまでが時間がかかってしまった。。。
結論から言うと・・・ 一生「浸潤癌」、「予後不良因子」高値、 他 陽性反応アリ、とのことで 1か月半毎日『放射線療法』をしないといけない事に決定した。
(以下自分の記録なのでスルーOKデス)
手術しても『 浸 潤 癌 』という元々の性質は(30代からの進行癌は)変わらないそうで 根治が難しい性質の癌なので なくなるわけではないとのこと。
つまり 綿毛のように生え続ける癌性だから 手術しても あちこちに飛んでる(画像に写らないような)綿毛が 飛んではまた根っこを生やし再発や転移を繰り返すそうで
この性質はこれからも一生変わらない・とのこと。 ←こう改めてまともに言葉で聞くと 先々の通院の長さに気が遠くなり そこちょっとショックだった。
おまけに「 予後不良因子 」という数値が(「ki67」?や他陽性反応など)高く、(遺伝性もあるようです)。。。 1ヶ月半、「毎日」放射線療法。
「ただの予備治療程度なら受けたくない!」と言ったけどそうでないから「ダメ!受けて!」と; 前の抗がん剤の中でも「最も強いあの抗がん剤」受けるよりマシとは思うけど。
それで、入院1か月半宣言され、、(空気椅子トイレ...いや、それよりコロナ禍でまさに刑務所のような缶詰1か月半入院・・・それはキツイ!)と頭の中をめぐり駄々をこねると、
しばらく考えた(博多の)先生が 「じゃあ・・・放射線だけ地元で受ける? だけど放射線だけよ、他必ずこっちに帰ってきてくれるなら!」と、提案してくれた。
それで今、博多で1か月半の入院になるか 地元・北九州で放射線だけ通えるか?の調整中。。。 (9月現在・記)
この癌の詳しい性質とかの話や 痛い! とか小さなことは・・・色々詳しくは面倒もあってあまり人言えていない。。。 特に娘NANAはあまり聞きたい話ではないと思うから。
(以下も、自分のコト整理の独り言m(_ _)m スルーして下さい。)
手術した箇所以外に 癌痛がアチコチ現れたりするけど、(まぁそんな大したことではないのですがf^^;)
普通に車に乗り、娘の送迎、買い物、家事、通院、他、、、 もちろん、(皆様同様)自分以外 ご飯作ってくれる人がいるわけないので 当たり前の生活してます。
大人はいよいよまで、どんなであっても「動かざるを得ん」が殆ど。動かされているから元気というのもあるが元気でいなきゃいけない・んですよね、特に女性の皆様ホントに凄い!
さて…治療という名の通院はとにかく時間ばかり要する。 30代から・・・ 40代最後の今まで生かされてきて もちろん「ありがとう」と思うこと多々だけど たまに
「こんな事に大切な時間(歳)を奪われて💧」 と、 ずっともったいない気持ち ( +通院=心配と医療費ばかり )が 背景にあるのも事実。。。 (自分一人ならしないな~)
ずっとこんなこと(癌)に引きずられながら 来年1月で50歳。。。 あっという間に 癌で亡くなった母の歳に近づいた。 そうふとちょっぴり悲しくなる時がある。
病気だからって心配して寄り添ってくれる親もいない。 子供を預ける所もない。(今は大学2年の娘だが当時は小4で私の車椅子を押し普通の4年生より苦労させてるし..)
