先日こんな話を書いたのだが、その時予告したことを…。
森永ラブとは東京23区を中心にMAXで50店舗弱しか存在しなかったという
「おいしさわけあおう 森永ラブ」がキャッチフレーズの
幻のハンバーガーショップだ。
おそらく1970年代終期に1号店(銀座だったか?)が出て、
80年には20店以上となり、最大で多分50店舗程度、最終的には40店舗程度で
姿を消すこととなった。
その背景は森永の人間ではないので詳細不明なのだが、
森永キャンディストア事業部というのがあり、
その中にレストラン森永やこの森永LOVEがあったはず。
森永はそのキャンディストア事業部丸ごと売却することとなる。
売却先は一時撤退してまた再上陸を果たした米国のバーガーキング。
今回は解らないが、初上陸のときは合弁会社という形で日本代理店として
西武商事からJTがその営業権を得た。(JTというのも現在ある意味旬だわね)
それが1996年のことだが、5年後の2001年春にはあっさり日本撤退となるのだが、
BKとJTの出資比率が50%ずつという一見均等でよさげなものが、
対等だけにさまざまな衝突は避けられず終わることとなったようだ。
そもそも1号店は西武商事とのコンビで出して解消してJTと組んだが、
米食の国日本において、もろこしと肉の米国の戦術は通用しない。
その辺でBKのマーケティングが甘かったと言わざるを得ないだろう。
まったく敵対的買収だったと思われる当時の森永LOVE買収劇は、
森永に勤める、元勤めていたものたちを筆頭に、
絶対的信者とも言える贔屓にしていた顧客までもを纏めて大いに落胆させ
それでも強引に展開を開始したくせにこの哀れさには失笑してしまった。
まぁ既存の小規模な同業者を抱え込むことは、店舗拡大には手っ取り早いがね。
そんなバブリーな波に飲まれた森永LOVEはバーガーキングを経て
最終的に売却されたロッテリアか1stキッチンに現在は姿を変えている。
そんな経緯がある森永LOVEだが、ウィキペディアを調べても
バーガーキングの前身扱いで、リダイレクト掛けられている為に
森永LOVEの情報を記述することが出来にくい状態になっているせいでか
全く情報が無い。
全く別物なのでリダイレクトを外して情報保有者に盛り込んでもらいたいところ。
そしてこの画像は映画バブルへGO!のもの。六本木店の再現だ。
でもこれは晩年のもので90年前後の体裁。
80年代の体裁はブルーベースではなくオレンジベースだった。
文字の黄色とロゴは一緒だけど。
これはあの首都高を走るとSQUAREの文字が見えるスクエアビルの隣にあった。
ということは斜向かいには瀬里奈もある。
そこは六本木通りから一つ入った路地で、通りではなく路地裏にあるのだった。
スクエアビルとは複合施設雑居ビルでB2~10Fまで大半がDISCOで
私もネペンタやキサナドゥなどに行ったものだ。
確か4Fはカラオケスナックだったと思ったが、
その辺のそれとは違い、六本木だけに歌ってウマいと段位が与えられる。
初段保持者の私はその賞状もまだどこかに眠っているはず。
その店はショータイムには一見普通の男の2名のオカマが
歯にアルミホイルをくっつけて、ピンクレディーのピンクの林檎をかけて
それに合わせて踊り、最後に濃厚にキスをするというものがあった。
その店は確かサンジュリアン。燦珠莉庵とか書いたかな?
まぁ六本木交差点の三菱銀行の脇の階段にたむろってる黒人に
果てしなく追っかけられたことがあり、
つかまったら掘られるかボコボコにされるかどっちかだと思うので
それ以降あまり行かなくなってしまったが…。
そこから程近い外苑東通りに面したビル内しゃぶしゃぶ屋の
「ガキ大将」に勤める友人が「何で来ないんだ!」と怒っていたが、
黒人が怖くて行けんかった…。
以下は拾い物で小さいのを纏めたもの。
そんな時代にあちこちの東京の繁華街を彩ってきたLOVEだが
一応ここで全店紹介しとく。途中でなくなった店は殆ど解らないが。
23区内
池袋店 (豊島区)
池袋南店 (豊島区)
市ヶ谷店 (新宿区)
御茶ノ水店? (千代田区)
学芸大学店 (目黒区)
北千住店 (足立区)
銀座店 (中央区)
銀座三丁目店? (中央区)
久我山店 (杉並区)
五反田店 (品川区)
芝浦店 (港 区)
渋谷店 (渋谷区)
渋谷文化通り店 (渋谷区)
新宿センタービル店 (新宿区)
新橋店 (港 区)
成城店 (世田谷区)
三軒茶屋店? (世田谷区)THANKS情報提供により追記
高田馬場さかえ通り店(新宿区)
豊島団地店? (北 区)
中野店? (中野区)
日本橋三丁目店 (中央区)
幡ヶ谷店 (渋谷区)
原宿店 (渋谷区)
プラザビル店 (港 区)
三田店 (港 区)
六本木店 (港 区)
同23区別
足立区 (1店)(竹の塚か綾瀬にあっても良かったかと)
荒川区 (町屋や日暮里にあっても良かったかと)
