オイラの「街道をゆく」シリーズは、
石川県内の旧北国街道を歩き、現在の街道沿いから当時の名残りを求めて
富山県境の倶利伽羅峠から福井県に向けて旧街道を南下しているわけです。
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今回は県外編として、最初の倶利伽羅から逆に富山県側へ行ってみました。
倶利伽羅峠は石川富山両県の県境でこの峠は旧街道の風情を色濃く残している場所なのでぜひ行ってみたかったんだ。
で、早朝に行って来たわい
まずは味方の本カマ~ン
青印が県境。
ここです。
そしてまさにここが、加賀国と越中国の境界線なのだ。
では越中国に行きましょう
ここからの100メートルほどの道は、
完全に昔の旧街道の姿そのものです。
大変貴重な100メートル。
そこを抜けると猿ケ馬場(さるがばば)でした。
見晴台から、地獄谷方向を見る。
見晴台から降り、先に進もうとした時に・・・
一瞬だけ、風が吹き、
八重桜の花びらが信じられないほど舞い上がったのです。
おぉ!
まるで死者の魂を浄化するかのように
そうここは悲しき場所なのです。
倶利伽羅峠といえば、旧街道もそうですが、
何と言っても源氏と平氏の戦いがあった地で、倶利伽羅合戦地なのです。
源義仲率いる源氏軍平維盛率いる平氏軍、
両軍合わせてなんと15万!(源氏軍5万、平氏軍10万 諸説あり)
あの関ヶ原の戦いの匹敵(東軍8万、西軍8万 諸説あり)する人数です。
見晴台にはこういう案内板もあります。
興味あるんだよねぇ~。
この付近には多くの戦いの跡があるのです。
源平供養塔。
この猿ケ馬場には
火牛の像があります。
牛の頭に松明を点けて平氏軍を崖から追い落としたとあるが、
実際こういう戦術が取られたとは考えにくいですが・・・。
松尾芭蕉も奥の細道で通った倶利伽羅峠
一句読んでますな。「義仲の寝覚の山か月かなし」
芭蕉が朝日将軍とうたわれた木曽義仲の末路を涙して詠んだとあります。
おっ!
平氏軍の本陣です。
まさにここで軍議を開いたんだね。
平氏軍は圧倒的な戦力だったのに・・・・。
油断したのか、おごりがあったのか・・・、
とにかくこの倶利伽羅峠は、
旧北国街道に倶利伽羅合戦に後で紹介する倶利伽羅不動寺にと歴史好きにはたまらない場所です。
さて進もう!
が!
通行止め
う~ん・・
あれ?
車はダメだけど、徒歩ではもう少し行けそうです。
親父行きま~す♪
おっと、
ここは見晴らしのいいビュースポット
小矢部の町が見えますね。
遠くに立山連邦の山影が見えます。
倶利伽羅峠にはこういう案内板があちこち立っており。
合戦の情報を教えてくれます。
この下から義仲本隊が駆け上がってきたのか。
旧街道の案内
これより旧街道に入ります。
お~け~!(恐くないよ)
熊よけの音だし棒
お~け~(こっちは怖い)
よし!
木とか叩いて音を出しながら進みます。
ここは砺波山
雰囲気あるね
このような小休止スポットもあります。
誰もいません・・・
だからこそ、熊が怖い・・
おっあったあった!
ガン!ガン!ガン!ガン!ガン!
必要以上に叩くオイラ
弘法の水。
弘法大師が水を出したという伝説はどこにでもありますね
カコン!
