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やや古くなったが、映画SP最終章での堤真一の台詞が今日のタイトル。
あの言い草がまさにマッチした出来事だった。
これは近所の肉屋だ。
どこにでもある普通の肉屋だがそうでもない。
変わった肉屋なのか?まさか北島康介の実家!???
と言うとそういうことではない。
スーパーなどに押されて、肉屋という商店が激減しているのだ。
以前にも少し触れたが、私が幼い頃は1km弱の商店街があった。
そこはそれだけ長い分、同業が数店あったのだ。
肉屋は2つ。小規模スーパー入れると4つ。魚屋も同等だった。
花屋でさえ2店舗あった。でもそれも今は相当廃れて商店街になのに
セザールのマンションもあるわ、店を畳むところが多数出た。
そんな折、うちの現住所の辺りも例外ではなく、
元々商店街はないが、商店は減ってる。肉屋が皆無に等しい。
1店は3つ隣町のところで、娘と買い食いしたら冷たくて、
揚げたてでない分、イマイチだったが手作りのそれは美味しかったと
書いたところがある。
でもそれだけ離れているので毎日のようには行けない。
そう思うとこの冒頭画像のところは、2つ隣町なので行こうと思えば行ける。
そんなところにある、事実上一番近い肉屋なのだ。
ここで以前買おうと思ったら、油を落としたために無理だったが、
このたびそれも踏まえて、少し早い時間に買いに行ったのだ。
こんなどこにでもある日常の肉屋が希少だって言うのが意外だよね。
ところがその日は普通に買えたのだ。
しかも少し待てますか?とのこと。
当然ストックがないのでこれから揚げるのだった。
揚げたてが食いたいこっちとしては、好都合だっての。
15分ほどかかると言われたが、手際よく10分程度で揚がったのだ。
そこでこのまま立ち食いするのに娘と私で2個。
翌朝の娘のおかずに1個。(かみさん夜勤)
今晩のおかずは用意されているが、サラダがなかったので、
春雨サラダがウマそうだったので、それを100g買ったのだ。
気分がいいので余計なものも買いたくなった。
それもやはり自分が幼い頃してきた買い食い。
その中でもコッペパンにジャム塗ってもらったり、
おでんやでミソダレ塗って食べたり以上に、
この肉屋でのコロッケが最高にウマかったのだ。
もちろんそんな時代背景の子どもでもない。
それは私よりもひと世代は前の人たちのやってきたこと。
でもその名残が残っていて、それを知っている友がいて、
それに誘われるがままにしてきたことが、何かほのぼのとした
下町らしいじんわりとした温かみというか、らしさであって、
下町育ちの娘には、その典型的なものは盆踊りに夏祭り同等に
知って欲しいと思っていたので、自分と同じことが出来ることが
嬉しくて仕方なかったのだ。この1回でもあると無いとでは大違い。
そしてそろそろ揚がるというときに、おばさんに声をかけた。
「あ、すいません。それ、ソースかけてもらえま…」
と言ったかどうか程度で「うちはそういうのやってないんです!」と、
面倒くさいこと常連でもないのに言うんじゃないよと言わんばかりに
かき消され否定されたのだった。
「残念だよ…本当に残念だよ…」
このときリアルにそう思った。
だって言ってしまえば、この近所にスーパーって3箇所あって、
主婦のチャリでの稼動範囲だと5~6箇所もあるんだよ。
そんななか一般の肉屋が差別化を図って、売りがあるとすれば、
こういう融通性と、地域の人とのコミュニケーションでしょ?
回転寿司に行って、誰も回ってる寿司は取らない。注文する。
20年前とか、今だと慣れてない人だけが取って食う。
なのに「うちのすし屋は注文不可!回っているのだけ食ってくれ!」
こういうこと言って、よその半額ならそれでも我慢できるが、
よそと同等かそれ以上の割高。
そんな回転寿司誰が行く?俺は二度と行かない。
大阪商人とは昔から言われるように、大阪の人は商魂徹しているが、
関東のこんな下町ではそんなのには程遠いのだよな。
たかがソースかけるだけだぜ!?
