銀英伝の展開が現実の写し鏡のようになってきて最近怖い。帝国と同盟の二大国の間で貿易国家として富を独占してきた
フェザーンの背後には地球教がいたるそして戦後、日本を開発独裁によって事実上一党支配してきた
自民党の背後には半世紀前から統一教会がいた。
米中二大覇権国の対立の時代。同盟が帝国に敗れたように
アメリカも中国に敗れ世界秩序は大きな再編の嵐に見舞われるかもしれない
多田版こと ノイエ銀英伝 をあらためて第4シーズン見直しているのだが、
悪い意味で現代風。キャラデザも声優の声も。どちらも印象に残らない。
石黒監督版のOVAシリーズと比べると本当に淡白で魅力に乏しい。
見ていられるのは会話劇の面白さがあるおかげだ。
つまりは原作の力である。多田監督は何を持ってこれでヨシと思っているのだろうか?
そしてなにか物足りないと思ったらナレーションだ。石黒監督版のOVAシリーズでは
壮大なオーケストラがBGMとして採用され数々の名場面を強く印象づけてきた。
また、屋良有作さんのナレーションが原作小説の地の文で書かれたキャラの心情や
情景を説明してくれていたのだがノイエにはそれがほぼ無い。
だから説明不足で消化不良なのだ。
ちなみに、旧作でもノイエでもミッターマイヤーのフェザーン占領に際して
ほぼ無欠占領という描かれた方をされているが、原作ではフェザーン回廊侵入に際して
フェザーン本星に到達するまでに遭遇した民間船で逃亡を図った船を
侵攻を本星に知らせないために数十隻だかミッターマイヤー艦隊は破壊して数千人の民間人を殺害している。
私は常々、銀英伝という名作は20年に一度は映像化し後世に語り継ぐべき名作だと思っていたので多田監督版のノイエ銀英伝は、その点においては大変評価している。
2018年から再制作されている多田版、いわゆるノイエ銀英伝を許せないのは外見でも声優でもなくキャラの性格を改悪したこと
ノイエからファンになった人はなぜ原作ファンや旧作ファンに叩かれてるか理解してないようだが、
解釈違いでは済まされないような改悪があまりに多すぎるから批判されているのである。
しかし多田監督は石黒監督版OVAシリーズでは採用されていた印象的で重要な
原作小説の各キャラの名台詞をカットし、独善的な演出意図で代わりに言葉で語らせるのは野暮な余計な
アニオリ台詞を加えている部分が散見される。ヤンの幕僚たちをただのYESマンにしちゃったり、
空港で傷心のジェシカをヤンに論破させたり(原作でも旧作でも心の中で思ってるだけ)、
政治家に転身したジェシカにやたらと長尺で演説させたり(これは視聴者に作品通じて感得させるものであり
作品のテーマをわざわざ演説にして言わせるのは野暮である)
もうとにかくあちこちの演出に違和感が多い。
更にイゼルローン攻略戦で部下を強制的に道連れにして玉砕したゼークト大将に対しヤンを
憤激させておきながら12話ではホーウッドに部下を道連れにして個人的復讐心からキルヒアイス艦隊に
無謀な特攻をさせているなど演出意図自体も矛盾している。その他については
キャラが薄っぺらい美形ばかりなのも女性ウケを狙ったものとして許容できるし、
声優が交代するのも旧OVAとは時代が違うので致し方ない。BGMがクラシックでないのも
壮大さや銀英伝らしさは消えるが旧作との差別化という意味で理解もできるし
個々のストーリーエピソードを改変するのも作劇上仕方ないのかもしれないが、どうしても許せないことがある。
それはキャラクターの性格を原作小説とは全く別人に変えてしまっていることだ。代表例は
キルヒアイス、シェーンコップ、ルッツ、ポプラン、トダ技術大尉などだ。
キルヒアイスは暖かさのない冷たいだけのイケメンだしシェーンコップは軟派野郎に、
ルッツはこそこそと超長距離砲で敵の旗艦を狙う有様。そんな戦い方をする男ではないし、
そもそも射程外から攻撃という戦術上のありえない超兵器出しちゃってるし、
この攻撃自体がルッツの旗艦の位置を敵艦隊に知らせることになり危険要素しかない。
極めつけはやたらと物分りのいいさわやか優等生のポプランだ。六無主義と不敵に無敵はどうした?
