全員が管理職になり忙しくなってくると、場所を変えるのは無駄ではないか、と言うことになり最初から会場が飲み屋になってしまいました。さらに、そこそこの中枢的な部署に配置される者も出てくると、政治家であるトップの政策と自分たちの理念との乖離も出始め、個室を占領できる大正時代から続く老舗の飲み屋(というと聞こえは良いですが、単なる古びた飲み屋)で怪気炎を上げることが主体になってしまいました。
今では全員がリタイヤしてしまいましたし、古びた飲み屋も廃業してしまいましたので、ごく穏やかな昼食会に変化してお酒もせいぜい2合程度・・・と健康な集まりになりました。
団塊の世代であり60年安保後の先輩と70年安保~大学紛争を経験した世代などの集まりですから、やはり現在の政治情勢などに対する「ごまめの歯ぎしり」てきなぼやきも多くなります。
今回は先輩が角川文庫の「辛酸-田中正造と足尾鉱毒事件」(城山三郎著)を取り上げましたが、本の話は全く出ず四方山話に終始しました・・・田中正造のことは皆知っているから?・・・いつものことですが。
この年になると健康の話や何人かの先輩が趣味にしている札所巡りなどが話題になりますね~
次回は私ですが、ずっと気になっていた吉田松陰の「幽囚録」にしました。本自体は講談社学術文庫からでている奈良本辰也「吉田松陰著作集」に収められています。
なにが気になっていたかというと、幕末の志士達や明治維新を賛美するような風潮の中で、わずか100年にも満たない間に何度も対外戦争を繰り返し、結局「大東亜戦争」で軍人や民間人会わせて一説では約310万人とも言われる膨大な日本人を殺すことになった源は何だろうかと思ったからです。
日清戦争の前の対外戦争(薩英戦争・・・などの幕末の各藩と諸外国の戦争は除いて)は秀吉の朝鮮出兵(文禄・慶長の役 西暦1592~1598年)までさかのぼります。1853年に黒船が来航した後、日清戦争が1894年に始まっていますから300年間対外戦争をしていません。それに対し、1894年から1945年までのわずか51年間になんと多くの戦争をし、我が国民だけでなく諸外国の人々を殺戮しているのですから、まさに異様な世界、本来の日本人の姿ではないように感じるのは私だけではないと思います。
この、幽囚録を読んでみて、当時の社会情勢を前提に考えなければならないので、決して今の世界を前提にした批判は当たらないとは思いますが、松蔭の思想にアメリカ、イギリス、フランスなどの列国と互していくためには、朝鮮や中国、東南アジアなどに対する帝国主義的な「国威拡張」が必要だとの考えがあったことはよく分かりました。
ある意味ではこうした幕末の思想が日本における「戦争の半世紀」の土台になったと思いますが・・・
最新の画像もっと見る
最近の「日々の随想録」カテゴリーもっと見る
最近の記事
カテゴリー
バックナンバー
人気記事