1999年放送のマルチメディアカウントダウンでやまとなでしこの曲をギターで生演奏した鷲崎健。
2021年のグレパラジオPでネットに転がってる違法動画で当時の演奏も聞いたとのこと。
ニコ動のコメントに時代感じる。そうだよみんな昔は鷲崎を呼び捨てだったんだよな
ヨルナイト以降くらいから鷲崎"さん"と敬称つける呼び方が増えてきたなニコ動でもTwitterでも。
グレパラジオPで鷲崎が、大阪時代はダウンタウンより年齢が上でも下でもみんな「松本・浜田」と普通に呼びすてにしてたのに、
東京に進出して「松っちゃん浜ちゃん」と呼ばれてることを「気持ち悪いと思った」と吐露。
これは鷲崎に対する呼び方も全く同じである。昔は皆、ニコ動でも2ちゃんねるでも「鷲崎」と普通に呼び捨てだったのに、
いつの間にか「わっしー」とか「鷲崎さん」とかいう呼び方が定着して違和感を感じていたものだ。
上記の演奏については鷲崎は「すげぇ丁寧に弾いてるなオレって思った。今こんなに丁寧に弾いてないもん」とグレパPで暴露。
いや、だったら反省してちゃんと今も丁寧に弾けよ鷲崎健!慣れや惰性で弾くな!
鷲崎にはこの番組に限らず、ボールペンのノックをカチャカチャする悪癖もある。すべて耳障りなノイズだ。ディレクターや作家はきちんと注意すべきだ。
鷲崎健は他にも悪癖があり、よくイラっとさせられるのは出演者や声優の名前を挙げる際に名字しか言わないという例が非常に多い。
正直誰のこと言ってるのかわからない場合もあり、スタッフや個人的な知り合いと声優の名字が同じ場合は特に厄介だ。
あとは鷲崎自身の中でしか浸透してないあだ名で呼ぶケースも同様だ。いずれも聞くリスナーのことを配慮していない。
自身が長年ラジオを続けていながら、また多くのラジオを聞いている身でありながら、
「自分さえわかっていればいい」「その場の人間が面白ければそれでいい」というきわめてプロ意識に欠ける姿勢なのだ。
鷲崎のトークスタイルである「昭和エンタメ知識」もその弊害の象徴であると言える。40代が聞いても意味不明なことも多々ある。
これは鷲崎健が若い頃から全く変わっていない悪癖である。声優の小野坂昌也が昔からよく「現場の人間が楽しいことが聞いてるリスナーも一番楽しい」
という趣旨の発言をしていたが、それは最低限、リスナーに「伝わる努力」をしていることが前提である。
鷲崎にはそれが全く無い。歳を取ってからは(具体的に40代になってからは)、この悪癖の傾向が強まっている。
特にヨルナイト以降は、お山の大将になってしまい、注意をしてくれるスタッフも共演者もいないのであろう、
独りよがりなトークスタイルがますます強まってしまっている。それがゲスト対応にも現れているのだ。
基本的にイベントのMCの際もそうだが、鷲崎健の基本スタイルは「自身が場を支配する」というやり方だ。
トークの流れも話題もすべて鷲崎健が支配することによってしか彼の番組やMCイベントは成立しない。
グレパ、やや好き、スタイルモード、そしてヨルナイトも、過去の声優が相方を努めた番組も全てそうだ。
鷲崎健はおよそ番組内において、他者が場の支配権を握ることに、他者が会話をリードすることに我慢ならないのだろう。
いや、対応できないと言ったほうがいいかもしれない。彼は自身が言っているようにMCとしてしかバラエティが展開できない。
それが小気味好い場合、美しくハマる場合もある。特に多人数のゲストを相手取る場合は有効な場合があることは事実だ。
しかし、殆どの場合において相方の声優は鷲崎に遠慮し、鷲崎に会話を合わせており、
本当に対等な会話、声優が本当に言いたいことを言えている感は、少なくともリスナーには感じられない。
唯一の例外は、アニスパくらいだったと思う。なぜならアニスパは相方の浅野真澄と意識の上でも対等であったし、
何より番組の場の支配権を作家の諏訪さんが完全にコントロールしていたからだ。だからアニスパだけが鷲崎健の番組の中で異質であり、
際立って面白かったのである。そのことをリスナーが理解したのは、もはやアニスパが存在しなくなってからのことだった。
番組聞くと高森奈津美は我の強そうな印象だった
gurepap@onsen.ag
2021年のグレパラジオPでネットに転がってる違法動画で当時の演奏も聞いたとのこと。
ニコ動のコメントに時代感じる。そうだよみんな昔は鷲崎を呼び捨てだったんだよな
ヨルナイト以降くらいから鷲崎"さん"と敬称つける呼び方が増えてきたなニコ動でもTwitterでも。
グレパラジオPで鷲崎が、大阪時代はダウンタウンより年齢が上でも下でもみんな「松本・浜田」と普通に呼びすてにしてたのに、
東京に進出して「松っちゃん浜ちゃん」と呼ばれてることを「気持ち悪いと思った」と吐露。
これは鷲崎に対する呼び方も全く同じである。昔は皆、ニコ動でも2ちゃんねるでも「鷲崎」と普通に呼び捨てだったのに、
いつの間にか「わっしー」とか「鷲崎さん」とかいう呼び方が定着して違和感を感じていたものだ。
上記の演奏については鷲崎は「すげぇ丁寧に弾いてるなオレって思った。今こんなに丁寧に弾いてないもん」とグレパPで暴露。
いや、だったら反省してちゃんと今も丁寧に弾けよ鷲崎健!慣れや惰性で弾くな!
