●現代劇でラスボスに人間を置く難しさ
そもそも『【推しの子】』とは、前世の推し「アイ」の子供として転生した双子の「アクア」と「ルビー」の物語です。
そして、最終回では「アクアの死」という、あまりにもつらいラストを迎えました。
2024年12月18日に発売された『【推しの子】』(原作:赤坂アカ、作画:横槍メンゴ)最終16巻の結末について
「納得できない!」「人にはすすめられない」と物議を醸しています。近年、最終回が物議を醸した作品と言えば
『進撃の巨人』も挙げられますが、少なくとも「人にすすめられない」という声は聞かれず
今も名作としての地位を保っていました。両作の違いとは何なのでしょうか?
ルビーを父「カミキヒカル」から守るというアクアの目的は達成されたものの、
失われたものがあまりにも大きすぎたのです。
ルビーとアクアの友人である「有馬かな」と「黒川あかね」の恋は報われずに終わり、
ルビーが転生して再び獲得した愛も実ることはありませんでした。
物語を終わらせるのは、始めるよりもはるかに難しいことです。
近年では『進撃の巨人』(以下『進撃』)の最終回が物議を醸していました。
実は『【推しの子】』と『進撃』のストーリーには「主人公の男性が、未練を残していた」という
大きな共通点が存在します。
『進撃』では「エレン・イェーガー」が「ミカサ・アッカーマン」への未練を言い残して死にました。
一方、『【推しの子】』では、アクアが死の間際に後悔する様子が描かれます。
また未練を残す原因が、親しい人物だったことも共通していました。
残された人間にとっても喪失は大きかったのですが、
『進撃』ではミカサはエレンを想いながら墓を守り、最後は子孫を残し息絶えたことが示唆されています。
この点、見通しが暗い『【推しの子】』の女性陣とは扱いが異なると言えるでしょう。
両作品とも「世界的ムーブメントを起こした名作」であることに変わりはありません。
しかし決定的な違いとして挙げられるのが舞台設定です。
『進撃』は現代的な部分もありますが基本的にはファンタジーであり、『【推しの子】』は現代劇でした。
現代劇の場合、ラスボスの排除は容易ではありません。「僕だけがいない街」のようにラスボスが自ら命を絶たない限り、
主人公サイドが何らかの法を犯す必要性があるからです。
特にカミキのような周囲を操るタイプの場合、作中でもアクアたち自身も語っていましたが、
殺人教唆の状況証拠しかなく、犯行当時未成年だったカミキを
立件すること自体が困難で、たとえ奇跡的に立件できて有罪に持ち込めたとしても重い罪にはなりづらいため刑務所に
入ってもすぐに出てきてしまうでしょう。
結局、最終的にはカミキを始末するしか方法がなく、手を汚せるのはアクアしかいませんでした。
アクアに「人殺し」「殺人者」としての業を負わせたくないのであれば、全員が敗北する終わりしかありません。
つまりどちらに転んでも後味の悪い終わり方しかないのです。
天才と称賛されてきた原作者の赤坂アカをもってしてもこの問題は克服できなかったのです。
推しの子を知人友人にお勧めできるかと問われたら悩む人もいるかも知れません。
しかし、進撃の巨人もウォール・マリア奪還以降はおすすめできません。そこまでも辛い話ではあるが、
人類同士の戦争を描く段違いにひたすらツライ苦行のような話がラストまで続くだけだからです。
だから原作の21巻くらいで読むのを辞めるように勧めできます。
推しの子はむしろ最終話だけ読まなければ問題はなにもないのでお勧めできます。
ひょっとしたらアクアも助かったかも知れないと思って終われるからです。
そもそも『【推しの子】』とは、前世の推し「アイ」の子供として転生した双子の「アクア」と「ルビー」の物語です。
そして、最終回では「アクアの死」という、あまりにもつらいラストを迎えました。
2024年12月18日に発売された『【推しの子】』(原作:赤坂アカ、作画:横槍メンゴ)最終16巻の結末について
「納得できない!」「人にはすすめられない」と物議を醸しています。近年、最終回が物議を醸した作品と言えば
『進撃の巨人』も挙げられますが、少なくとも「人にすすめられない」という声は聞かれず
今も名作としての地位を保っていました。両作の違いとは何なのでしょうか?
ルビーを父「カミキヒカル」から守るというアクアの目的は達成されたものの、
失われたものがあまりにも大きすぎたのです。
ルビーとアクアの友人である「有馬かな」と「黒川あかね」の恋は報われずに終わり、
ルビーが転生して再び獲得した愛も実ることはありませんでした。
物語を終わらせるのは、始めるよりもはるかに難しいことです。
近年では『進撃の巨人』(以下『進撃』)の最終回が物議を醸していました。
実は『【推しの子】』と『進撃』のストーリーには「主人公の男性が、未練を残していた」という
大きな共通点が存在します。
『進撃』では「エレン・イェーガー」が「ミカサ・アッカーマン」への未練を言い残して死にました。
一方、『【推しの子】』では、アクアが死の間際に後悔する様子が描かれます。
また未練を残す原因が、親しい人物だったことも共通していました。
残された人間にとっても喪失は大きかったのですが、
『進撃』ではミカサはエレンを想いながら墓を守り、最後は子孫を残し息絶えたことが示唆されています。
この点、見通しが暗い『【推しの子】』の女性陣とは扱いが異なると言えるでしょう。
両作品とも「世界的ムーブメントを起こした名作」であることに変わりはありません。
しかし決定的な違いとして挙げられるのが舞台設定です。
『進撃』は現代的な部分もありますが基本的にはファンタジーであり、『【推しの子】』は現代劇でした。
現代劇の場合、ラスボスの排除は容易ではありません。「僕だけがいない街」のようにラスボスが自ら命を絶たない限り、
主人公サイドが何らかの法を犯す必要性があるからです。
特にカミキのような周囲を操るタイプの場合、作中でもアクアたち自身も語っていましたが、
殺人教唆の状況証拠しかなく、犯行当時未成年だったカミキを
立件すること自体が困難で、たとえ奇跡的に立件できて有罪に持ち込めたとしても重い罪にはなりづらいため刑務所に
入ってもすぐに出てきてしまうでしょう。
結局、最終的にはカミキを始末するしか方法がなく、手を汚せるのはアクアしかいませんでした。
アクアに「人殺し」「殺人者」としての業を負わせたくないのであれば、全員が敗北する終わりしかありません。
つまりどちらに転んでも後味の悪い終わり方しかないのです。
天才と称賛されてきた原作者の赤坂アカをもってしてもこの問題は克服できなかったのです。
推しの子を知人友人にお勧めできるかと問われたら悩む人もいるかも知れません。
しかし、進撃の巨人もウォール・マリア奪還以降はおすすめできません。そこまでも辛い話ではあるが、
人類同士の戦争を描く段違いにひたすらツライ苦行のような話がラストまで続くだけだからです。
だから原作の21巻くらいで読むのを辞めるように勧めできます。
推しの子はむしろ最終話だけ読まなければ問題はなにもないのでお勧めできます。
ひょっとしたらアクアも助かったかも知れないと思って終われるからです。