板橋区 (高島平にあっても良かったかと)
江戸川区 (環七の一之江か葛西にあっても良かったかと)
大田区 (蒲田や羽田空港にあっても良かったかと)
葛飾区 (金町にあっても良かったかと)
北区 (1店)(赤羽や王子にあっても良かったかと)
江東区 (門仲や大島にあっても良かったかと)
品川区 (1店)
渋谷区 (4店)
新宿区 (3店)
杉並区 (1店)(高円寺にあっても良かったかと)
墨田区 (錦糸町か亀戸にあっても良かったかと)
世田谷区(2店)(下北沢や豪徳寺にあっても良かったかと)
台東区 (上野や浅草にあっても良かったかと)
中央区 (3店)
千代田区(1店)(アキバにあっても良かったかと)
豊島区 (2店)
中野区 (1店)
練馬区 (江古田か桜台にあっても良かったかと)
文京区 (後楽園にあっても良かったかと)
港区 (5店)
目黒区 (1店)
東京都下
国立店 (国立市)
久米川店 (東村山市)
桜ヶ丘店 (多摩市)
田無店 (田無市)当時
調布店 (調布市)
八王子横山町店 (八王子市)
東久留米店 (東久留米市)
神奈川
伊勢佐木町店 (横浜市中区)
大船店 (鎌倉市)駅は半分横浜市栄区だが店舗は鎌倉市
鎌倉店 (鎌倉市)
上大岡店 (横浜市港南区)
菊名店 (横浜市港北区)
港南台店 (横浜市港南区)
桜木町店? (横浜市中区)
綱島店 (横浜市港北区)
東神奈川店 (横浜市神奈川区)
藤沢店 (茅ヶ崎市)
南林間店 (大和市)
埼玉
上尾店 (上尾市)
東大宮店 (大宮市)当時
本川越店 (川越市)
千葉
船橋ららぽーと店 (船橋市)
他
こんな感じで「?」がついているのは記憶に曖昧なため。
北区の豊島団地にあったのは間違いないが、サテライトと言ったか、
正規の店舗ではなくこじんまりとしたまた別のもの(オーナー制?)だったし、
桜木町は関内の駅前にあるくせに桜木町だったような記憶がある。
伊勢佐木町だったのでは?とも思うが反対側にあったはず。
ちなみにこの辺では顔が真っ白で映画にもなった伝説の女性が居た。
実は私もその人を行った時に見て大変驚いた。
白いドレスを着たドウランで真っ白な顔に目の周りが大きく真っ黒な老女。
この人の話は奥が深すぎるのでしないが、
その人が写っているものをネットでいただいたが、そこは修正して店内の様子だけ
にしたものがこれだ。
手書きの絵のようだが、テーブル周りは本物。
ホットのカップは画像のものは晩年のタイプだが、
従来この真っ白に赤文字で「LOVE」と書かれていて、
持ち手は本体にペタッとしているが、客に出すときには持てるように
折り曲げられていた。冷めないように表面加工されていてモケモケした感じ。
普通にツルンとしていて持ち手がないのが各サイズのコールドドリンクのカップ。
冒頭画像はイメージで描き起こしてみたそれのロゴマーク。
実際バブルでGO!の画像での体裁でLOVEと描かれていたが
そこまで丁寧にはメンドいので再現出来なかった。
イメージカラーが濃オレンジで文字が黄色だがカップは濃オレンジ文字だった。
カタカナの「ラブ」は両方とも最後左に払うのではなく、下方に垂れるデザイン。
そしてこのトレーを見る限りは比較的新しいものだとわかる。
このオレンジは1981年に導入されたもので。それ以前はツルンとした
肌色っぽいトレーだった。
オレンジのそれは表面がザラザラした石垣模様のような状態になっていて、
乗せた商品が滑らないようにと言うことだったのだろうが、
拭いたり掃除するこっちにとってはその目に飲みこぼしなどが詰まって
非常に嫌な代物だった。
そんな私が居たのが東京最北端店舗の北千住店。
大半の23区内の店には小ばかにされていた下町のハズレの店だ。
逆にそっち方面には全く無いためにわざわざ来る客も多く、
かなり繁盛していた。
ぶっちゃけ私に会いに来る女の子も相当居た。
・・・いや、ムカつくだろうけどこれ事実で、ファンクラブもあったし
バレンタインにはチョコを持ってくる子も居れば、
有名だから名前を出せないがある芸能人の中学生の妹も私目当てに来ていた。
2Fのレストラン森永の女の子たちにもキャー言われるし、
当然バイトの女の子たちは争奪戦を繰り広げてくれた。
そんな人生のモテ期ピークをこの高校生の時期に迎えるのだった…。
そういう意味でもいろんな男女とのいろんな絡みがあったりして
当然色恋沙汰もいろんな組み合わせがくっついては離れたりして、
忘れようにも忘れられない印象深い時代とその場所だった。
店長や社員たちとクローズ後に飲みに連れて行ってもらったり、
フェロー同士でのイベントや旅行などもあった。
なので金八先生を見る度にいろんなことを思い出すよ。
先週の神社なんて、神社だけにあんな思い出が…。( ̄Γ ̄)あ、ヨダレ
そんな話はともかく、当時バイト料が420円!何だこの激安振り!!
