昨日の24日に都立高校の一般入試が行われた。
湯島天神のネタはその前にどうにかギリギリ紹介できた。
今日はその日のその他の様子を。
冒頭は男坂の道に出たときに、中腹の右手にある湯島聖天。
正式には「天台宗 柳井堂 心城院」
元々男坂が湯島天神の表門だったので祭られたとか。
そして男坂の袂に付くと、右手に女坂に続く横道があるが、
その傍らにこの関東大震災の復興地蔵尊がある。
見て新しい通りに、私の時代には鉄の募金箱も雨よけの屋根も無かった。
男坂を上りきった左手、女坂上りきった正面に
この文具至宝碑があるのだが、なんと灯篭が倒れてこんな状況。
非常に汚いと言うか汚されている印象だがどうしたことか?
↑の右斜め後ろに社務所があるが、そこにはこの看板が。
記憶には残ってないのだが一番の大銀杏だったかも?
それが腐食による伐採をしたようで、
先日の男坂の下にあった舗装工事ってこのことだよ。
今一度あの日のあの画像を見ると、
工事箇所の×が女坂の袂とこの場所の2箇所にあった。
だから伐採されたてホヤホヤみたい。
どうせなら伐採前に来たかったな。遅くなって申し訳ない…。
だって私が父と来た時のこともしっかり見守っていた木だもんな。
そんな工事の余波みたいなもんで、灯篭が倒れたままなんだろうね。
なんというか一時的に置いてあるままみたいな。
残念な絵だけどやむを得ないかな。
手水舎の左後ろがこう。
そこから見て銅鳥居の左にある宝物殿まえが菊まみれ。
11月1日から23日まで開催のようだが、もう準備が殆ど整った菊まつり。
この鴨の首みたいなのはなんなんだべか??????
そういえば、前回も拝殿画像や巫女さん画像に写ってたでしょ?
とりあえずそこでは菊まつりとは書かなかったんだよね。
それって何?と言う説明が要るでしょ?
あー。この右のヤツなんか全部蕾だよね。開催後に満開なのだな。
これなんか盆栽みたいだよねぇ。いいの?これ?体裁が。
この辺は企業の協賛とかみたいだよね。
一番左が叙々苑だよ。どういうつながりなんだろうね?
・・・と思ったら、そういやそうだ!!
あの長年聚楽だったところ!西郷さんの下の!
あそこが確か叙々苑になってるな。
聚楽は思い出があるんだよなぁ。
高校生の時は下がUNIQUEでね。
UNIQUEってUNIQLOの前身ね。よく買い物した。安いし。
真ん中辺にいきなり服に囲まれた人一人入れる空間で
男が商品びっしり並べて大人のおもちゃ売ってた。
今思うと普通のファストファッション店のワンコーナーに
大人のおもちゃ屋が未成年者ガードも何も無く売ってんだもんね。
ありえないよな。通過するだけで全て丸見えなの。
丸見え過ぎてもっとみたくてもみられなかったと言う…。
その上の聚楽で叔母と食事した時叔母がタバスコ判らなくて。
私がオムライスだかお子様ランチ食べたので、
ケチャップだと思って渡された。
水っぽいし臭いも変だから叔母に違うと突っ返したけど、
猪木が輸入したそれが知らないもんだから、
違うわけないと半分切れられて仕方なくかけることに。
ひとつ向こうのテーブルの若い男女が
教えてくれればいいのに「あーあ、あの子掛けちゃったよ。
大変だよコリャ大変…」みたいにこそこそ言ってて。
私もその人らの声も聞こえたし、自分でも何か違うと思ってるから
アピールしたのに無知で自信家の大人に掛かったらもうアウト。
それを食って変調をきたさないと事は動かないのだ。
で、一口恐る恐る食ったら、口の中大爆発!
