歯科医物語

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坂本龍一がシャンパーニュ、クリュッグをイメージして作曲

2022-12-27 23:00:34 | ☆メディア(本・映画・Web・音楽など)
坂本龍一がシャンパーニュ、クリュッグをイメージして作曲



味覚や嗅覚を超えた知覚表現を追求し、ミュージックペアリングを提唱するシャンパーニュのクリュッグ。メゾンは世界的音楽家の坂本龍一に作曲を依頼。偉大なヴィンテージ2008年から生まれた3つのキュヴェを表現する組曲が完成し、披露された。

ピアノソロからアンサンブルそしてオーケストラへ。クリュッグの世界観を表す組曲


 

RYUICHI SAKAMOTO
静かにゆっくりと奏でられるピアノの調べ。坂本龍一が唯一無二のシャンパーニュ、クリュッグの3つのキュヴェをイメージして作曲した「Suite for Krug in 2008」は、ピアノの独奏から始まった。 欧米に住む多くの人々にとって、坂本龍一はYMO(イエロー・マジック・オーケストラ)のメンバーというよりも、映画音楽の作曲家のイメージが強いらしい。クリュッグ家6代目のオリヴィエ・クリュッグも、『戦場のメリークリスマス』(仏題は『Furyo(俘虜)』)で初めて坂本を知ったという。

 


坂本はこの映画にヨノイ大尉役で出演すると同時に音楽も担当し、英国アカデミー賞作曲賞を受賞した。 クリュッグラヴァーを自任する坂本が、メゾンから作曲を依頼されたのは2年前。2008年というひとつの収穫年に生まれた3つのキュヴェ、「クリュッグ クロ・デュ・メニル 2008」「クリュッグ 2008」「クリュッグ グランド・キュヴェ 164 エディション」をテーマとする楽曲の創作であった。 では、これら3つのキュヴェとはいったいどのようなシャンパーニュなのか。 まず、クロ・デュ・メニルはクリュッグが所有するわずか1.84ヘクタールの単一畑。シャルドネの聖地とされるコート・デ・ブランのグラン・クリュ(特級畑)、ル・メニル・シュル・オジェの中心にあり、1698年以来、周囲を石垣で囲まれている。

 

この畑で栽培される白ブドウのシャルドネから、特定の年にのみ造られるブラン・ド・ブランがその名もクロ・デュ・メニル。単一畑、単一品種、単一収穫年という、ひたすら純粋性を追求したシャンパーニュである。 次のヴィンテージは、クリュッグの創業者であるヨーゼフ・クリュッグが提唱した第2のキュヴェ。単一収穫年のブドウから造られるシャンパーニュである。ヨーゼフはメゾンが生みだすふたつのキュヴェについて自らの手帳に書き記し、第2のキュヴェを「その年の状況に応じて変わり得るもの」と定めた。ヴィンテージは一般に、よい年の優れたワインを選んで造られるが、クリュッグの場合は異なり、「その年のストーリーを最も如実に表現するワイン」が選ばれ、組み合わされる。



 では、第2のキュヴェがヴィンテージなら第1のキュヴェは何か? それがグランド・キュヴェである。年ごとの天候如何によらず、この上なく豊潤なシャンパーニュを目指して毎年リクリエイト(再現)されるもの。10前後の異なる年のワインを含み、アッサンブラージュ(ブレンド)されるワインの数は200を超えることもある。 またラベル上に見られる数字はエディションナンバーで、初代ヨーゼフが創造した最初の第1のキュヴェを起源に、毎年その再現を繰り返してきた回数を表す。最新は「170 エディション」だが、今回はアッサンブラージュされた最も若いワインが2008年となる「164 エディション」だ。




SEEING SOUND, HEARING KRUG 音を視る、クリュッグを聴く
ところでシャンパーニュと音楽という、一見、何の繋がりもないように思える組み合わせだが、クリュッグでは以前からその関連性に注目し、「KRUG ECHOES(クリュッグ エコー)」と題してミュージックペアリングを提案してきた。耳に響く音楽は、シャンパーニュの香りや味わいと共鳴するとの考えに基づいた試みである。 さらにそのシャンパーニュ造りにおいても、クリュッグは音楽的なアプローチを取る。女性シェフ・ド・カーヴのジュリー・カヴィルをはじめとする醸造チームは、アヴィーズのシャルドネはチェロ、アイのピノ・ノワールはホルンといったように、シャンパーニュ地方にある個々の区画を演奏家と捉えている。そして彼女らは毎年400といわれる候補の区画を“オーディション”し、その個性を見極め、どのキュヴェに用いるかを決めるのだ。
 