都心よりは基本からして少し安かった。でも当時は400円台が常識。
買収の頃にでこそ500~600円台になった程度だ。
その後全体の自給が10円上がって430円になり、
ハートマークがついて450円になり、もう一つついて480円で終わった。
ハートマークとはフェローの格であり、ある程度の項目をクリアでき、
MGRらに認められたものは本部申請されて昇格するのだ。
私はレジまでも何でも出来たのだが、コンパクターと言う
ごみのプレス機の所に行って良くタバコ吸ってたからなかなか昇格せず。
ハート1個でフェロージュニア、2個でフェローシニア、3つでフォアマンだ。
晩年のユニフォームは茶系の少しましなものになったが、
当初は白地に緑のストライプで左胸辺りを縦にファスナーで閉じるチープなもの。
私はパテが切れ掛かるとその格好で千代田線に乗って大きな冷凍庫がある
銀座店まで何度と無く借りに行かされたもんだった。
電車の中ではみんな見てくすくす笑ってたな。マヂハズい…。(///∇///)
当時のメニューは確か初期が…
ハンバーガー 80円
チーズバーガー 100円
フィッシュバーガー 120円
カツバーガー 120円
デラックスバーガー 180円
ベーコンエッグマフィン120円(朝のみ)
ツナマフィン 120円
ピザマフィン 120円
ホットアップルパイ 120円
フライドポテト S 80円 L120円
ディッシャーアイス 100円
ミルク 80円
ホットコーヒー 80円
ホットココア 100円
コーンポタージュ 100円
アイスコーヒー S 100円 L130円
サンキストジュース S 100円 L130円
コカコーラ S 100円 L130円
シェイク各種 120円
その後に(上記の価格改定で20円ずつ程度UP)
チキンバーガー 150円
フルーツカクテル 120円
コールスロー? 120円
ソフトサラミマフィン 150円
リブステーキサンド 230円
他
確かこんな感じだったと思う。
ベーコンポテトパイとかあったような・・・。
これ以降のライスメニューやパスタは引退後なんで知らない。
その時思いっきりドン引きしたっけなぁ。
しかしまぁホントにバイトが仲が良すぎて客が不快感を感じるほどだったと思う。
もちろんきちんとやっているが、無駄話が多かったよ。
そして前回言った裏メニューが「ババマフィン」だ!!
よくウォーマーの中に入りっぱなしで売るには至らなくなったものは
WASTEと言ってキッチンに下がって来る。
(ウエストウエストと言ってたので腰とか西だと思ってるフェローも多かろう)
それは本来廃棄なのだが腹空かし世代には文字通り格好の餌だ。
その時はツナが下がってきていたのだが、
私が珍しくミートのパテの焼きが甘くて、形を壊してしまった。
その肉は売り物には出来ない。
ミスは少ないのでそれが腹立たしくなってターナーでミンチにしてやった。
でも捨てるのは勿体無いのでウエストのツナに挟んでみた。
そしてそれを食ったところが・・・・・・・果てしなくウマい!!
一緒にやってた大学生のバイトが「ぜっとし!これウマすぎるよ!!」というと
カウンターの女の子やMGRまでもが来てみんなで一口ずつ試食。
全員が絶賛したのは言うまでもないが、MGRには最後に「お前何やってんだ?!」
と怒られたのは言うまでもない。(だからハートがなかなか増えない)
そして大学生のバイトが「ぜっとし、これの命名は?」というので
見た目があまりにも汚らしかったのでババマフィンとつけた。
ババとはある地方でジャイアント馬場というと巨大なう○こと言う意味で
とても笑えると言うものなのだが、そういう意味のババだ!(一応食いもんだぜ)
その後MGRの目を盗んで何回かこっそりそれを作った。
月に1回ぐらいのペースで落下ロスのカウントを付けて。
全部出来たてババマフィンは相当ウマかったなぁ~。
こんなのもあった。
当初の社員たちで店長は畑さんだったが
1年も経たないうちに本社SVになってしまい、当時の石井SVに代わってか?
と思ったがこっちには来なかった。
副店長格の木村さんは私を見るたびにエロい笑みを浮かべ
「ぜっとし~。お前俺のオカマの友達にホント良く似てるよ~」
「お前オカマになれよ~」が口癖で、女だけでなく男にも狙われていた私だったが
唯一の千葉の店舗ららぽーと新設時に行ってしまった。
確か住まいも柏とか我孫子だったと思ったので好都合か?
上記のららぽーとを見ても木村とあるので間違いなくあの人だと思う。
そして癒し系な小太りだった若山さんは酔って女子フェローに絡んだ客に
腕を掴んで静止させたか何かして店外でその客に横っ面張られてた。
直ぐそこに交番があるのだが、雑踏の中って目の前でも判らないもんだな。
我々は交番には行くなと静止されてたんだけど。
その人は私が藤村MGRが別れた後に付き合っていた忍とその後付き合った。
結婚したと言う噂もあり、その頃住んでいたのが私の今の最寄り駅だが
もう居ないのか、居ても会わないのか全く出くわすことがない。
確か銀座店に行ったんではなかったかな?その後直ぐ辞めたけど。
先ほど出た藤村さんは当時22歳で一番若いMGRで兄貴のようだった。
その分甘えと言う舐めてかかったりした部分もあったのだが、
ある日彼の指導法に「僕はそんなことでは叩かれたよ」というので
「だったら叩けばいいじゃないですか!?」といったらマヂ叩かれた。
でもその後私が冷静になって詫びてわだかまりもなくなって仲良くやってたが
国に帰って農業を継ぐのだといって私が在籍中にやめていった。
途中に石野さんというこれまた少し小太りの30歳そこそこの人が来たが
鳴海のおばさんの学会勧誘に困惑し(私も軽く巻き込まれた)
それのせいかどうかはわからないが直ぐに居なくなった。
そして「早くしてくださ~いよ~」が口癖の背の高い斉藤さんは
芝浦店に移動になったがその後待遇が悪いとか?で辞めた。