だってそのときの私は4~5歳だもん。
わさびもからしも何一つ辛いものは排除された人生真っ只中。
それが今だとハバネロだ何だといろいろあるけど、
国産の辛いもの以上の辛さで人生でいきなり一番の超辛い体験。
それが痛いとかでビックリして泣かないワケが無い。
例のカップルは想像通りでそれみたことかと言う感じで
あ~あ。可哀想に…って言ってたが、そう思うなら最初に止めてくれ。
しっかし記憶に残ってるけど、覚悟はして挑んだわけだけど
(食わないと収拾付かないから)想像をはるか超えた辛さだった。
だってケチャップのつもりで掛けるんだから、
タバスコドバドバだぜ!?大人の罰ゲームレベルだよ。
それが恥の上塗りなのが、叔母は大正15年生まれの昔の人だから
新しいこととか知らん端から見るとおばあさんなのに
妙に知ったかが強くて時にそれで迷惑被るんだけど、
最大級のそれがこの日のこの出来事だったね。
だって40年以上前なのにこんなに覚えてんだもん。
さらに店員を呼びつけて、なんでこんなもんテーブルにあるんだって。
ソースと醤油もあるからケチャップだとしか思わないって。
こんな小さい子が食べるテーブルに!って逆切れしたのが
私はものすごい言いがかりだと思って本当に恥ずかしかった。
何でオレは親でもないこんな人と今ここに居るんだろうって。
なので、おばちゃんお店の人は悪くないよ。と言ったら、
子供は黙ってなさいと一喝。さらにこんなに子どもに気も使わせて!と。
店員は一応大人はみんな知ってると言ってたし、
奥さんが知らないだけですよとも言ったが、
私が知らないものなどみんなが知ってるもののはずはないと言ってた。
顔から火が出る思いとはこういうことだと早すぎる体験をした。
だから聚楽は一生忘れることが無いし、無くなった今行けないけど
実はこの1回しか行った事が無いのにこんなに覚えている。
(親父とさらに前に行った気もするけど)
1回しかなのは、こんなことがあって二度と行けないがね。
高校生にもなれば判らないだろうけど恥ずかしすぎて…。
と、叙々苑からまさかこんなに話が膨らむとは…。
こっちのやつは↑のと違ってそこそこ咲いてるがね。
一応普通の感じの立派なやつもあるのだよ。
ピンボケだけど、これは何のつもりだ!?ってのも。キティか?
ということで、境内全体のあちこちにこのように飾られていた。
参集殿。
画像の向かって左手の先に唐門がある。
あ、前回授与所が唯一の売店と書いたけど、
ここにも思いきり売店があったね。
見てたし撮ってたのにわからんかったとは…。
しかもこの売店にこの向かいに忘れ物を見つけて届けたのに…。
その向かいがこれ、湯島の白梅の梅園。
撫で牛より銅鳥居のほうに行った所の火伏三社稲荷。
↑のそば、菊の陳列で回りこんでこの程度しか撮れなかった包丁塚。
拝殿の横にあったイセヒカリご奉納?
説明書き読まなかったので良く解らない。
本殿の真裏方向にある笹塚稲荷(左)と戸隱神社(右)
↑の隣にある夫婦坂。
男坂並に急だけど、途中に踊場があるんだよね。
冒頭のほうで転がってたのこの灯篭だよな。
撤去の際に邪魔になるので男坂や女坂から取ったんだろうね。
本来こうなってんだよきっと。
湯島天神のネタはその前にどうにかギリギリ紹介できた。
今日はその日のその他の様子を。
冒頭は男坂の道に出たときに、中腹の右手にある湯島聖天。
正式には「天台宗 柳井堂 心城院」
元々男坂が湯島天神の表門だったので祭られたとか。
そして男坂の袂に付くと、右手に女坂に続く横道があるが、
その傍らにこの関東大震災の復興地蔵尊がある。
見て新しい通りに、私の時代には鉄の募金箱も雨よけの屋根も無かった。
男坂を上りきった左手、女坂上りきった正面に
この文具至宝碑があるのだが、なんと灯篭が倒れてこんな状況。
非常に汚いと言うか汚されている印象だがどうしたことか?
↑の右斜め後ろに社務所があるが、そこにはこの看板が。
記憶には残ってないのだが一番の大銀杏だったかも?
それが腐食による伐採をしたようで、
先日の男坂の下にあった舗装工事ってこのことだよ。
今一度あの日のあの画像を見ると、
工事箇所の×が女坂の袂とこの場所の2箇所にあった。
だから伐採されたてホヤホヤみたい。
どうせなら伐採前に来たかったな。遅くなって申し訳ない…。
だって私が父と来た時のこともしっかり見守っていた木だもんな。
そんな工事の余波みたいなもんで、灯篭が倒れたままなんだろうね。
なんというか一時的に置いてあるままみたいな。
残念な絵だけどやむを得ないかな。
手水舎の左後ろがこう。
そこから見て銅鳥居の左にある宝物殿まえが菊まみれ。
11月1日から23日まで開催のようだが、もう準備が殆ど整った菊まつり。
この鴨の首みたいなのはなんなんだべか??????
そういえば、前回も拝殿画像や巫女さん画像に写ってたでしょ?
とりあえずそこでは菊まつりとは書かなかったんだよね。
それって何?と言う説明が要るでしょ?
あー。この右のヤツなんか全部蕾だよね。開催後に満開なのだな。
これなんか盆栽みたいだよねぇ。いいの?これ?体裁が。
この辺は企業の協賛とかみたいだよね。
一番左が叙々苑だよ。どういうつながりなんだろうね?
・・・と思ったら、そういやそうだ!!
あの長年聚楽だったところ!西郷さんの下の!