そのなかにはクロ・デュ・メニルのシャルドネのようにソロで輝く区画もあれば、サント・ジェムのムニエのように、ソロには向かずともオーケストラのシンフォニーには欠かせない区画もあったりする。 さて、同じ収穫年から造られたクリュッグの3つのキュヴェをテイスティングし、坂本は3楽章からなる組曲とすることを閃いた。 第一楽章はピアノの独奏。まさにクロ・デュ・メニルの純粋性を象徴する、清らかな音色が響く。ゆっくりとしたテンポで軽やかにメロディーが流れ、途中で曲は低いキーに変わる。まさにシャルドネのエレガンスとクロ・デュ・メニルの厳格なミネラル感が表現されている。 第二楽章は弦楽五重奏にハープとピアノ、木管楽器を加えたアンサンブル。坂本はこの構成で2008年というヴィンテージを表現した。この年は過去10年で最も冷涼で、日照時間の短かった年。ただし夏の天候は安定し、葡萄はゆっくりと成熟した。エレガントかつ凝縮感にも富むこのシャンパーニュに、メゾンは「クラシック・ビューティ(時を越えた美しさ)」という別名を与えている。




 第一楽章もそうだがこの第二楽章は特に、日差しが弱く涼しげな印象の2008年を、どこか寂寥感を漂わせつつ、美しい曲に仕上げている。もしもヴィンテージが2003年や2006年のような、暑く太陽に恵まれた年だったら、このような曲調には決してならなかったであろう。 第三楽章はフルオーケストラ。11の異なるヴィンテージにわたる127種類のワインが組み合わされたグランド・キュヴェ 164 エディションの、豊潤さ、深み、何層にも折り重なるレイヤーを、ヴァイオリンの透き通った調べやオーボエの柔らかな音色、ホルンの落ち着いた響きなどが紡いでいく。終盤徐々に盛り上がり、一気に炸裂するエンディングは、グランド・キュヴェ 164 エディションの並外れたスケール感を表すものだ。 今回のプロジェクトの根幹にあるテーマが、「SEEING SOUND, HEARING KRUG~音を視る、クリュッグを聴く~」。坂本の曲はクリュッグを聴覚で味わわせるだけでなく、2008年のシャンパーニュ地方の情景やそこでの人々の営みを、はっきりと可視化してみせてくれた。 RYUICHI SAKAMOTO 1952年東京都生まれ。YELLOW MAGIC ORCHESTRAで活動後、音楽家として多方面で活躍。映画『ラストエンペラー』では、日本人初のアカデミー賞作曲賞を受賞した。革新的な音を追求する姿勢が世界で高く評価される。

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平田が現役引退の決断

2022-12-27 22:58:13 | ☆メディア(本・映画・Web・音楽など)
元中日平田良介「原点」からのリスタート 実家前の公園で引退決断語ってくれた

10月4日、中日ドラゴンズを自由契約となり涙を流しファンへの感謝を語る平田
<とっておきメモ>  今オフに中日から戦力外通告を受けた平田良介外野手(34)が28日、自身のSNSを通じて引退を発表した。 【写真】自らの原点でもある実家前にある公園で取材に応じた元中日平田     ◇   ◇   ◇  平田が現役引退の決断を語ってくれたのは、大阪市内の実家前にある公園だった。小学1年生で野球を始めた原点の場所だった。「ここで夜、練習をしてました。おやじがコーチとかしてくれて、ネット張ってティーバッティングしたり」。野球人生をスタートさせた思い出の地で、エンディングの決断を明かした。  戦力外通告から約半月がたった10月の下旬、本音を聞いた。「本当はどこでもいいので野球はやりたい。独立リーグでもいいんです」。だが、養わなければならない家族を思うと、夢は追えなかった。潔く決断した。「だいぶん、ふくらはぎ、太ももがしぼみました。(未練は)もうないです。もう満足してやめられます」。  小中学時代は、この公園に集合して、少年野球チームの練習場所へ向かった。高校時代は、公園の横を通って、5キロ以上先の大阪桐蔭まで自転車で通った。「ここは僕のパワースポットです」。原点から人生のリスタート。すがすがしい笑顔が、冬晴れの空に

 
バッティングコーチをしてほしい



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中村俊輔が「生涯ベストイレブン」を選出!

