日向坂の松田好花「いや…1票差ですよ?」令和ロマンM1優勝に疑問を呈す。
最終決戦もどう見ても令和ロマンよりバッテリィズの方が面白かったのに
令和ロマンの連覇は悪手だわ審査員
ただみんな叫びすぎてて耳障り。これはほんと今の漫才の弊害( ´_ゝ`)
2015年に復活して以降の歴代で印象に残ってるネタってミルクボーイが優勝した回のネタと2022年のウエストランド井口の悪口漫才くらいしかないわ
基本的にここ10年以上、M1でガチで笑ったことは一度もない
最終決戦の真空ジェシカのアンジェラアキのネタのあとに今田「実際のアンジェラアキさんはあんなんじゃないですからね」
上戸彩「ライブも気になっちゃいますね」という超テキトーな上戸彩のコメント
「M-1だけでも復帰すれば」「一気に冷めた」番組冒頭の創設者・島田紳助さんの直筆メッセージにネットで賛否渦巻く
漫才日本一決定戦「M―1グランプリ2024」が22日、テレビ朝日で行われた。同系列で生放送され、創設者で元お笑いタレントの島田紳助さんのメッセージが紹介されると、ネット上で賛否を呼んだ。
◆島田紳助さん、暴力団関係者との交際を芸能界引退会見【写真】
今年で20周年を迎えた若手漫才師ナンバーワンを決める大会。紳助さんの直筆で「いつまでもM1が夢の入口でありますように」と書かれていた。
X(旧ツイッター)では「島田紳助さんM-1だけでも復帰すればいいのに」「島田紳助はやっぱり偉大だったんだな」「島田紳助さんのコメントにM1グランプリのボルテージマックスです」などと歓迎する声があった一方、紳助さんは、2011年に暴力団関係者との交際を理由に、芸能界を引退していることから「めちゃくちゃ感謝してるし、すごくいい功績だなと思うけどそれはそれ。これはこれ。やったことは消せないよ・・・なんで出てきた・・・」「島田紳助の名前が出てきて一気に冷めたのは俺だけか、、、」「島田紳助いつ許されたの?」などと反発する声もあった。
また、もともとは厳しい芸人の世界で、夢を諦める区切りとして創設したとも言われており「漫才の道を断念させるためのステージが全てのお笑い芸人達の、そして芸人を志す人達の憧れの場になった。島田紳助は正直複雑だったかもしれないね」「漫才師として夢を諦めさせる、辞めさせるきっかけ作りとして島田紳助が開いたM-1が20年を経て『いつまでも夢の入り口になりますように』と前向きな未来のためへと変化したの感慨深いな」などと、受け止め方もさまざまだった。
最終決戦もどう見ても令和ロマンよりバッテリィズの方が面白かったのに
令和ロマンの連覇は悪手だわ審査員
ただみんな叫びすぎてて耳障り。これはほんと今の漫才の弊害( ´_ゝ`)
2015年に復活して以降の歴代で印象に残ってるネタってミルクボーイが優勝した回のネタと2022年のウエストランド井口の悪口漫才くらいしかないわ
基本的にここ10年以上、M1でガチで笑ったことは一度もない
最終決戦の真空ジェシカのアンジェラアキのネタのあとに今田「実際のアンジェラアキさんはあんなんじゃないですからね」
上戸彩「ライブも気になっちゃいますね」という超テキトーな上戸彩のコメント
「M-1だけでも復帰すれば」「一気に冷めた」番組冒頭の創設者・島田紳助さんの直筆メッセージにネットで賛否渦巻く
漫才日本一決定戦「M―1グランプリ2024」が22日、テレビ朝日で行われた。同系列で生放送され、創設者で元お笑いタレントの島田紳助さんのメッセージが紹介されると、ネット上で賛否を呼んだ。
◆島田紳助さん、暴力団関係者との交際を芸能界引退会見【写真】
今年で20周年を迎えた若手漫才師ナンバーワンを決める大会。紳助さんの直筆で「いつまでもM1が夢の入口でありますように」と書かれていた。
X(旧ツイッター)では「島田紳助さんM-1だけでも復帰すればいいのに」「島田紳助はやっぱり偉大だったんだな」「島田紳助さんのコメントにM1グランプリのボルテージマックスです」などと歓迎する声があった一方、紳助さんは、2011年に暴力団関係者との交際を理由に、芸能界を引退していることから「めちゃくちゃ感謝してるし、すごくいい功績だなと思うけどそれはそれ。これはこれ。やったことは消せないよ・・・なんで出てきた・・・」「島田紳助の名前が出てきて一気に冷めたのは俺だけか、、、」「島田紳助いつ許されたの?」などと反発する声もあった。
また、もともとは厳しい芸人の世界で、夢を諦める区切りとして創設したとも言われており「漫才の道を断念させるためのステージが全てのお笑い芸人達の、そして芸人を志す人達の憧れの場になった。島田紳助は正直複雑だったかもしれないね」「漫才師として夢を諦めさせる、辞めさせるきっかけ作りとして島田紳助が開いたM-1が20年を経て『いつまでも夢の入り口になりますように』と前向きな未来のためへと変化したの感慨深いな」などと、受け止め方もさまざまだった。