多田監督は原作リスペクトを度々公言していたがこの有様である。何重もの意味で新旧のファンを裏切っている。
フェザーンの背後には地球教がいたるそして戦後、日本を開発独裁によって事実上一党支配してきた
自民党の背後には半世紀前から統一教会がいた。
米中二大覇権国の対立の時代。同盟が帝国に敗れたように
アメリカも中国に敗れ世界秩序は大きな再編の嵐に見舞われるかもしれない
多田版こと ノイエ銀英伝 をあらためて第4シーズン見直しているのだが、
悪い意味で現代風。キャラデザも声優の声も。どちらも印象に残らない。
石黒監督版のOVAシリーズと比べると本当に淡白で魅力に乏しい。
見ていられるのは会話劇の面白さがあるおかげだ。
つまりは原作の力である。多田監督は何を持ってこれでヨシと思っているのだろうか?
そしてなにか物足りないと思ったらナレーションだ。石黒監督版のOVAシリーズでは
壮大なオーケストラがBGMとして採用され数々の名場面を強く印象づけてきた。
また、屋良有作さんのナレーションが原作小説の地の文で書かれたキャラの心情や
情景を説明してくれていたのだがノイエにはそれがほぼ無い。
だから説明不足で消化不良なのだ。
ちなみに、旧作でもノイエでもミッターマイヤーのフェザーン占領に際して
ほぼ無欠占領という描かれた方をされているが、原作ではフェザーン回廊侵入に際して
フェザーン本星に到達するまでに遭遇した民間船で逃亡を図った船を
侵攻を本星に知らせないために数十隻だかミッターマイヤー艦隊は破壊して数千人の民間人を殺害している。
私は常々、銀英伝という名作は20年に一度は映像化し後世に語り継ぐべき名作だと思っていたので多田監督版のノイエ銀英伝は、その点においては大変評価している。
2018年から再制作されている多田版、いわゆるノイエ銀英伝を許せないのは外見でも声優でもなくキャラの性格を改悪したこと
ノイエからファンになった人はなぜ原作ファンや旧作ファンに叩かれてるか理解してないようだが、
解釈違いでは済まされないような改悪があまりに多すぎるから批判されているのである。
しかし多田監督は石黒監督版OVAシリーズでは採用されていた印象的で重要な
原作小説の各キャラの名台詞をカットし、独善的な演出意図で代わりに言葉で語らせるのは野暮な余計な
アニオリ台詞を加えている部分が散見される。ヤンの幕僚たちをただのYESマンにしちゃったり、
空港で傷心のジェシカをヤンに論破させたり(原作でも旧作でも心の中で思ってるだけ)、
政治家に転身したジェシカにやたらと長尺で演説させたり(これは視聴者に作品通じて感得させるものであり
作品のテーマをわざわざ演説にして言わせるのは野暮である)
もうとにかくあちこちの演出に違和感が多い。
更にイゼルローン攻略戦で部下を強制的に道連れにして玉砕したゼークト大将に対しヤンを
憤激させておきながら12話ではホーウッドに部下を道連れにして個人的復讐心からキルヒアイス艦隊に
無謀な特攻をさせているなど演出意図自体も矛盾している。その他については
キャラが薄っぺらい美形ばかりなのも女性ウケを狙ったものとして許容できるし、
声優が交代するのも旧OVAとは時代が違うので致し方ない。BGMがクラシックでないのも
壮大さや銀英伝らしさは消えるが旧作との差別化という意味で理解もできるし
個々のストーリーエピソードを改変するのも作劇上仕方ないのかもしれないが、どうしても許せないことがある。
それはキャラクターの性格を原作小説とは全く別人に変えてしまっていることだ。代表例は
キルヒアイス、シェーンコップ、ルッツ、ポプラン、トダ技術大尉などだ。
キルヒアイスは暖かさのない冷たいだけのイケメンだしシェーンコップは軟派野郎に、
ルッツはこそこそと超長距離砲で敵の旗艦を狙う有様。そんな戦い方をする男ではないし、
そもそも射程外から攻撃という戦術上のありえない超兵器出しちゃってるし、
この攻撃自体がルッツの旗艦の位置を敵艦隊に知らせることになり危険要素しかない。
極めつけはやたらと物分りのいいさわやか優等生のポプランだ。六無主義と不敵に無敵はどうした?
多田監督は原作リスペクトを度々公言していたがこの有様である。何重もの意味で新旧のファンを裏切っている。