ずいぶん下ってるね。
えっほえっほ
おっ
道路に合流です。
「源平合戦の時、平軍の将、平行盛この地に陣を布き源氏方と対峙した」とある。
しばらく行くと、70歳前くらいの老夫婦がベンチで休憩していた。
挨拶すると、「どうぞどうぞ」ともてなしてくれた。
タケノコご飯のおにぎりとか山菜のおかずまで頂戴しました。
旨い
いろいろ会話していると、
この方々は小矢部市の在住の方で、
なんとこの倶利伽羅峠のいろいろな管理や世話をしている団体に所属しているということです。
今日も旦那さんは草刈り機を持ちこんで、沿道の除草されているのだ。
先程からかわいらしい白い立て看板があったけど、それも設置されたし、
あの熊よけのガンガンや棒なんかも設置されたのだ。
そういえば、あの旧街道なんかも雑草も無く普通に歩けるのは、まさにこの方々のお陰である。
それからいろいろ話しました。
オイラ「もっと県や市が整備すれば多くの人が来ると思うんやけどね」
老婦「いえ、昔日本人同士がここで戦い、多くの方が亡くなったこの地をそっとしておく方がいいんやろね」
そうか地元の方はそういう考えをするのか・・・。
オイラ「NHK大河ドラマ、義仲・巴来るといいですね」なんか言っちゃって。
老婦「そうやね~、世話しとるだけあって来たら嬉しいねぇ」
小矢部市はNHK大河ドラマで木曽義仲と妻の巴御前の物語を誘致しているのだ。
ごちそうさまでした
お礼を言って離れました。
そして、しばらく進むと・・・
ここか・・・
なんと!
ひどいがけ崩れです。
こりゃ行けんわ
よって石川県側、富山県側から通行止めにしてるんですね。
しかたないので、このまま引き返します。
倶利伽羅不動寺に向います。
おや、
へぇ~、しかし字が・・・
この不動明王像は埴生大池の水源とされる「不動の滝」の御守護としてここより北方向約百米下所に祀られていまた
さっきの老婦のおばさんに言おうかななんちって
かわいらしい不動尊さんですね
この下にあったんだ・・
おっ不動寺が見えてきた。
ふぅ~着いたぞ
まだ早いのか車はほとんど停まってませんでした。
お参りしなきゃね。
あっいい感じ。
色鮮やかだと写真が映えるから。
倶利伽羅不動寺は開山1300年です。
いいね。
さてそろそろ帰ろう。
今日はこれだけ進みました。
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石川県内の旧北国街道を歩き、現在の街道沿いから当時の名残りを求めて
富山県境の倶利伽羅峠から福井県に向けて旧街道を南下しているわけです。
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今回は県外編として、最初の倶利伽羅から逆に富山県側へ行ってみました。
倶利伽羅峠は石川富山両県の県境でこの峠は旧街道の風情を色濃く残している場所なのでぜひ行ってみたかったんだ。
で、早朝に行って来たわい
まずは味方の本カマ~ン
青印が県境。
ここです。
そしてまさにここが、加賀国と越中国の境界線なのだ。
では越中国に行きましょう
ここからの100メートルほどの道は、
完全に昔の旧街道の姿そのものです。
大変貴重な100メートル。
そこを抜けると猿ケ馬場(さるがばば)でした。
見晴台から、地獄谷方向を見る。
見晴台から降り、先に進もうとした時に・・・
一瞬だけ、風が吹き、
八重桜の花びらが信じられないほど舞い上がったのです。
おぉ!
まるで死者の魂を浄化するかのように
そうここは悲しき場所なのです。
倶利伽羅峠といえば、旧街道もそうですが、
何と言っても源氏と平氏の戦いがあった地で、倶利伽羅合戦地なのです。
源義仲率いる源氏軍平維盛率いる平氏軍、
両軍合わせてなんと15万!(源氏軍5万、平氏軍10万 諸説あり)
あの関ヶ原の戦いの匹敵(東軍8万、西軍8万 諸説あり)する人数です。
見晴台にはこういう案内板もあります。
興味あるんだよねぇ~。
この付近には多くの戦いの跡があるのです。
源平供養塔。
この猿ケ馬場には
火牛の像があります。
牛の頭に松明を点けて平氏軍を崖から追い落としたとあるが、
実際こういう戦術が取られたとは考えにくいですが・・・。
松尾芭蕉も奥の細道で通った倶利伽羅峠
一句読んでますな。「義仲の寝覚の山か月かなし」
芭蕉が朝日将軍とうたわれた木曽義仲の末路を涙して詠んだとあります。
おっ!
