戦後もフィリピンの村人を殺した小野田寛郎
1970年代になって小野田少尉が帰ってきた日本は、彼が好むものではなかった。戦後世代は軟弱になったと彼は考えていた。一時ブラジルに移住し、牛の牧場で生計を立てた。その後日本に戻って学校を開き、ジャングルで30年間生き延びるのに役立った技能を日本の若者に教え込んだ。
小野田寛郎が2014年に91歳で死去した時、追悼を述べた安倍首相の報道官は感情をあらわにした。彼は小野田の孤独な戦争の無益さについてはみじんも触れず、日本が降伏して何年もたってから小野田が殺したフィリピンの村人たちのことも言及しなかった。その代わり彼は、小野田寛郎は日本の英雄だと述べた。
1970年代になって小野田少尉が帰ってきた日本は、彼が好むものではなかった。戦後世代は軟弱になったと彼は考えていた。一時ブラジルに移住し、牛の牧場で生計を立てた。その後日本に戻って学校を開き、ジャングルで30年間生き延びるのに役立った技能を日本の若者に教え込んだ。
小野田寛郎が2014年に91歳で死去した時、追悼を述べた安倍首相の報道官は感情をあらわにした。彼は小野田の孤独な戦争の無益さについてはみじんも触れず、日本が降伏して何年もたってから小野田が殺したフィリピンの村人たちのことも言及しなかった。その代わり彼は、小野田寛郎は日本の英雄だと述べた。