鷲崎にはこの番組に限らず、ボールペンのノックをカチャカチャする悪癖もある。すべて耳障りなノイズだ。ディレクターや作家はきちんと注意すべきだ。
鷲崎健は他にも悪癖があり、よくイラっとさせられるのは出演者や声優の名前を挙げる際に名字しか言わないという例が非常に多い。
正直誰のこと言ってるのかわからない場合もあり、スタッフや個人的な知り合いと声優の名字が同じ場合は特に厄介だ。
あとは鷲崎自身の中でしか浸透してないあだ名で呼ぶケースも同様だ。いずれも聞くリスナーのことを配慮していない。
自身が長年ラジオを続けていながら、また多くのラジオを聞いている身でありながら、
「自分さえわかっていればいい」「その場の人間が面白ければそれでいい」というきわめてプロ意識に欠ける姿勢なのだ。
鷲崎のトークスタイルである「昭和エンタメ知識」もその弊害の象徴であると言える。40代が聞いても意味不明なことも多々ある。
これは鷲崎健が若い頃から全く変わっていない悪癖である。声優の小野坂昌也が昔からよく「現場の人間が楽しいことが聞いてるリスナーも一番楽しい」
という趣旨の発言をしていたが、それは最低限、リスナーに「伝わる努力」をしていることが前提である。
鷲崎にはそれが全く無い。歳を取ってからは(具体的に40代になってからは)、この悪癖の傾向が強まっている。
特にヨルナイト以降は、お山の大将になってしまい、注意をしてくれるスタッフも共演者もいないのであろう、
独りよがりなトークスタイルがますます強まってしまっている。それがゲスト対応にも現れているのだ。
基本的にイベントのMCの際もそうだが、鷲崎健の基本スタイルは「自身が場を支配する」というやり方だ。
トークの流れも話題もすべて鷲崎健が支配することによってしか彼の番組やMCイベントは成立しない。
グレパ、やや好き、スタイルモード、そしてヨルナイトも、過去の声優が相方を努めた番組も全てそうだ。
鷲崎健はおよそ番組内において、他者が場の支配権を握ることに、他者が会話をリードすることに我慢ならないのだろう。
いや、対応できないと言ったほうがいいかもしれない。彼は自身が言っているようにMCとしてしかバラエティが展開できない。
それが小気味好い場合、美しくハマる場合もある。特に多人数のゲストを相手取る場合は有効な場合があることは事実だ。
しかし、殆どの場合において相方の声優は鷲崎に遠慮し、鷲崎に会話を合わせており、
本当に対等な会話、声優が本当に言いたいことを言えている感は、少なくともリスナーには感じられない。
唯一の例外は、アニスパくらいだったと思う。なぜならアニスパは相方の浅野真澄と意識の上でも対等であったし、
何より番組の場の支配権を作家の諏訪さんが完全にコントロールしていたからだ。だからアニスパだけが鷲崎健の番組の中で異質であり、
際立って面白かったのである。そのことをリスナーが理解したのは、もはやアニスパが存在しなくなってからのことだった。
番組聞くと高森奈津美は我の強そうな印象だった
gurepap@onsen.ag