世間で「負けヒロインのメリア救済企画」と揶揄される番外編の「つながる未来編」だが、「ガド救済企画」も作ってほしかったわ。
ガドのことなど忘れたようにラインと水辺ではしゃぐカルナとジュジュが描かれたエンディングはツラすぎた。あれじゃガドが浮かばれないぜ・・・
100時間プレイした感想です。名作、と称賛して差し支えないと思う。製作者たちに感謝を。
以下、ネタバレ含む感想。
個人的には、カルナとガドには結ばれてほしかった・・・
終盤の第16章でカルナに横恋慕してるラインがガドに減らず口叩いてるシーンには正直イラっとしたものだ。「お前の出る幕じゃねぇっ」とね。
記憶を完全に消されても、それでも決してカルナだけは撃とうとしなかったガドの愛は本物だと思う。
「モナドで人は斬れない」という設定とカルナやオダマさんが「ガドは生きてるような気がする」と匂わせた時点で正直、先の展開は予想できた。
私にとって予想外だったのは、その予想通りになってこんなにツライとは思わなかったことだ・・・
エンディングでガドのことなどなかったかのようにラインたちと水辺で戯れるカルナとジュジュを見ているのは辛かった・・・。そこはラインではなく本来はガドがいるべき場所だったのに。
っていうかジュジュ、ガドはお前にとって父親代わりのような人だったんじゃねぇのかよ!あっさりしてんな随分!
これではガドは浮かばれないぞ正直・・・。自分の婚約者が自分が死んだらあっさり別の男に
乗り換えてるのを見たら死んでも死にきれない。成仏できないだろう。
使徒ディクソンとの戦いで、護って死ぬのなんてダメ、とガドの献身をまるで否定するかのようなセリフをフィオルンに叫ぶカルナには耳を疑った。
未来と可能性を語る本作ではあるが、死者には未来などないのだ。ただ凍結された過去があるだけ。
最終盤の記憶空間における「思念体ガド」なんて登場も死者を冒涜しているようにしか思えず二重に腹が立ったものだ。
その死者の屍を踏みしだいて彼らは未来を語っているのだ。本来あるべきだった死者たちの未来と居場所を押しのけて・・・・。
どうせ新たなモナドで宇宙を再構成するのであればカルナとガドには結ばれてほしかった・・・
多くの人は感動するエンディングなのかも知れないが、私は死者たちが本来あり得た可能性と未来を
想起して見ていて辛かった。
世間で「負けヒロインのメリア救済企画」と揶揄される番外編の「つながる未来編」だが、
「ガド救済企画」も作ってほしかったわ・・・
どのような事情や動機があったとしても、やはりエギルのしでかしたことはとうてい許されるものではないし
許してはならないのだと思う。ガドとカルナだけでなくフィオルンやコロニー6、コロニー9、・・・巨神界の多くの人の
命を奪い、人生を歪め、幸せを奪ったのだから。生きたかった人はたくさんいたはずだ・・・(機神を動かして更に何千人も殺してるしね)
落ちた腕の砂浜で「親にできることは子どもたちを見守ることだけ」とダンバンに語るリキ。
これは神と人の関係にも言えるのではないだろうか。自らの願いが叶わず不遇にある時、
人は神が何もしてくれないと嘆くが、神様にできることも人間たちを見守ることだけなのかも知れない。
神であるザンザと人間であるホムスとの対立。世界はどちらのものか。
この命題は私達の地球に置き換えてみれば地球自体は地球自身のものか人類のものか、
と問われているようなものだ。
私の感覚から言えば、地球は地球自身のものなので自然災害や伝染病という
かたちをとって人類がひどい目にあい、人類が滅亡に瀕しても地球の側に正義があると思える。
逆シャアのエコテロリズムはやりすぎだが(笑)
別の例え方をすれば、アナタの体に寄生しているノミやダニが
アナタの意思に逆らいアナタの体の支配権を主張しているようなものなのがシュルクたちの立場だ。
自分たちを生み出した「神」が実在する世界で神に逆らうことの難しさ。
「あたりの前のこと」が神と人では違いすぎる。神にとって当たり前のことは人にとっては非常識で非道
だし逆もまた然りである。
神と人、などという大仰なくくりでなくても人間の親子関係でもその認識のズレは
よくあることでもある。
「守りたいもの」が違ってくれば正義は自ずと違ってくる。
ゼノブレイドシリーズの脚本はベタだし、先の読めるシナリオ展開も多いが、それでもきちんと王道を踏まえて
プレイヤーに今の私のように色々と思考させる力を持った脚本だしゲームである。
名作、と称賛して差し支えないと思う。製作者たちに感謝を。
ガドのことなど忘れたようにラインと水辺ではしゃぐカルナとジュジュが描かれたエンディングはツラすぎた。あれじゃガドが浮かばれないぜ・・・
100時間プレイした感想です。名作、と称賛して差し支えないと思う。製作者たちに感謝を。
以下、ネタバレ含む感想。
個人的には、カルナとガドには結ばれてほしかった・・・
終盤の第16章でカルナに横恋慕してるラインがガドに減らず口叩いてるシーンには正直イラっとしたものだ。「お前の出る幕じゃねぇっ」とね。
記憶を完全に消されても、それでも決してカルナだけは撃とうとしなかったガドの愛は本物だと思う。
「モナドで人は斬れない」という設定とカルナやオダマさんが「ガドは生きてるような気がする」と匂わせた時点で正直、先の展開は予想できた。
私にとって予想外だったのは、その予想通りになってこんなにツライとは思わなかったことだ・・・
エンディングでガドのことなどなかったかのようにラインたちと水辺で戯れるカルナとジュジュを見ているのは辛かった・・・。そこはラインではなく本来はガドがいるべき場所だったのに。
っていうかジュジュ、ガドはお前にとって父親代わりのような人だったんじゃねぇのかよ!あっさりしてんな随分!