2022-12-27 22:50:38 | ☆メディア(本・映画・Web・音楽など)
 フォーメーションは3-4-3。


GKには川口能活氏が選ばれた。同氏について中村は「回転寿司とか行くと白身しか食べない」と、そのストイックな一面を語っている。 

DFは中澤佑二氏、井原正巳氏、故・松田直樹さん。「アジアの壁」とも呼ばれた井原氏に関しては「人間性がプレーに出てる。すごい細かい所も見れてるし、人のカバーとか早いし読みが良い」と語った。 





 




CHには喜田拓也と上野良治氏を選出。喜田については那須氏から「どういうとこが良いんですか」と問われると、「サッカーに対する誠実さとか人間性じゃない?それってずっと続けてるとプレーに出てくる。いつか花が咲くし、監督はそれを見てるし、見ざるを得ないようになってるしなって思わせた」と答えている。




 



  WBは右に故・奥大介さん、左に三浦淳寛氏が入った。後者に関して、中村は「自分がしたいことを全部持ってた。だから、同じポジションだったらまずかったなあって思う。足早いでしょ、キックすごいでしょ、ブレ球蹴れるし」と、その能力を絶賛した。



 



  3トップは右から故・ユ・サンチョルさん、城彰二氏、マルキーニョス氏。城氏については「これが日本代表か…!って感じを新人のくせに味わえた。俺なんか新人のために裏走ってくれたり、センタリングも“この辺!”ってやってくれるからすげえ出しやすかった」と、当時の思い出を話している。




 
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岸田総理 “防衛増税”「スタートの時期までには選挙がある」

2022-12-27 22:33:44 | ☆エッセイ・コラム
岸田総理 “防衛増税”「スタートの時期までには選挙がある」 出演BS-TBS番組で

防衛費増額の財源の不足分を増税で賄う方針をめぐり、岸田総理は、出演したBS-TBSの番組で、増税の引き上げ時期を決めた後には国民の審判を受ける機会があるとの認識を示しました。



 岸田総理 「結局、国民の皆さんに負担をお願いするのは、令和6年以降の適切な時期、そして終わりが9年ですから、その間の適切な時期ということになりますので、そのスタートの時期はこれから決定するわけですから、それまでには選挙があると思います」

「防衛費増税」を うたって 絶対選挙はしないと思う

 
 

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名匠・大森一樹の世界 1980年「ヒポクラテスたち」

2022-12-27 22:33:08 | ☆メディア(本・映画・Web・音楽など)
名匠・大森一樹の世界 1980年「ヒポクラテスたち」 主演は日活ロマンポルノから軸足を移した古尾谷雅人

若き医学生を好演した古尾谷雅人
【名匠・大森一樹の世界 アイドルからシリアスまで】 また名物監督を失った。11月12日に急性骨髄性白血病のため、70歳で死去した大森一樹監督は業界では異例の「即監督デビュー」でマスコミをにぎわした。その謎は彼の経歴が教えてくれる。 1952年に大阪市に生まれた大森監督。少年時代は手塚治虫の大ファンだったという。 京都府立医科大に在学中、「グループ無国籍」という仲間を募り、映画にのめりこんでいく。そして「暗くなるまで待てない」という16ミリ映画を自主制作し公開すると、「キネマ旬報ベスト10」の21位に食い込んだ。学生映画の快挙といえる。




 そして78年に「オレンジロード急行」のシナリオが城戸賞をかっさらい、同作で商業映画デビューを飾った。これは東宝の大林宣彦、日活の石井聰互と並ぶ快挙。その後、彼らは大成するのだから、才能のオーラを最初からギラギラ放っていたわけだ。 「ヒポクラテスたち」は、大学医学部を舞台にした自身の体験から生まれた映画だ。たくさんの受賞歴が才能を見事に表している。 ただの医者のタマゴの青春映画だと思っていると、次第に狂気をはらんでいくのがミソ。 主人公の愛作を演じた古尾谷雅人は日活ロマンポルノで活躍していたが、この作品が一般映画での初出演。



以来、軸足を移すきっかけとなった。また内藤剛志や斎藤洋介のデビュー作でもある。 医大が舞台ということもあり、手塚治虫が小児科の教授で出演。また作詞家・ミュージシャンとしても知られる精神科医の北山修、大森監督が尊敬する鈴木清順監督も特別出演している。

 

 当時、話題を集めたのは「ふつうの女の子に戻りたい」との名セリフを残して引退した元キャンディーズの伊藤蘭が復帰したことだ。

 


復帰の甲斐あってか、第2回横浜映画祭で助演女優賞に輝いている。 監督は劇中、伊藤に「蘭」というたばこを吸わせているが、大森監督ならではジョークだろう。他にも市民運動に精を出す学生に対し、「そんな時間があったら、大学で勉強して一人でも多くの苦しんでいる患者さんの力になったほうがいい」と言葉を投げかけるのは、完全に監督の体験そのもの。 ロケは母校の寮や東邦大医学部、三鷹の井の頭病院など実在の場所が多い。 

 

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