面白かったのは石井SVが来て、フェローが休んで穴埋めできなかったことで
斉藤さんもキッチンに入ったりしてたのをSVも手伝ったことがあったのだが、
SV「斉藤君、ミート焼きすぎだろ?!」
斉「ドレスが遅いんですよ。ドレスが。」(ドレス:バンズにソースなどを付ける)
SV「・・・たまには言うこと聞け!」
というようなやり取りをする人で、これは笑い話で語り継がれてた。
そういや石井SVといえば、何回か来たことあるのに、その日はFS(ハート2個)に
なったばかりでその審査に来られると誰かが脅したせいで、
私のお気に入りの有美子がパニくって泣き出す始末で、そんなの見たこと無いので
大変驚いたことも印象深い。彼女とは今も時々会ってる。
そして畑さんの後には北川さんという人が店長で来た。
目白に母と住んでる当時40歳ぐらいで独身の人。
この人にペキマンという22歳のパンチの男が可愛がられていて
それと仲の良かった私も一緒に良く飲みに連れて行かれた。
その後この人が「?」の桜木町店に移動になり一度呼ばれていったことがある。
その時に「桜木町だけど駅は関内だよ!?間違えるなよ」といわれた記憶がある。
なので伊勢佐木町なのかも知れないが駅向こうにもあったのだと思った。
この人はその後退職して高田馬場のある喫茶店でフロア責任者的な仕事になった。
そして一番最後にMGRとして来た村上さんだが、
この人は国士舘上がりで縦に凄く厳しく、
私の誰にでも変わりないなれなれしい様が許せないほど嫌いだったようで
ある日村上さんがOPで上がった後に飲みに行って店に戻ってきて、
私がクローズで入っていたのだが、事務所にアイスキューブを取りに行くと居て、
お前は生意気だとしてこの野郎呼ばわりされてパンチ食らった。
酔ってたので気にしないなりにも正直それ以来嫌いになったな。
北千住店の担当者で名前がある。
北川さんが移転した後はこの人が店長になったのだった。
私は北川さんが店長で居たときに18歳になり辞めたのだけどね。
ここでのバイトで1年8ヶ月は相当長く居た。
それは居場所もあったし、誰からも認知されていたし、尊敬と愛情を感じたし
モテまくったし、楽しかったし、出来ればこのまま時が動くなりにも進まず
誰もが年を取らないままにここでずっとこうして居たかった。
だが進学や就職など新たな扉を誰もが開け、誰彼問わず一人、また一人と
仲間が消えていく中に大きな寂しさを感じ、自分ももう居るべき場所でないのだと
ピーターパンシンドロームから目覚めたのだった。
この話は書けばきりがないのでこの辺で。またの機会があれば。
森永ラブとは東京23区を中心にMAXで50店舗弱しか存在しなかったという
「おいしさわけあおう 森永ラブ」がキャッチフレーズの
幻のハンバーガーショップだ。
おそらく1970年代終期に1号店(銀座だったか?)が出て、
80年には20店以上となり、最大で多分50店舗程度、最終的には40店舗程度で
姿を消すこととなった。
その背景は森永の人間ではないので詳細不明なのだが、
森永キャンディストア事業部というのがあり、
その中にレストラン森永やこの森永LOVEがあったはず。
森永はそのキャンディストア事業部丸ごと売却することとなる。
売却先は一時撤退してまた再上陸を果たした米国のバーガーキング。
今回は解らないが、初上陸のときは合弁会社という形で日本代理店として
西武商事からJTがその営業権を得た。(JTというのも現在ある意味旬だわね)
それが1996年のことだが、5年後の2001年春にはあっさり日本撤退となるのだが、
BKとJTの出資比率が50%ずつという一見均等でよさげなものが、
対等だけにさまざまな衝突は避けられず終わることとなったようだ。
そもそも1号店は西武商事とのコンビで出して解消してJTと組んだが、
米食の国日本において、もろこしと肉の米国の戦術は通用しない。
その辺でBKのマーケティングが甘かったと言わざるを得ないだろう。
まったく敵対的買収だったと思われる当時の森永LOVE買収劇は、
森永に勤める、元勤めていたものたちを筆頭に、
絶対的信者とも言える贔屓にしていた顧客までもを纏めて大いに落胆させ
それでも強引に展開を開始したくせにこの哀れさには失笑してしまった。
まぁ既存の小規模な同業者を抱え込むことは、店舗拡大には手っ取り早いがね。
そんなバブリーな波に飲まれた森永LOVEはバーガーキングを経て
最終的に売却されたロッテリアか1stキッチンに現在は姿を変えている。
そんな経緯がある森永LOVEだが、ウィキペディアを調べても
バーガーキングの前身扱いで、リダイレクト掛けられている為に
森永LOVEの情報を記述することが出来にくい状態になっているせいでか
全く情報が無い。
全く別物なのでリダイレクトを外して情報保有者に盛り込んでもらいたいところ。
そしてこの画像は映画バブルへGO!のもの。六本木店の再現だ。
でもこれは晩年のもので90年前後の体裁。
80年代の体裁はブルーベースではなくオレンジベースだった。
文字の黄色とロゴは一緒だけど。
これはあの首都高を走るとSQUAREの文字が見えるスクエアビルの隣にあった。
ということは斜向かいには瀬里奈もある。
そこは六本木通りから一つ入った路地で、通りではなく路地裏にあるのだった。
スクエアビルとは複合施設雑居ビルでB2~10Fまで大半がDISCOで
私もネペンタやキサナドゥなどに行ったものだ。
確か4Fはカラオケスナックだったと思ったが、
その辺のそれとは違い、六本木だけに歌ってウマいと段位が与えられる。
初段保持者の私はその賞状もまだどこかに眠っているはず。
その店はショータイムには一見普通の男の2名のオカマが
歯にアルミホイルをくっつけて、ピンクレディーのピンクの林檎をかけて
それに合わせて踊り、最後に濃厚にキスをするというものがあった。
その店は確かサンジュリアン。燦珠莉庵とか書いたかな?