それを剥きになって否定されてドン引きした。
これまでの高揚した気持ちが一気にトーンダウンして、
サラダもコロッケもイラネェ!といって帰りたかった。
だって揚げたてコロッケにソースかけてもらって、
それを歩き食いして帰りたかったのだから。
その根底を覆されては、腹立たしいにもほどがあった。
まして前回油の火を落としていてお預けも食ったんだし。
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ほとんどを隠してしまったのでよくわからないが、
これはその揚げたてコロッケを食べる娘。
悔しいから肉屋のすぐそばでは食わずに、
暫く歩いて信号を渡ったあたりから食いだしたのだ。
当然ソースなんてかかってない。
でも揚げたてなら、それがなくてもウマいことは知ってるので、
娘に食べさせたのだが、凄く美味しいと喜んでいた。
揚げたてのホクホク感と油のわずかな塩見加減である程度十分。
しかも工場で加工されているだろう量産物。
アレがよかったので、ある意味そういうコロッケだった。
娘にはソースがかかったものではないけど、
私がそれがウマいんだといって、執拗に実現しようとしていたことが
どういう意味でなのかは、食って解ったと思う。
なのでそれでとりあえずは十分。
だけど地域の肉屋として、商店としてあまりにも残念。
息子も跡を継いでいるようだったが、長く続かないかと。
個人商店がスーパーやコンビニに潰されていったのは、
それらが悪いんだという話を散々聞いてきたが、
そうではなく、個人商店側の問題が大きいのではないかと思った。
それに気が付かない了見の狭さというか、
会社勤めをしたことが無い部分などが大きいのだろうな。
学習する機会がないからね。
そう思うと商店主は積極的に研修などに出る必要があるな。
それも店はどうするんだという問題があるけど。
ならばドラッガーのマネジメントではなく成功哲学でも読むがいい。
そのぐらい学習しないとダメすぎる。
本当は単純に、肉屋で揚げたてコロッケを買い食いしたという話を
書きたくてこの店も撮影したので、
残念な紹介に使われる羽目になるとは本当に残念な店だ。
あの言い草がまさにマッチした出来事だった。
これは近所の肉屋だ。
どこにでもある普通の肉屋だがそうでもない。
変わった肉屋なのか?まさか北島康介の実家!???
と言うとそういうことではない。
スーパーなどに押されて、肉屋という商店が激減しているのだ。
以前にも少し触れたが、私が幼い頃は1km弱の商店街があった。
そこはそれだけ長い分、同業が数店あったのだ。
肉屋は2つ。小規模スーパー入れると4つ。魚屋も同等だった。
花屋でさえ2店舗あった。でもそれも今は相当廃れて商店街になのに
セザールのマンションもあるわ、店を畳むところが多数出た。
そんな折、うちの現住所の辺りも例外ではなく、
元々商店街はないが、商店は減ってる。肉屋が皆無に等しい。
1店は3つ隣町のところで、娘と買い食いしたら冷たくて、
揚げたてでない分、イマイチだったが手作りのそれは美味しかったと
書いたところがある。
でもそれだけ離れているので毎日のようには行けない。
そう思うとこの冒頭画像のところは、2つ隣町なので行こうと思えば行ける。
そんなところにある、事実上一番近い肉屋なのだ。
ここで以前買おうと思ったら、油を落としたために無理だったが、
このたびそれも踏まえて、少し早い時間に買いに行ったのだ。
こんなどこにでもある日常の肉屋が希少だって言うのが意外だよね。
ところがその日は普通に買えたのだ。
しかも少し待てますか?とのこと。
当然ストックがないのでこれから揚げるのだった。
揚げたてが食いたいこっちとしては、好都合だっての。
15分ほどかかると言われたが、手際よく10分程度で揚がったのだ。
そこでこのまま立ち食いするのに娘と私で2個。
翌朝の娘のおかずに1個。(かみさん夜勤)
今晩のおかずは用意されているが、サラダがなかったので、
春雨サラダがウマそうだったので、それを100g買ったのだ。
気分がいいので余計なものも買いたくなった。