平氏軍の本陣です。
まさにここで軍議を開いたんだね。
平氏軍は圧倒的な戦力だったのに・・・・。
油断したのか、おごりがあったのか・・・、
とにかくこの倶利伽羅峠は、
旧北国街道に倶利伽羅合戦に後で紹介する倶利伽羅不動寺にと歴史好きにはたまらない場所です。
さて進もう!
が!
通行止め
う~ん・・
あれ?
車はダメだけど、徒歩ではもう少し行けそうです。
親父行きま~す♪
おっと、
ここは見晴らしのいいビュースポット
小矢部の町が見えますね。
遠くに立山連邦の山影が見えます。
倶利伽羅峠にはこういう案内板があちこち立っており。
合戦の情報を教えてくれます。
この下から義仲本隊が駆け上がってきたのか。
旧街道の案内
これより旧街道に入ります。
お~け~!(恐くないよ)
熊よけの音だし棒
お~け~(こっちは怖い)
よし!
木とか叩いて音を出しながら進みます。
ここは砺波山
雰囲気あるね
このような小休止スポットもあります。
誰もいません・・・
だからこそ、熊が怖い・・
おっあったあった!
ガン!ガン!ガン!ガン!ガン!
必要以上に叩くオイラ
弘法の水。
弘法大師が水を出したという伝説はどこにでもありますね
カコン!
ずいぶん下ってるね。
えっほえっほ
おっ
道路に合流です。
「源平合戦の時、平軍の将、平行盛この地に陣を布き源氏方と対峙した」とある。
しばらく行くと、70歳前くらいの老夫婦がベンチで休憩していた。
挨拶すると、「どうぞどうぞ」ともてなしてくれた。
タケノコご飯のおにぎりとか山菜のおかずまで頂戴しました。
旨い
いろいろ会話していると、
この方々は小矢部市の在住の方で、
なんとこの倶利伽羅峠のいろいろな管理や世話をしている団体に所属しているということです。
今日も旦那さんは草刈り機を持ちこんで、沿道の除草されているのだ。
先程からかわいらしい白い立て看板があったけど、それも設置されたし、
あの熊よけのガンガンや棒なんかも設置されたのだ。
そういえば、あの旧街道なんかも雑草も無く普通に歩けるのは、まさにこの方々のお陰である。
それからいろいろ話しました。
オイラ「もっと県や市が整備すれば多くの人が来ると思うんやけどね」
老婦「いえ、昔日本人同士がここで戦い、多くの方が亡くなったこの地をそっとしておく方がいいんやろね」
そうか地元の方はそういう考えをするのか・・・。
オイラ「NHK大河ドラマ、義仲・巴来るといいですね」なんか言っちゃって。
老婦「そうやね~、世話しとるだけあって来たら嬉しいねぇ」
小矢部市はNHK大河ドラマで木曽義仲と妻の巴御前の物語を誘致しているのだ。
ごちそうさまでした
お礼を言って離れました。
そして、しばらく進むと・・・
ここか・・・
なんと!
ひどいがけ崩れです。
こりゃ行けんわ
よって石川県側、富山県側から通行止めにしてるんですね。
しかたないので、このまま引き返します。
倶利伽羅不動寺に向います。
おや、
へぇ~、しかし字が・・・
この不動明王像は埴生大池の水源とされる「不動の滝」の御守護としてここより北方向約百米下所に祀られていまた
さっきの老婦のおばさんに言おうかななんちって
かわいらしい不動尊さんですね
この下にあったんだ・・
おっ不動寺が見えてきた。
ふぅ~着いたぞ
まだ早いのか車はほとんど停まってませんでした。
お参りしなきゃね。
あっいい感じ。
色鮮やかだと写真が映えるから。
倶利伽羅不動寺は開山1300年です。
いいね。
さてそろそろ帰ろう。
今日はこれだけ進みました。
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