まぁ六本木交差点の三菱銀行の脇の階段にたむろってる黒人に
果てしなく追っかけられたことがあり、
つかまったら掘られるかボコボコにされるかどっちかだと思うので
それ以降あまり行かなくなってしまったが…。
そこから程近い外苑東通りに面したビル内しゃぶしゃぶ屋の
「ガキ大将」に勤める友人が「何で来ないんだ!」と怒っていたが、
黒人が怖くて行けんかった…。
以下は拾い物で小さいのを纏めたもの。
そんな時代にあちこちの東京の繁華街を彩ってきたLOVEだが
一応ここで全店紹介しとく。途中でなくなった店は殆ど解らないが。
23区内
池袋店 (豊島区)
池袋南店 (豊島区)
市ヶ谷店 (新宿区)
御茶ノ水店? (千代田区)
学芸大学店 (目黒区)
北千住店 (足立区)
銀座店 (中央区)
銀座三丁目店? (中央区)
久我山店 (杉並区)
五反田店 (品川区)
芝浦店 (港 区)
渋谷店 (渋谷区)
渋谷文化通り店 (渋谷区)
新宿センタービル店 (新宿区)
新橋店 (港 区)
成城店 (世田谷区)
三軒茶屋店? (世田谷区)THANKS情報提供により追記
高田馬場さかえ通り店(新宿区)
豊島団地店? (北 区)
中野店? (中野区)
日本橋三丁目店 (中央区)
幡ヶ谷店 (渋谷区)
原宿店 (渋谷区)
プラザビル店 (港 区)
三田店 (港 区)
六本木店 (港 区)
同23区別
足立区 (1店)(竹の塚か綾瀬にあっても良かったかと)
荒川区 (町屋や日暮里にあっても良かったかと)
板橋区 (高島平にあっても良かったかと)
江戸川区 (環七の一之江か葛西にあっても良かったかと)
大田区 (蒲田や羽田空港にあっても良かったかと)
葛飾区 (金町にあっても良かったかと)
北区 (1店)(赤羽や王子にあっても良かったかと)
江東区 (門仲や大島にあっても良かったかと)
品川区 (1店)
渋谷区 (4店)
新宿区 (3店)
杉並区 (1店)(高円寺にあっても良かったかと)
墨田区 (錦糸町か亀戸にあっても良かったかと)
世田谷区(2店)(下北沢や豪徳寺にあっても良かったかと)
台東区 (上野や浅草にあっても良かったかと)
中央区 (3店)
千代田区(1店)(アキバにあっても良かったかと)
豊島区 (2店)
中野区 (1店)
練馬区 (江古田か桜台にあっても良かったかと)
文京区 (後楽園にあっても良かったかと)
港区 (5店)
目黒区 (1店)
東京都下
国立店 (国立市)
久米川店 (東村山市)
桜ヶ丘店 (多摩市)
田無店 (田無市)当時
調布店 (調布市)
八王子横山町店 (八王子市)
東久留米店 (東久留米市)
神奈川
伊勢佐木町店 (横浜市中区)
大船店 (鎌倉市)駅は半分横浜市栄区だが店舗は鎌倉市
鎌倉店 (鎌倉市)
上大岡店 (横浜市港南区)
菊名店 (横浜市港北区)
港南台店 (横浜市港南区)
桜木町店? (横浜市中区)
綱島店 (横浜市港北区)
東神奈川店 (横浜市神奈川区)
藤沢店 (茅ヶ崎市)
南林間店 (大和市)
埼玉
上尾店 (上尾市)
東大宮店 (大宮市)当時
本川越店 (川越市)
千葉
船橋ららぽーと店 (船橋市)
他
こんな感じで「?」がついているのは記憶に曖昧なため。
北区の豊島団地にあったのは間違いないが、サテライトと言ったか、
正規の店舗ではなくこじんまりとしたまた別のもの(オーナー制?)だったし、
桜木町は関内の駅前にあるくせに桜木町だったような記憶がある。
伊勢佐木町だったのでは?とも思うが反対側にあったはず。
ちなみにこの辺では顔が真っ白で映画にもなった伝説の女性が居た。
実は私もその人を行った時に見て大変驚いた。
白いドレスを着たドウランで真っ白な顔に目の周りが大きく真っ黒な老女。
この人の話は奥が深すぎるのでしないが、
その人が写っているものをネットでいただいたが、そこは修正して店内の様子だけ
にしたものがこれだ。
手書きの絵のようだが、テーブル周りは本物。
ホットのカップは画像のものは晩年のタイプだが、
従来この真っ白に赤文字で「LOVE」と書かれていて、
持ち手は本体にペタッとしているが、客に出すときには持てるように
折り曲げられていた。冷めないように表面加工されていてモケモケした感じ。
普通にツルンとしていて持ち手がないのが各サイズのコールドドリンクのカップ。
冒頭画像はイメージで描き起こしてみたそれのロゴマーク。
実際バブルでGO!の画像での体裁でLOVEと描かれていたが
そこまで丁寧にはメンドいので再現出来なかった。
イメージカラーが濃オレンジで文字が黄色だがカップは濃オレンジ文字だった。
カタカナの「ラブ」は両方とも最後左に払うのではなく、下方に垂れるデザイン。
そしてこのトレーを見る限りは比較的新しいものだとわかる。
このオレンジは1981年に導入されたもので。それ以前はツルンとした
肌色っぽいトレーだった。
オレンジのそれは表面がザラザラした石垣模様のような状態になっていて、
乗せた商品が滑らないようにと言うことだったのだろうが、
拭いたり掃除するこっちにとってはその目に飲みこぼしなどが詰まって
非常に嫌な代物だった。
そんな私が居たのが東京最北端店舗の北千住店。
大半の23区内の店には小ばかにされていた下町のハズレの店だ。
逆にそっち方面には全く無いためにわざわざ来る客も多く、
かなり繁盛していた。
ぶっちゃけ私に会いに来る女の子も相当居た。
・・・いや、ムカつくだろうけどこれ事実で、ファンクラブもあったし
バレンタインにはチョコを持ってくる子も居れば、
有名だから名前を出せないがある芸能人の中学生の妹も私目当てに来ていた。
2Fのレストラン森永の女の子たちにもキャー言われるし、
当然バイトの女の子たちは争奪戦を繰り広げてくれた。
そんな人生のモテ期ピークをこの高校生の時期に迎えるのだった…。
そういう意味でもいろんな男女とのいろんな絡みがあったりして
当然色恋沙汰もいろんな組み合わせがくっついては離れたりして、
忘れようにも忘れられない印象深い時代とその場所だった。
店長や社員たちとクローズ後に飲みに連れて行ってもらったり、
フェロー同士でのイベントや旅行などもあった。
なので金八先生を見る度にいろんなことを思い出すよ。
先週の神社なんて、神社だけにあんな思い出が…。( ̄Γ ̄)あ、ヨダレ
そんな話はともかく、当時バイト料が420円!何だこの激安振り!!
