1月の終わりに娘が学校行事で鎌倉に行ってきた。
由比ガ浜や小町通など何度となく連れて行った事があるのだが、
今回は班単位での子どもたちだけの行動で、
鶴岡八幡宮は必須でそれ以外は自由。
全部で3箇所の名所を訪れて、好きなところでお昼を食べる。
娘らは大仏をやめて、鶴岡八幡宮以外この2箇所に行ったのだった…。
その最初が銭洗い弁財天。
画像のやつは参道の案内?…になるのかな?
若い頃は北鎌倉で降りて、駅の傍らの柏尾川支流の小川に
わらわらいるくさがめなんかを見て、山越えでのんびり行ったものだ。
銭洗い弁財天の入口。
この左に宇賀福神社の表札のような碑があるんだけど…。
それは知ってる人は知ってるが、銭洗い弁天は洞窟の中にあるのだよね。
娘、お金をお清め中。・・・ひゃ、100円!?!!?
・・・お札はやらんのかね!?話したのになぁ…。
一応清めたら倍になるらしいのだよね。200円じゃん!!!
もっとも学校行事なので3000円しか持ってってないけど。
交通費はpasmoとかだけど、お昼も現地で食べてお土産って
ちょっと少ない気もしなくもないけど、
買い物メインじゃなく名所巡りメインなので
カツアゲにでも会ったら敵わんし、妥当なところかな?
だから万札は清められないけど千円札は持ってるのに…。
なんでも濡れたら財布にしまえないから…だそうだ。
縁起物なんだからそんなの気にすることないのに…。
その後境内に行きお参りして次のところへ。
何の変哲も無いこの情景だが、
普段まっ平らな平地に住んでいる娘らは、
日常が坂のある生活を知らないのでこれだけでもいい機会経験と思う。
途中野生のニホンリス。
お腹が白くないのでタイワンリスかな??
石碑には大石平左衛門ってある。
あの朝鮮出兵にお供した大石良定の通称!???
そして次が冒頭の鶴岡八幡宮。
樹齢1000年の大銀杏はこの大石段の下から本宮以上の高さを
誇っていたわけだが、あの2010年3月10日に倒木。
そこは今は綱で囲われて熨斗のようなアレが下げられて
その亡骸さえも祭られている。
その横に残った部分が移設され、2m程度の成長を見せているとか。
それも気になるから撮って来てって言ったんだけど、
大銀杏ではない分風景の一部で気づかなかったようだ。
***********************************************
追記:
ふと思うと、倒木の366日後に東日本大震災が発生。
3000年も生きてきた木が言葉は発しないが凄い能力があり、
翌年のそれを知らせるために自らが倒れたって気もしなくもない。
それに気がつかないのは残念ながら人間が全て凡人だから。
その超能力を受け止めるサーバーすら居ないからだよな。
なんとなくそんなことも想像してしまった…
**********************************************
境内を半分以上進むと本宮手前にこの若宮がある。
ちょうど補修とか塗装とかの工事中のようだった。
やはりそのようで、綺麗に塗りなおされているようだった。
そんなのお構い無しにひっていく鳩の糞が残念すぎる。
(一番手前の柱の屋根との境目付近のやや右にあるのだよ)
でも鳩みくじなど八幡様の使いとして扱っているようなので
それも普通と違う意味で捉えられ、ありがたいものなのかもしれない。
常識で考えたら糞に脳に寄生する寄生虫が居るので大迷惑だが…。
この後に冒頭の本宮を参拝したのだが、
その後本宮直ぐ脇にある丸山稲荷社に行った。
お稲荷さんを初めて見た外国人観光客の女性が
(ニュースで見たアリゾナ州から一応いろいろ勉強してきた来た女性)
この犬らしき像は赤頭巾みたいとか、よだれ掛けしてご飯なの?とか
良く解らないので凄くウケてたな。
でもそんな何も知らないで小ばかにして笑うなんて!!と思うが、
その直前に手水舎でのひしゃくの使い方や手の清め方などを
作法よくこなしていて、立派にリスペクトして学んできた姿も
見せてくれていたので、失礼な人ではなかった。
単純に異文化ならではの部分かと。
事実なんで赤いべべなのか私も知らん。そんなもんだからね。
なんとなく神社の漆塗りの朱から来ていると思うのだけど。
最後の訪問先は源頼朝の墓だった。
正直ここは私は行ったこと無い。なので画像見て新鮮だった。
でもなんとなく新しそうだと見える手前のササリンドウの家紋の
花器とお香のところだが、紋が無いからと後付されたとか??
墓石の下のほうの古いお香の石には島津家の紋「丸に十字」もある。
なんでもこの墓のいわゆる施主だかららしいね。
そばにこんな石碑も。
石碑というか案内?「元祖 島津豊後守忠久 石塔道」
良く解らないのだが、島津と書かれているので↑の確証的なものか。
石段を上から。
この段は頼朝の没年齢と同じ53段なのだそうだ。
降りて振り向き、右に頼朝顕彰碑、左に法華堂跡碑から望む石段。
このあと小町通に行き、私がお勧めしたさつまいものソフトクリーム。
それを多分いも吉館で食べたのだと思うけど、
以前無かったので、せんべいあられの専門店の鎌倉壱番屋か?