病気で楽になれる事はなかった。 これからもそうだけど 娘には申し訳なさがいっぱいで。。。 だけど、そんな人、身近にいないだけで世の中沢山いるよね。と。
何も考えずに「まだ若い!」を楽しみながら歳とりたかった。。。 子育てを終え自分の人生を歩めている後の癌とも違う と 正直色々悔しく思わないでもない。
何も知らずに 自然まま 若い時を 深く考える事なく積み重ねて生きたかった。 亡母もそうだったのだろうな と同い年に近づいた今頃痛い程わかるようになった。
これが同じ思いをしている誰かへの寄り添う励みになればそれでいいと思って生きてる。 人を励ますなんてそんな大層なことはできないけれど。
現在、整骨院施術スタッフ。(→保育士主任から急な転職) 患者様への施術デビューから5年生(笑)。 だけど6月から現在、病気休暇中。。。
原発乳がんが右胸なので 一番使う右手腕から負荷がかかるといけないらしく(癌が増殖する?とかなんとか?で)ドクターストップ中。 力仕事はまだ?できないらしい。
時間がある内に 身体が動く内に 何でも色んな「沢山」をもっともっとしたい私としては体力はあって仕事出来ない身体じゃないのに(しかも治療費かかる時に;)って悔しく思う。
す~んごい(全身全力の)力仕事だけど 患者様に逆元気も貰えるこのお仕事が好きで・・・ それが出来ない自分が 何にも出来ない無力人間に思えて、モヤモヤ陥る毎日。
それで13年やってきた幼稚園教諭、保育士に戻ろうか?とも考え中。 とにかく何か少しでも誰かの心身に響くような仕事をしたい! お仕事は社会の中で生き甲斐得られるもの。
家事はどれ程頑張っても褒められないし(爆)感謝されないものねw; 家事嫌いまではないけど 毎日毎日のご飯作りの(買い物~献立~作る~洗い物他)時間すら勿体なく感じてw;
お仕事は誰かの小さな役に立てる上に感謝までされその上お給料まで頂く上に なにより・・・ 「イチ人間」として 自分が生かされるもの。
せっかく生きてるこのイチ身体を動かし どんなに小さくても誰かの心身のためになるのなら 惜しみなく心込めて全身全霊で痛いところに寄り添いたいと思ってならない。
綺麗ごとでも何でもなく心底思う切実な熱い気持ち。
(10月現在・記)
放射線科だけのセカンドオピニオンということで、病院同士の調整だけで「2か月近く」もかかった・・・ (セカオピは相変わらずスムーズでなく長い! 北九州→博多の時もそうだった;)
で、10月やっと・・・放射線だけ地元で通院決定した。 (1回目の時の手術~抗がん剤をした元の北九州の病院に再び逆オピニオン!?💦 ナナと同じ病院。)
10月5日、紹介状を持って診察に行った。 よさそうな先生にいい看護師さんがいてホッとした1回目でよかった。
放射線治療・解ってはいたけど やはり説明や文書で「皮膚への影響」「内臓(右胸なので特に)放射線肺炎になる」ことや 「この治療は発がん性があるのでご了承ください。」と。。
「二次がんの発生」=放射線は照射された部位から癌ができる率が高いとされている。。。 うん、やっぱし抗がん剤同様、治療という名の治療なんだね。と冷静に承諾サインを書いた。
次は10月13日、CTと診察、放射線を当てる印のマーキング。 そして、10月18日からいよいよ放射線療法が始まる。。。
毎日決まった時間に放射線をあてに通うのも(ちゃんと必ず毎日通えるか?)プレッシャーだ。。。 ( 仕事と思わないといけないけど お金がかかる仕事だね・・・(==;))
それと・・・ 失敗した~と思ったことが。。。
10月13日から1か月半平日同じ時間に毎日(北九州の病院で)放射線あてに行くのに 10月28日、博多の通院も入っている。。。(「放射線の状況聞かせて」と←電話じゃダメなの⁉;)
北九と博多(放射線真っ只中で)・・・副作用はまだ元気とは思うけど 1日に病院2件巡りは流石にキツい。。。(車の交通量が多いのでソコから高速でも片道早くて2時間~2時間半かかる)
ちなみに・・・放射線は治療が終わっても 修了してから「数年後まで」副作用の状況を診ないといけないらしく(10月5日の説明)・・・あれ!?これって・・・
これから先ずっと 北九州と博多の病院、「2重病院」で通院しなきゃならなくなったんだ。。。 と (@∀@;)
私の何よりも一番大切な「時間」が (+医療費も) 今までよりさらに大変になったことに気づいてゾっとしている現在です。。。(==;)
ここに記させていただき そして こんなどこの誰だかわからないイチ人間のつぶやきを読んで頂き 本当に本当に!どうもありがとうございます。。。☆彡
どうか頑張って下さい、、
陰ながら見守って居ます、、
早く薬が出来て治るといいのにね。
でも、頑張るしかありませんね^^
したっけ。
あまりにも辛い内容に
まだ頭がついていけていません
何も出来ないけど
頑張ってください
たぶんできずに、ただおろおろしているだけだと思う。
随分大変そうですが、きっと乗り越えられると信じています^^したっけ。
勧めてるわけではないけど、少しでも気持ちが明るくなりますように、治って欲しい。
第2のGraceひろさんになって。
だがしずくはいつまでも輝いて割れない。
時が経つのも忘れてひっそりとたたずむ。
自分の心に一滴のしずくを反映させれば
それは永遠の魂を思い起こさせてくれる。
決してあっては欲しくない病との闘いに
しずくが生きる活力の源になってくれる。
ほんとうにたいへんですね。
私もお産で退院した日も心臓弁膜症で退院した日も大腸癌で退院した日も私がご飯を作りました。
が、その後、回復したから良かったですが、回復がわからない闘病は想像することもできません。
でも、神様は耐えられないことは与えられないと聞きますから、なんとか頑張ってください。
またお話を聴かせてくださいね。