【半休中】Beyond talk to oneself

子どもや日常、スポーツ回顧、時事の疑問に世の声の1人として触れていきます。競馬予想はあくまで履歴と仲間向けです。

JIN -仁- ~全ての謎明かされ終了

2011年06月28日 21時25分54秒 | テレビ芸能
こないだの日曜日に全てが明かされたというか、
決着が付いた格好になって終了した、JINの最終回だが、
それぞれの人はどういう感情で見ていたんだろう?

主に主人公に感情移入して、本やドラマや映画は見るものだが、
私は男だが、最後に泣けてしまったのは、
JINが現代に帰ったからでもなく、過去に戻れなくなったからでもなく、
咲が生き続けたからでもなく、咲とJINが離れ離れになったからでもなく、
未来が名前を変えても存在していたからでもなく、
新生の未来と仁が現世で逢えたからでもない。

ただただ咲があまりにも健気過ぎて泣けてしまったのだ。
JINが現代に帰ってきたのに、咲が健気でかわいそうで泣いたのだ。

なぜかと言えば、やはり未来から来た男に恋をしてはいけないと
自重したこともあろうかと思うが、
やはり写真なるものに写っていた友永未来という恋人が
仁が生きている現世に居て、それがタイムスリップして過去に居るからと
存在としては年齢もさほど離れていないが、過去と未来が共存しているのは
本当は100年とか違えば、祖母や曾祖母という立ち位置だけに、
同じ時代に生きているもの同士ではないという架空の現実があり、
それが咲を仁をも苦しめた。
でもそれが同じ世代を生きるもの同士であったにしても、
咲の思うことは、未来の存在があるJINに対しては
恋をしてはいけないと一線を越えなかっただろうと思う。

それは今、日本人に失われた「奥ゆかしさ」だ。
性格的にアピールできない女の子は居ても、
このような思考はもう失われていると思う。
草食系という言葉も流行り、主に男子に多くなったが、
それも恋に臆病とか消極的なだけでこれとは違う。
何故なら咲には間違いの無い情熱がある。
家を勘当されようとも、困難に直面しても、JINとともに居ることを
選択して実行しているからだ。
これはJINが江戸末期にリアルに存在しているのであって、
恋人が居ないのであれば、情熱的な咲はきっと恋をしていただろう。
でもそんな咲には常識があり、自重できる強い心もあった。
だからJINをとてつもなくお慕いしていたにもかかわらず、
JINから告白らしきものをされたにもかかわらず、
それを突っぱねて恋仲になることを避けたのだ。

それはどっちにしても自分が傷つく。
JINが未来に帰ってしまえば、自分だけ取り残される。
そして帰らなければ、あたかも自分が未来からJINを奪い取り、
仁の未来自体も自分の欲望のままに奪い取るということから。
どっちにせよ自分は傷つくなら、他人も傷つくことはしたくなかった。
避けられない自分だけが傷つくだけでいい。
だからJINをこの上なくお慕いしているのに距離を保ったのだ。
これが健気以外に何と言える!?

確かに架空の話。ドラマの話。
でも大半のやつが欲望のままに生きている。
他人は二の次で自分がいいと思うこと、願うことに貪欲に。
そんなのばかりの世の中だから、特に咲の健気さに泣けたのだ。

しかもJINが現世に戻ってしまったことで、
JINが居た過去には、そんなものなかったことになっている。
仁友堂の仲間たちでさえ、そんな人居ないと。
でも愛した気持ちの中に、JINはしっかり根付いていて、
愛していたからこそ「歴史の修正力」によって
全員の記憶が消されても、咲の心の記憶は消しきれなかったのだ。
それが愛してやまない存在だった証でもある。
でも周りがあまりにもJINのことを忘れ去っている。
そんな中、日々生きていれば自分も徐々に忘れていく。
だけどそれを揺さぶり起こすように、物的なものとして、
平成22年の10円玉が、そんなもん江戸にも明治にも存在せず、
名前は歴史の修正力でかき消されてしまったが、
「先生」と呼んで、お慕いしていて、橘家に居候して、
仁友堂を立ち上げて、次々に困難な病と闘って、
不可能を可能にして治癒させてきた、愛すべき尊敬できる男は、
この見たこともない銅版を持って未来から来た男で、
それが未来に帰ってしまったことを、かろうじて覚えていた。
だから記憶が全てなくなる前に、文に残したのだ。

