ラヂオ惑星モルファス

社会に不可欠な仕事


コロナウイルスが蔓延し世の中が自粛~自主的ロックダウンの頃、「エッセンシャルワーカー」という言葉が飛び交っていた。この言葉は初めて知ったのだが、社会を支える基本となる仕事に従事しる方々・・・というような意味だろうか。
医療関係の石・看護師、福祉介護の従事者、ごみ収集、浄水場などの水道関係、交通・犯罪関係の警察官、そしてワクチンの通知を配達してくれた郵便関係者の皆さん・・・・・
当時、医療関係の状況は毎日のように報道されていたが、郵便関係者のことはあまり日が当たっていなかったろう。毎日、必要な通知が配達されること当たり前、通知が来なかったり必要な受診券が来ないなどということは想像もできなかっただろう。配達されるのは、どのような状況であっても当たり前と考えていた。そこは、宅配とは全く異なる世界。宅配は飽くまでこちらが注文し届けてくれるよう依頼したものだ。もし不着ならば契約違反ということになるが、郵便の場合は任意の契約だけでなく、部分的には国家などの権力行使の一環ということができる・・・ということは、不着ということは契約以上に許されない世界なのであろうか?

実は、4月の第1週から第2週にかけて、風呂の水栓が壊れて修理に追われていたり、地域自治会の会計という立場であるため、昨年度収支を全部点検して決算報告や監査資料の作成だけでなく、市へ提出する補助金の実績報告書と新年度の交付申請書の作成など山のような仕事に紛れ、毎日の郵便物のチェックまで手が回らなかった。
ふと気づくと、この2週間の間に必ず着いていなければならない会議の開催通知が来ていない。他のメンバーに確認したり発送元の役所に確認して、どうやら通知が来ていないのは私一人。
郵便局に問い合わせてみたが、配達すべき郵便物はちゃんと配達している、と言うばかり。やむなく知り合いのルートを使って腑に落ちないことを伝えたが、「郵便物が届いていない」ということを証明するのは全く難しい。制度に従って不着の調査をすることは可能だが、翌日に迫った会議のためには、なぜ不着だったかの原因を探り、行方不明の郵便物を探し出したとしても、何の役にも立たない。

「間違って配達された」なんてことは簡単だが、「配達されていない」という証明を受取人が行うのは無理である。
前に記した通り、郵便物は社会の基本的な構成要素であって、公的・私的を問わず確定的な関係を成立させるものである。もちろんそれが強制力を伴う場合は「書留」「配達証明」などによって通知の効力の発生を確認しているが、通常郵便物であっても、一般的には郵送した!と言えば、相手方には当然に送達され周知されると推認されている。
郵便物の不着によって、郵便制度・・・これは日本の極めて基礎的な社会成立要件なんだとあらためて気づいた次第である。つまり、葉書一通の内容を確かめるために多数のメンバーや公的機関に確認のために手を煩わせた。やはり郵便制度は大事であるが故に確実な運用をお願いしたいものである。


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