都心よりは基本からして少し安かった。でも当時は400円台が常識。
買収の頃にでこそ500~600円台になった程度だ。
その後全体の自給が10円上がって430円になり、
ハートマークがついて450円になり、もう一つついて480円で終わった。
ハートマークとはフェローの格であり、ある程度の項目をクリアでき、
MGRらに認められたものは本部申請されて昇格するのだ。
私はレジまでも何でも出来たのだが、コンパクターと言う
ごみのプレス機の所に行って良くタバコ吸ってたからなかなか昇格せず。
ハート1個でフェロージュニア、2個でフェローシニア、3つでフォアマンだ。
晩年のユニフォームは茶系の少しましなものになったが、
当初は白地に緑のストライプで左胸辺りを縦にファスナーで閉じるチープなもの。
私はパテが切れ掛かるとその格好で千代田線に乗って大きな冷凍庫がある
銀座店まで何度と無く借りに行かされたもんだった。
電車の中ではみんな見てくすくす笑ってたな。マヂハズい…。(///∇///)
当時のメニューは確か初期が…
ハンバーガー 80円
チーズバーガー 100円
フィッシュバーガー 120円
カツバーガー 120円
デラックスバーガー 180円
ベーコンエッグマフィン120円(朝のみ)
ツナマフィン 120円
ピザマフィン 120円
ホットアップルパイ 120円
フライドポテト S 80円 L120円
ディッシャーアイス 100円
ミルク 80円
ホットコーヒー 80円
ホットココア 100円
コーンポタージュ 100円
アイスコーヒー S 100円 L130円
サンキストジュース S 100円 L130円
コカコーラ S 100円 L130円
シェイク各種 120円
その後に(上記の価格改定で20円ずつ程度UP)
チキンバーガー 150円
フルーツカクテル 120円
コールスロー? 120円
ソフトサラミマフィン 150円
リブステーキサンド 230円
他
確かこんな感じだったと思う。
ベーコンポテトパイとかあったような・・・。
これ以降のライスメニューやパスタは引退後なんで知らない。
その時思いっきりドン引きしたっけなぁ。
しかしまぁホントにバイトが仲が良すぎて客が不快感を感じるほどだったと思う。
もちろんきちんとやっているが、無駄話が多かったよ。
そして前回言った裏メニューが「ババマフィン」だ!!
よくウォーマーの中に入りっぱなしで売るには至らなくなったものは
WASTEと言ってキッチンに下がって来る。
(ウエストウエストと言ってたので腰とか西だと思ってるフェローも多かろう)
それは本来廃棄なのだが腹空かし世代には文字通り格好の餌だ。
その時はツナが下がってきていたのだが、
私が珍しくミートのパテの焼きが甘くて、形を壊してしまった。
その肉は売り物には出来ない。
ミスは少ないのでそれが腹立たしくなってターナーでミンチにしてやった。
でも捨てるのは勿体無いのでウエストのツナに挟んでみた。
そしてそれを食ったところが・・・・・・・果てしなくウマい!!
一緒にやってた大学生のバイトが「ぜっとし!これウマすぎるよ!!」というと
カウンターの女の子やMGRまでもが来てみんなで一口ずつ試食。
全員が絶賛したのは言うまでもないが、MGRには最後に「お前何やってんだ?!」
と怒られたのは言うまでもない。(だからハートがなかなか増えない)
そして大学生のバイトが「ぜっとし、これの命名は?」というので
見た目があまりにも汚らしかったのでババマフィンとつけた。
ババとはある地方でジャイアント馬場というと巨大なう○こと言う意味で
とても笑えると言うものなのだが、そういう意味のババだ!(一応食いもんだぜ)
その後MGRの目を盗んで何回かこっそりそれを作った。
月に1回ぐらいのペースで落下ロスのカウントを付けて。
全部出来たてババマフィンは相当ウマかったなぁ~。
こんなのもあった。
当初の社員たちで店長は畑さんだったが
1年も経たないうちに本社SVになってしまい、当時の石井SVに代わってか?
と思ったがこっちには来なかった。
副店長格の木村さんは私を見るたびにエロい笑みを浮かべ
「ぜっとし~。お前俺のオカマの友達にホント良く似てるよ~」
「お前オカマになれよ~」が口癖で、女だけでなく男にも狙われていた私だったが
唯一の千葉の店舗ららぽーと新設時に行ってしまった。
確か住まいも柏とか我孫子だったと思ったので好都合か?