その隣とか、数軒先にあったのだと思うんだけど、
今あるのか無いのか、それが実はいも吉館だったとかも
今となってはようわからんけど、娘はそれを食って大満足。
なんでも紫芋とバニラのミックスを食ったそうなんだけど、
予想以上にウマかったようで友達とともに絶賛だったらしい。
由比ガ浜や小町通など何度となく連れて行った事があるのだが、
今回は班単位での子どもたちだけの行動で、
鶴岡八幡宮は必須でそれ以外は自由。
全部で3箇所の名所を訪れて、好きなところでお昼を食べる。
娘らは大仏をやめて、鶴岡八幡宮以外この2箇所に行ったのだった…。
その最初が銭洗い弁財天。
画像のやつは参道の案内?…になるのかな?
若い頃は北鎌倉で降りて、駅の傍らの柏尾川支流の小川に
わらわらいるくさがめなんかを見て、山越えでのんびり行ったものだ。
銭洗い弁財天の入口。
この左に宇賀福神社の表札のような碑があるんだけど…。
それは知ってる人は知ってるが、銭洗い弁天は洞窟の中にあるのだよね。
娘、お金をお清め中。・・・ひゃ、100円!?!!?
・・・お札はやらんのかね!?話したのになぁ…。
一応清めたら倍になるらしいのだよね。200円じゃん!!!
もっとも学校行事なので3000円しか持ってってないけど。
交通費はpasmoとかだけど、お昼も現地で食べてお土産って
ちょっと少ない気もしなくもないけど、
買い物メインじゃなく名所巡りメインなので
カツアゲにでも会ったら敵わんし、妥当なところかな?
だから万札は清められないけど千円札は持ってるのに…。
なんでも濡れたら財布にしまえないから…だそうだ。
縁起物なんだからそんなの気にすることないのに…。
その後境内に行きお参りして次のところへ。
何の変哲も無いこの情景だが、
普段まっ平らな平地に住んでいる娘らは、
日常が坂のある生活を知らないのでこれだけでもいい機会経験と思う。
途中野生のニホンリス。
お腹が白くないのでタイワンリスかな??
石碑には大石平左衛門ってある。
あの朝鮮出兵にお供した大石良定の通称!???
そして次が冒頭の鶴岡八幡宮。
樹齢1000年の大銀杏はこの大石段の下から本宮以上の高さを
誇っていたわけだが、あの2010年3月10日に倒木。
そこは今は綱で囲われて熨斗のようなアレが下げられて
その亡骸さえも祭られている。
その横に残った部分が移設され、2m程度の成長を見せているとか。
それも気になるから撮って来てって言ったんだけど、
大銀杏ではない分風景の一部で気づかなかったようだ。
***********************************************
追記:
ふと思うと、倒木の366日後に東日本大震災が発生。
3000年も生きてきた木が言葉は発しないが凄い能力があり、
翌年のそれを知らせるために自らが倒れたって気もしなくもない。
それに気がつかないのは残念ながら人間が全て凡人だから。
その超能力を受け止めるサーバーすら居ないからだよな。
なんとなくそんなことも想像してしまった…
**********************************************
境内を半分以上進むと本宮手前にこの若宮がある。
ちょうど補修とか塗装とかの工事中のようだった。
やはりそのようで、綺麗に塗りなおされているようだった。
そんなのお構い無しにひっていく鳩の糞が残念すぎる。
(一番手前の柱の屋根との境目付近のやや右にあるのだよ)
でも鳩みくじなど八幡様の使いとして扱っているようなので
それも普通と違う意味で捉えられ、ありがたいものなのかもしれない。
常識で考えたら糞に脳に寄生する寄生虫が居るので大迷惑だが…。
この後に冒頭の本宮を参拝したのだが、
その後本宮直ぐ脇にある丸山稲荷社に行った。
お稲荷さんを初めて見た外国人観光客の女性が
(ニュースで見たアリゾナ州から一応いろいろ勉強してきた来た女性)
この犬らしき像は赤頭巾みたいとか、よだれ掛けしてご飯なの?とか
良く解らないので凄くウケてたな。
でもそんな何も知らないで小ばかにして笑うなんて!!と思うが、
その直前に手水舎でのひしゃくの使い方や手の清め方などを
作法よくこなしていて、立派にリスペクトして学んできた姿も
見せてくれていたので、失礼な人ではなかった。
単純に異文化ならではの部分かと。
事実なんで赤いべべなのか私も知らん。そんなもんだからね。
なんとなく神社の漆塗りの朱から来ていると思うのだけど。
最後の訪問先は源頼朝の墓だった。
正直ここは私は行ったこと無い。なので画像見て新鮮だった。
でもなんとなく新しそうだと見える手前のササリンドウの家紋の
花器とお香のところだが、紋が無いからと後付されたとか??
墓石の下のほうの古いお香の石には島津家の紋「丸に十字」もある。
なんでもこの墓のいわゆる施主だかららしいね。
そばにこんな石碑も。
石碑というか案内?「元祖 島津豊後守忠久 石塔道」
良く解らないのだが、島津と書かれているので↑の確証的なものか。
石段を上から。
この段は頼朝の没年齢と同じ53段なのだそうだ。
降りて振り向き、右に頼朝顕彰碑、左に法華堂跡碑から望む石段。
このあと小町通に行き、私がお勧めしたさつまいものソフトクリーム。
それを多分いも吉館で食べたのだと思うけど、
以前無かったので、せんべいあられの専門店の鎌倉壱番屋か?
その隣とか、数軒先にあったのだと思うんだけど、
今あるのか無いのか、それが実はいも吉館だったとかも
今となってはようわからんけど、娘はそれを食って大満足。
なんでも紫芋とバニラのミックスを食ったそうなんだけど、
予想以上にウマかったようで友達とともに絶賛だったらしい。