これではガドは浮かばれないぞ正直・・・。自分の婚約者が自分が死んだらあっさり別の男に
乗り換えてるのを見たら死んでも死にきれない。成仏できないだろう。
使徒ディクソンとの戦いで、護って死ぬのなんてダメ、とガドの献身をまるで否定するかのようなセリフをフィオルンに叫ぶカルナには耳を疑った。
未来と可能性を語る本作ではあるが、死者には未来などないのだ。ただ凍結された過去があるだけ。
最終盤の記憶空間における「思念体ガド」なんて登場も死者を冒涜しているようにしか思えず二重に腹が立ったものだ。
その死者の屍を踏みしだいて彼らは未来を語っているのだ。本来あるべきだった死者たちの未来と居場所を押しのけて・・・・。
どうせ新たなモナドで宇宙を再構成するのであればカルナとガドには結ばれてほしかった・・・
多くの人は感動するエンディングなのかも知れないが、私は死者たちが本来あり得た可能性と未来を
想起して見ていて辛かった。
世間で「負けヒロインのメリア救済企画」と揶揄される番外編の「つながる未来編」だが、
「ガド救済企画」も作ってほしかったわ・・・
どのような事情や動機があったとしても、やはりエギルのしでかしたことはとうてい許されるものではないし
許してはならないのだと思う。ガドとカルナだけでなくフィオルンやコロニー6、コロニー9、・・・巨神界の多くの人の
命を奪い、人生を歪め、幸せを奪ったのだから。生きたかった人はたくさんいたはずだ・・・(機神を動かして更に何千人も殺してるしね)
落ちた腕の砂浜で「親にできることは子どもたちを見守ることだけ」とダンバンに語るリキ。
これは神と人の関係にも言えるのではないだろうか。自らの願いが叶わず不遇にある時、
人は神が何もしてくれないと嘆くが、神様にできることも人間たちを見守ることだけなのかも知れない。
神であるザンザと人間であるホムスとの対立。世界はどちらのものか。
この命題は私達の地球に置き換えてみれば地球自体は地球自身のものか人類のものか、
と問われているようなものだ。
私の感覚から言えば、地球は地球自身のものなので自然災害や伝染病という
かたちをとって人類がひどい目にあい、人類が滅亡に瀕しても地球の側に正義があると思える。
逆シャアのエコテロリズムはやりすぎだが(笑)
別の例え方をすれば、アナタの体に寄生しているノミやダニが
アナタの意思に逆らいアナタの体の支配権を主張しているようなものなのがシュルクたちの立場だ。
自分たちを生み出した「神」が実在する世界で神に逆らうことの難しさ。
「あたりの前のこと」が神と人では違いすぎる。神にとって当たり前のことは人にとっては非常識で非道
だし逆もまた然りである。
神と人、などという大仰なくくりでなくても人間の親子関係でもその認識のズレは
よくあることでもある。
「守りたいもの」が違ってくれば正義は自ずと違ってくる。
ゼノブレイドシリーズの脚本はベタだし、先の読めるシナリオ展開も多いが、それでもきちんと王道を踏まえて
プレイヤーに今の私のように色々と思考させる力を持った脚本だしゲームである。
名作、と称賛して差し支えないと思う。製作者たちに感謝を。