上記のららぽーとを見ても木村とあるので間違いなくあの人だと思う。
そして癒し系な小太りだった若山さんは酔って女子フェローに絡んだ客に
腕を掴んで静止させたか何かして店外でその客に横っ面張られてた。
直ぐそこに交番があるのだが、雑踏の中って目の前でも判らないもんだな。
我々は交番には行くなと静止されてたんだけど。
その人は私が藤村MGRが別れた後に付き合っていた忍とその後付き合った。
結婚したと言う噂もあり、その頃住んでいたのが私の今の最寄り駅だが
もう居ないのか、居ても会わないのか全く出くわすことがない。
確か銀座店に行ったんではなかったかな?その後直ぐ辞めたけど。
先ほど出た藤村さんは当時22歳で一番若いMGRで兄貴のようだった。
その分甘えと言う舐めてかかったりした部分もあったのだが、
ある日彼の指導法に「僕はそんなことでは叩かれたよ」というので
「だったら叩けばいいじゃないですか!?」といったらマヂ叩かれた。
でもその後私が冷静になって詫びてわだかまりもなくなって仲良くやってたが
国に帰って農業を継ぐのだといって私が在籍中にやめていった。
途中に石野さんというこれまた少し小太りの30歳そこそこの人が来たが
鳴海のおばさんの学会勧誘に困惑し(私も軽く巻き込まれた)
それのせいかどうかはわからないが直ぐに居なくなった。
そして「早くしてくださ~いよ~」が口癖の背の高い斉藤さんは
芝浦店に移動になったがその後待遇が悪いとか?で辞めた。
面白かったのは石井SVが来て、フェローが休んで穴埋めできなかったことで
斉藤さんもキッチンに入ったりしてたのをSVも手伝ったことがあったのだが、
SV「斉藤君、ミート焼きすぎだろ?!」
斉「ドレスが遅いんですよ。ドレスが。」(ドレス:バンズにソースなどを付ける)
SV「・・・たまには言うこと聞け!」
というようなやり取りをする人で、これは笑い話で語り継がれてた。
そういや石井SVといえば、何回か来たことあるのに、その日はFS(ハート2個)に
なったばかりでその審査に来られると誰かが脅したせいで、
私のお気に入りの有美子がパニくって泣き出す始末で、そんなの見たこと無いので
大変驚いたことも印象深い。彼女とは今も時々会ってる。
そして畑さんの後には北川さんという人が店長で来た。
目白に母と住んでる当時40歳ぐらいで独身の人。
この人にペキマンという22歳のパンチの男が可愛がられていて
それと仲の良かった私も一緒に良く飲みに連れて行かれた。
その後この人が「?」の桜木町店に移動になり一度呼ばれていったことがある。
その時に「桜木町だけど駅は関内だよ!?間違えるなよ」といわれた記憶がある。
なので伊勢佐木町なのかも知れないが駅向こうにもあったのだと思った。
この人はその後退職して高田馬場のある喫茶店でフロア責任者的な仕事になった。
そして一番最後にMGRとして来た村上さんだが、
この人は国士舘上がりで縦に凄く厳しく、
私の誰にでも変わりないなれなれしい様が許せないほど嫌いだったようで
ある日村上さんがOPで上がった後に飲みに行って店に戻ってきて、
私がクローズで入っていたのだが、事務所にアイスキューブを取りに行くと居て、
お前は生意気だとしてこの野郎呼ばわりされてパンチ食らった。
酔ってたので気にしないなりにも正直それ以来嫌いになったな。
北千住店の担当者で名前がある。
北川さんが移転した後はこの人が店長になったのだった。
私は北川さんが店長で居たときに18歳になり辞めたのだけどね。
ここでのバイトで1年8ヶ月は相当長く居た。
それは居場所もあったし、誰からも認知されていたし、尊敬と愛情を感じたし
モテまくったし、楽しかったし、出来ればこのまま時が動くなりにも進まず
誰もが年を取らないままにここでずっとこうして居たかった。
だが進学や就職など新たな扉を誰もが開け、誰彼問わず一人、また一人と
仲間が消えていく中に大きな寂しさを感じ、自分ももう居るべき場所でないのだと
ピーターパンシンドロームから目覚めたのだった。
この話は書けばきりがないのでこの辺で。またの機会があれば。
京都の三条新京極下るのあたりに、確かに在ったと思うのです。
私も昭和50年代に、何度か食べた記憶があります。
そう言うわけで主に東京にしかないほどのイメージで、
実質関東近県に数店(神奈川は多数)あった程度の展開でした。
なので神奈川が最西端のはずですが、
噂では晩年ぽつんと1店のみ京都にあったらしい話。
それなのかも知れませんね。
でも私がいた時代ではなく、別の店状態のものですので、
同じ味と時は共有されていないと思われます。
(多分パスタやライスバーガーの時代)
50年代と書かれてますが、それも終期だと思います。
1980~82年には無かったですので1984年とかかと。
といいつつ実は私は下京区烏丸通下ルの御所のまん前にある
某企業に何度となく行っていて、修学旅行だけでしか
行ったことない程度以上には縁があるのですが、
この時代は修学旅行だけでした。
そのときはまだ三田や銀座にしか無かった時代です。
え!?同じ北千住じゃないですか!!
私のほうが先輩ですが。(バイトのクセに)
私はグランドオープンから居ました。
まだ完成していないので銀座店で面接したような気もします。
メイプルベルさんの時代は私は客でそこそこ行っていますよ。
多分カウンター越しに顔を合わしていますね。
もしかしたら「以前のフェローノート、事務所に残ってないですか?」
こう聞いた社員さんがメイプルベルさんだったのかもしれません。
(凄まじく輝いているくだらない内容満載の全フェローの宝物でした)
確か・・・大卒間もないような、
結構顔のいいすらっとした方が居た記憶がありますが、
もしやその方ですか??