それもやはり自分が幼い頃してきた買い食い。
その中でもコッペパンにジャム塗ってもらったり、
おでんやでミソダレ塗って食べたり以上に、
この肉屋でのコロッケが最高にウマかったのだ。
もちろんそんな時代背景の子どもでもない。
それは私よりもひと世代は前の人たちのやってきたこと。
でもその名残が残っていて、それを知っている友がいて、
それに誘われるがままにしてきたことが、何かほのぼのとした
下町らしいじんわりとした温かみというか、らしさであって、
下町育ちの娘には、その典型的なものは盆踊りに夏祭り同等に
知って欲しいと思っていたので、自分と同じことが出来ることが
嬉しくて仕方なかったのだ。この1回でもあると無いとでは大違い。
そしてそろそろ揚がるというときに、おばさんに声をかけた。
「あ、すいません。それ、ソースかけてもらえま…」
と言ったかどうか程度で「うちはそういうのやってないんです!」と、
面倒くさいこと常連でもないのに言うんじゃないよと言わんばかりに
かき消され否定されたのだった。
「残念だよ…本当に残念だよ…」
このときリアルにそう思った。
だって言ってしまえば、この近所にスーパーって3箇所あって、
主婦のチャリでの稼動範囲だと5~6箇所もあるんだよ。
そんななか一般の肉屋が差別化を図って、売りがあるとすれば、
こういう融通性と、地域の人とのコミュニケーションでしょ?
回転寿司に行って、誰も回ってる寿司は取らない。注文する。
20年前とか、今だと慣れてない人だけが取って食う。
なのに「うちのすし屋は注文不可!回っているのだけ食ってくれ!」
こういうこと言って、よその半額ならそれでも我慢できるが、
よそと同等かそれ以上の割高。
そんな回転寿司誰が行く?俺は二度と行かない。
大阪商人とは昔から言われるように、大阪の人は商魂徹しているが、
関東のこんな下町ではそんなのには程遠いのだよな。
たかがソースかけるだけだぜ!?
それを剥きになって否定されてドン引きした。
これまでの高揚した気持ちが一気にトーンダウンして、
サラダもコロッケもイラネェ!といって帰りたかった。
だって揚げたてコロッケにソースかけてもらって、
それを歩き食いして帰りたかったのだから。
その根底を覆されては、腹立たしいにもほどがあった。
まして前回油の火を落としていてお預けも食ったんだし。
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ほとんどを隠してしまったのでよくわからないが、
これはその揚げたてコロッケを食べる娘。
悔しいから肉屋のすぐそばでは食わずに、
暫く歩いて信号を渡ったあたりから食いだしたのだ。
当然ソースなんてかかってない。
でも揚げたてなら、それがなくてもウマいことは知ってるので、
娘に食べさせたのだが、凄く美味しいと喜んでいた。
揚げたてのホクホク感と油のわずかな塩見加減である程度十分。
しかも工場で加工されているだろう量産物。
アレがよかったので、ある意味そういうコロッケだった。
娘にはソースがかかったものではないけど、
私がそれがウマいんだといって、執拗に実現しようとしていたことが
どういう意味でなのかは、食って解ったと思う。
なのでそれでとりあえずは十分。
だけど地域の肉屋として、商店としてあまりにも残念。
息子も跡を継いでいるようだったが、長く続かないかと。
個人商店がスーパーやコンビニに潰されていったのは、
それらが悪いんだという話を散々聞いてきたが、
そうではなく、個人商店側の問題が大きいのではないかと思った。
それに気が付かない了見の狭さというか、
会社勤めをしたことが無い部分などが大きいのだろうな。
学習する機会がないからね。
そう思うと商店主は積極的に研修などに出る必要があるな。
それも店はどうするんだという問題があるけど。
ならばドラッガーのマネジメントではなく成功哲学でも読むがいい。
そのぐらい学習しないとダメすぎる。
本当は単純に、肉屋で揚げたてコロッケを買い食いしたという話を
書きたくてこの店も撮影したので、
残念な紹介に使われる羽目になるとは本当に残念な店だ。