ジョイス・マイヤーの本
思考という名の戦場より
《神のことばという武器》続き
その他の武器には、賛美と祈りがあります。賛美をすると、他のどんな戦術よりもはるかに速やかに、敵を打ち負かすことができます。ただし、単なる口先だけの賛美や、「本当に効き目があるかどうか、ひとつ試してみてやろう」といった気持で歌う賛美では意味がありません。心の底からささげる「本物の賛美」でなくてはならないのです。また、賛美と祈りには、神のことばが伴います。神のことばの上に立って、神様を賛美するのです。いかに最高なお父さんであるかを思いながら、神様への感謝を表すのです。
祈りとは、天のお父さんである神様とのコミュニケーションです。神様に助けを求めに行き、自分が困っていることについて神様と話をすることです。それは交流であり、友情であり、神様の存在そのものや、与えられた数々の素晴らしいことへの感謝を表す手段なのです。
祈りが答えられることを望むなら、まず父である神様との個人的な関係を深めることから始めましょう。神様があなたを愛していること、また憐れみに満ちていて、どんな時でもあなたを助けたいと願っていることを、しっかり心に留めましょう。そして、イエスを知り、イエスとの深いつながりを築いてください。イエスはあなたの友だちです。あなたのために、命さえも惜しまず捧げてくれました。また、聖霊と親しくなってください。聖霊は、1番身近な助け手として、いつもあなたとともにいてくれるのです。だから、どんな時も聖霊に助けてもらいましょう。
そして、私たちの祈りを、神のことばで溢れさせましょう。
・詩篇9:10
御名を知る者はあなたに拠り頼みます。主よあなたを求める者を あなたはお見捨てになりませんでした。
ここには神のことばの権威に立って、私たちの必要を神に願い求めることができると書かれています。
このように、神のことばは、様々な場面で用いられる武器であることがわかります。私たちは、神のことばで祈り、神のことばを語り、神のことばを歌い、神のことばを学ぶのです。
・Ⅱコリント10:4-5
私たちの戦いの武器は肉のものではなく、神のために要塞を打ち倒す力があるものです。
私たちは様々な議論と、神の知識に逆らって立つあらゆる高ぶりを打ち倒し、また、すべてのはかりごとを取り押さえて、キリストに服従させます。
パウロがⅡコリント10:4-5で述べているように、私たちの武器は肉のものではなく、霊的なものなのです。私たちは、悪霊の長たち、あるいは悪魔そのものと戦っているのですから、霊的な武器を用いなければなりません。イエスでさえ、荒野で悪魔を打ち負かすために、神のことばの武器を用いました。
・ルカの福音書4:11-13
彼らは、その両手にあなたをのせ、あなたの足が石に打ち当たらないようにする』と書いてあるから。」
するとイエスは答えられた。「『あなたの神である主を試みてはならない』と言われている。」
悪魔はあらゆる試みを終えると、しばらくの間イエスから離れた。
悪魔が偽りをもってイエスに迫るたびに、イエスは「…と聖書に書いてある」と応戦したのです。
神のことばの武器を使うことで、頭の中に築き上げられた要塞を、メアリーにも破壊することができます。真理を知れば知るほど、その心理が彼女を自由にするのです。そうなれば、すべての男性が父親のようではないことに、やがて彼女は気付くでしょう。中には、彼女の父親のようなひどい男性もいるでしょう。しかし、そうでない男性も、世の中にはたくさんいるのです。ましてや、彼女の夫・ジョンは、父親のようなひどい男ではありません。ジョンは、メアリーを心から愛しているのですから。