パスタとかやってた当時ですよね?90年ごろは。
あのメニューはドン引きでした…。
ツナとチキンで勝負せいや!!と思ってました。
畑さんは大きくて暖かくていい人でした。
高校生の小僧にもそれを感じることができる人でした。
なので次の北川さんが店長で来たときは、
顔がヤクザ顔なのもあって、嫌悪感から入りました。
でも北川さんも面倒見のいい目下にも小ばかにしない立派な人でした。
その畑さんの最後の店長としてのメンバーとして、
SV昇格の歓送迎会を行ったのですが、
その日は我々の飲み会御用達のもんじゃ屋「つばき」で行われ、
当然私も参加しましたし、別れを大変名残惜しんだのを覚えています。
しかもそれだけでなく、その日誰とどんな話をしたり、
誰がどう言う催し物を出し物としてやったかなどまで。
・・・機会があったらその飲み会の様子も書いてもいいかなという感じです。
又何か、思い出話でもありましたら、お聞かせくださいな。
当時村上MGRは店長でいらしたんでしょうか?
ちなみに私はぬーぼーバーガーが好きでした。また食べたい!
福島さんという方は存じあげないです。
レストラン事業部の方は鳥羽さんという方だけ知ってます。
店長だったかと思いますが、なかなかの色男でした。
その時代には岸田智史さんのサインってまだ飾ってありましたか?
金八第1期の次にやった1年B組新八先生でロケに来た時に
その許可の謝礼で岸田さんが書いてくださったんですよね。
ラブは人に恵まれたと思える環境ですよね?
私が居なくなってからもずっとそうだったんだと思うと嬉しいです。
私もあの期間にバイトでも携われたことは誇りに感じます。
なにせ後の映画にも外せない要素として出てくるんですから、
時代を作る一端を担ったんだと感じました。
そういえば畑さんに「社員になれよ」と言って頂いたんですが、
MGRたちの愚痴を聞いている限り、やめといたほうがいいかなと思って
ならなかったことを思い出します。
主に休みの不満と賃金の不満ですね。
確かに大卒の初任給は相当安いなぁと思いました。
ぬーぼー・・・スイマセン。覚えてないです。
やはり当時に無かったメニューですので…。
いえいえ、お礼なんてとんでもありません。
私のほうこそコメントいただけてとても嬉しいです。
いつでもお話があればコメントくださいね。
自信のアピールですので信用して追記しました。
どの辺ですかね?
三宿の吉牛の辺りでしょうか?
…やはり記憶が無いんです。
ゆえに新しい店舗で、短い期間の営業だったと思われますね。
そう思うと下北には何で無かったんだろうと、
三茶の部分を下北沢に変えました。
祖師谷や狛江は成城にあるから無いんだと理解できますけどね。
センター街や幡ヶ谷に有ったからですかね?
フト、昔を思い出しバイトしていた森永LOVEを検索しまして、こちらに寄ってみました、突然失礼致します
私は昭和55年の夏に(高校一年生でした)森永LOVE北千住店でバイトしたくて友人と面接に行きました
友人はそのまま北千住店で、私はなぜか“銀座店”へ行くように言われ、あらためて銀座店で面接し働くことになりました
そうですね、当時の時給は400円だったのですね~今更ながらそれでも頑張ってたんですね!
北千住店は友人もいたし、地元だったので何かとよく行ってましたが、いつでもお客さんで賑やかでしたね、懐かしい気持ちでいっぱいです^^
銀座店は場所柄相当な広さと混雑ぶりでしたが、若く元気いっぱいで、楽しく働けました、アイスクリームなんかもありましたよね?^^ 個人的にはツナマフィンが大好きでした、身近にあるハンバーガーショップではツナマフィンが食べられず残念です
もう30数年も前の、でもとても楽しかった時間、ここで振り返ることができました、ありがとうございました!
(無駄話、大変申し訳ありませんでした)
コメントありがとうございました。
ムダ話なんて何を仰る。本題があって横の話がムダ話です。
これは本題なので無駄はひとつもありません。
ご謙遜を感じて奥ゆかしく可愛いと思ってしまいました。
私と同じオープニングの時期ですよね~。
なんと私ら同じ年じゃないですか~。
千住に友達が入って自分は銀座…。
なんか当時そんな話聞いた記憶があります!!
でも同級生の女子は…安輝子・ひとみと本文にある有美子。
その辺が初期メンバーですねぇ。
シフトが一緒になったことが皆無に近いのが、田崎さんと谷口さんって居ました。
銀座の話は2つ上の忍がよく言ってたんですけど、
よくよく思い出すと、彼女は銀座店でバイトしてて北千住が出来たので、こっちに来たフェローでした。
誰だったかなぁ友達は銀座になっちゃったって言ってたの。
良かったらお友達の名前だけ書いたコメいただけませんか?
コメは私が許可しないとUPされないので、フルネームの本名を晒す事はありません。
このコメントに対する返答がもしあったら、それとは別に書いてくださいね。お願いします。
銀座店って山田邦子さんが居たんですよね。
会ったことあります?その頃まだ居たような??
アイスは私はラムレーズンが好きでした。あとモカ。
そうです!ラブの代名詞はツナマフィンです!!
近年マックが真似してやりましたが、鼻で笑っちゃいました。
私は仕込みもしてたので、レシピも覚えているから再現して作りましたよ。
古い記事は事情により下げたものもあるんですが、このブログでも再現したそれを紹介しました。
千住が地元でしたか。
そういう子は高校1・2年で言うと…
冨美子・まゆみ(真弓?)・悦子・芳子・有美子だなぁ。
他にも居たと思うけど、マッチするの有美子だなぁ。
有美子なら今でも時々会ってますけど。
男子だと松本しか覚えてないなぁ。千住に住んでたやつ。
HNのひまわりさんから女子だと思ってますけど、合ってます!?もしや男子!??
また是非来て下さいね。コメント待ってます。