あそこが確か叙々苑になってるな。
聚楽は思い出があるんだよなぁ。
高校生の時は下がUNIQUEでね。
UNIQUEってUNIQLOの前身ね。よく買い物した。安いし。
真ん中辺にいきなり服に囲まれた人一人入れる空間で
男が商品びっしり並べて大人のおもちゃ売ってた。
今思うと普通のファストファッション店のワンコーナーに
大人のおもちゃ屋が未成年者ガードも何も無く売ってんだもんね。
ありえないよな。通過するだけで全て丸見えなの。
丸見え過ぎてもっとみたくてもみられなかったと言う…。
その上の聚楽で叔母と食事した時叔母がタバスコ判らなくて。
私がオムライスだかお子様ランチ食べたので、
ケチャップだと思って渡された。
水っぽいし臭いも変だから叔母に違うと突っ返したけど、
猪木が輸入したそれが知らないもんだから、
違うわけないと半分切れられて仕方なくかけることに。
ひとつ向こうのテーブルの若い男女が
教えてくれればいいのに「あーあ、あの子掛けちゃったよ。
大変だよコリャ大変…」みたいにこそこそ言ってて。
私もその人らの声も聞こえたし、自分でも何か違うと思ってるから
アピールしたのに無知で自信家の大人に掛かったらもうアウト。
それを食って変調をきたさないと事は動かないのだ。
で、一口恐る恐る食ったら、口の中大爆発!
だってそのときの私は4~5歳だもん。
わさびもからしも何一つ辛いものは排除された人生真っ只中。
それが今だとハバネロだ何だといろいろあるけど、
国産の辛いもの以上の辛さで人生でいきなり一番の超辛い体験。
それが痛いとかでビックリして泣かないワケが無い。
例のカップルは想像通りでそれみたことかと言う感じで
あ~あ。可哀想に…って言ってたが、そう思うなら最初に止めてくれ。
しっかし記憶に残ってるけど、覚悟はして挑んだわけだけど
(食わないと収拾付かないから)想像をはるか超えた辛さだった。
だってケチャップのつもりで掛けるんだから、
タバスコドバドバだぜ!?大人の罰ゲームレベルだよ。
それが恥の上塗りなのが、叔母は大正15年生まれの昔の人だから
新しいこととか知らん端から見るとおばあさんなのに
妙に知ったかが強くて時にそれで迷惑被るんだけど、
最大級のそれがこの日のこの出来事だったね。
だって40年以上前なのにこんなに覚えてんだもん。
さらに店員を呼びつけて、なんでこんなもんテーブルにあるんだって。
ソースと醤油もあるからケチャップだとしか思わないって。
こんな小さい子が食べるテーブルに!って逆切れしたのが
私はものすごい言いがかりだと思って本当に恥ずかしかった。
何でオレは親でもないこんな人と今ここに居るんだろうって。
なので、おばちゃんお店の人は悪くないよ。と言ったら、
子供は黙ってなさいと一喝。さらにこんなに子どもに気も使わせて!と。
店員は一応大人はみんな知ってると言ってたし、
奥さんが知らないだけですよとも言ったが、
私が知らないものなどみんなが知ってるもののはずはないと言ってた。
顔から火が出る思いとはこういうことだと早すぎる体験をした。
だから聚楽は一生忘れることが無いし、無くなった今行けないけど
実はこの1回しか行った事が無いのにこんなに覚えている。
(親父とさらに前に行った気もするけど)
1回しかなのは、こんなことがあって二度と行けないがね。
高校生にもなれば判らないだろうけど恥ずかしすぎて…。
と、叙々苑からまさかこんなに話が膨らむとは…。
こっちのやつは↑のと違ってそこそこ咲いてるがね。
一応普通の感じの立派なやつもあるのだよ。
ピンボケだけど、これは何のつもりだ!?ってのも。キティか?
ということで、境内全体のあちこちにこのように飾られていた。
参集殿。
画像の向かって左手の先に唐門がある。
あ、前回授与所が唯一の売店と書いたけど、
ここにも思いきり売店があったね。
見てたし撮ってたのにわからんかったとは…。
しかもこの売店にこの向かいに忘れ物を見つけて届けたのに…。
その向かいがこれ、湯島の白梅の梅園。
撫で牛より銅鳥居のほうに行った所の火伏三社稲荷。
↑のそば、菊の陳列で回りこんでこの程度しか撮れなかった包丁塚。
拝殿の横にあったイセヒカリご奉納?
説明書き読まなかったので良く解らない。
本殿の真裏方向にある笹塚稲荷(左)と戸隱神社(右)
↑の隣にある夫婦坂。
男坂並に急だけど、途中に踊場があるんだよね。
冒頭のほうで転がってたのこの灯篭だよな。
撤去の際に邪魔になるので男坂や女坂から取ったんだろうね。
本来こうなってんだよきっと。