でも記憶は全てなくならなかったのだろう。
何故なら結婚をしなかったらしいこと。
それはJINにだけ自分の気持ちを捧げたという証。
それだけ過去と未来の同じような世代のものではあったが、
他には替えられないほど愛していたということだからだ。
そして乳がんから先が長くなかった野風の一人娘である安寿を
夫はその後どうなったのかは知らないが、
養女として迎えたことも至極理解できるし、
だから未来は自分が過去に行く以前の友永ではなく、
橘未来になっていたことも歴史の修正力という意味でよく解った。
どっちにしろ未来は野風の子孫であって、安寿の子か孫なのだよな。

漫画やドラマだからといえばそれまでだが、
咲はこの不思議な体験と思い出を未来の子孫に託した。
それは必ず仁は自分の過去を調べて、現代の子孫に会いに来ると。
だから記憶を書き留めた文を思い出にするのではなく、
安寿に、安寿から橘未来に、その文の存在を知らしめて、
見知らぬ不思議な男が尋ねてきたら、是非この文を渡してほしい。
その男を判断するには「揚げ出し豆腐は好きか?」と尋ねて
好きだという男で、後は雰囲気というか、多分この男だろうという
空気感が野風の血を引くあんたたちなら必ずわかると、
高をくくって託したのだと思われる。
それが見事そのとおりになって、咲の思いは江戸末期から
時を越えて平成22年の南方仁の元に届いた。

そんな江戸末期の時代にはJINを恋人にしたり、夫婦になることも
恭太郎や母や野風らに勧められようにも自重し、
愛してやまないJINを現代に返すことを不本意ながら切に願い、
そのJINの姿が無くなった後にも、JINだけを想い恋することもなく
一生を終え、その思いを100年以上も経って届けたという、
誰にも恥じることなく、一転の曇りもなくぴかぴかの思いで
100年も肉体は途中で滅んだが、あなただけをお慕いして参りました。
こういうことだとあの文を仁が読んでいて強く感じたので、
咲があまりにも健気過ぎてボロボロボロボロと泣いてしまったのだ。

干物の綾瀬はるかも可愛かったが、正直アホは毎日では疲れる。
実際リアル彼女はそれに近いと思うのだが、
咲は聡明でまっすぐで逞しくて汚点が無い。
最高の女だとしみじみ感じた。
だから綾瀬はるかではなく、咲を愛して守りたい気持ちが
凄く強くなった。
ま、半病人なんで力も失っているやつが言うのもなんだけど。


リアルな話。
現代になり、男女雇用機会均等法も施行され何年も経つ。
事実男社会だった職場にも女性の進出は結構ある。
そして草食系男子が増え、女性は逞しく強くなったと言われている。
でもそれって本当に強いとは違うんだよ。
女の強さ、逞しさって、こういう咲みたいな態度や生き様だよ。
いかにも女性らしく、奥ゆかしくかわいらしい。
でも情熱はとても熱く、まっすぐ見据えぶれない。
3歩下がって男についていくが、男が迷ったり道を外しそうなときは
死ぬ覚悟で説教をたれ、男に気づかせ、きちんとした道案内をさせる。
そうでないと道を外れて、ともに死ぬだけになるのだから。
それが本当に強い女だと。
利口な女は、男に主導権を持たせている雰囲気を与え、
従って居るように見えていて、しっかりと自分が手綱を持って、
男を自在にコントロールして手玉にしているもんだ。
所詮人間誰もが女から生まれてくる。
だから釈迦は母であるかのような存在で、孫悟空はその大きな母の
ちっぽけな手のひらが広大な全世界だと思い込んで鼻息荒く威張る。
でもその広大な世界が手のひらの中だけだと知ったときに、
母の存在の大きさを嫌というほど知らしめられるのだ。
それが母というものになりうる女という大きな存在なんだ。

・・・ゆえに男どもよ、それに気づいたら女を敬い大事にすることだ。

そして胎児腫瘍はそういうものがリアルにあることは知らなかったが、
それが竜馬ではないかというのは、竜馬の血を浴びたりしたので
そこで想定されてた通りだった。
でも原作とは違うエンディングらしいが、
村上もとかは六三四の剣しか読んだことがなく、
原作を知らないのでどう違うのか解らないが、
マルチエンディングも必要なく、ドラマだけ見たものは
これが全てでもいいかなと。
第一章というのかmisiaが主題歌のときの最終回のもやもや感は
大ブーイングを全国に巻き起こしたけど、
それを思うと都合いい部分はあれど、すっきりしたし。
なんにしても開局50周年だっけ?
ドラマのTBSといわれていた70年代とは今は想像も付かないぐらい
当たらないで居たので、TBSにとって現代のいい看板が増えたね。

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