一人で行きましたし、車でもないので足もなく、初めての土地ですので市内周遊バスに乗って、有名なお城や
市の博物館などへ行くのが良いか?とも考えていました。何より前日夜からの大雪、翌朝までに20センチ弱の
積雪となりました。それでも、フリーの時間は3日の午前中のみ。悩みつつ2日の予定を終えてホテルに戻ると・・・
ある方から『明日の午前中、よかったら一緒に津波被害の地域へ行きませんか?迎えに行きます』とお誘い。
翌日、被災地で今も復興支援を継続しておられるNPOの方たちとご一緒に、津波被害のあった地域を訪れました。
途中、ご説明を伺いながらバスで移動していく中、仙台東部有料道路を境に、景色が変わりました。
バスの中のご説明で『津波地域のがれき撤去は、まだ一割程度です』と聞いていましたが、実際にその場に立つと
どこをどう片付けていくのか、これでも一割片付いたのか?まだ全くの手付かずなのでは?と思うような瓦礫の山。
ニュースや写真などでご覧になった方もあると思いますが、鉄筋4階建てくらいの建物の1階、2階部分は骨格を残して
残った3階4階部分と、その建物の上にトラックのような大きな車が載ったままになっていたり、海岸から数十キロも
中に入った地面に、大きな船が置き去りになっていて、津波の被害、って海沿いのある程度の範囲、と思っていたのが
まったく違うことを見せつけられました。お会いした地元の方が、奥さんの車が津波で流されて、一年娘さんにクルマを
借りて乗っていたけど、先週ようやく奥さんにクルマが買えた、と嬉しそうに話して下さいました。
それでも『津波が、とにかく全部を持っていった』と・・・下を向いておられました。
今も復興支援のために現地で働いておられる方たちを前に、地元の方が
「こんな外国人の大工さんが、何できるのかと最初は思っていたけど、自分も泥だらけになって泥出しして、その上
材料まで持ち込んできて家直してくれて」と感謝しておられました。今も引き続いて活動しておられます。
ご一緒した方たちは、皆さんクリスチャンでしたので、二、三人ずつに分かれてそれぞれの言葉で・・・
英語や日本語や、韓国語や・・・自分の言葉で、共に祈りました。
大切な人を亡くした悲しみの中にある方々に、また生活状態が変わり、状況が変わり、さまざまな困難のなかにある
方々に、痛みや苦しみ、見えない不安の中にある方々に、必要が満たされ、手が届き、本当の平安がありますように、と。
仙台へ向かう新幹線の中で、途中からお隣へ座られたおばあちゃんが
「目に見えるものは修復されてきたけど、災害に遭った人の痛みは消えない」と言われました。
仙台駅についた時、ここも一年前に壊れて、工事用カバーがかぶっていたとは思えないように綺麗に直っていました。
それでも、市内へ出ると、まだ瓦の補修が済まず、シートをかぶっているお家や、陥没や隆起を直そうと舗装し直した
道路、でも、段差を、ただ上から舗装し直しただけなので、どこを走ってもでこぼこの道。
目に見えるものだって、もちろん全部は直っていないのです。そして、人の心は・・・
どうか、その一番大切なところに、光が届きますように、心からそう願っています。
東北 仙台でのお話を時々胸が詰まるのをこらえながら読ませていただきました
瓦礫の受け入れについても、被害を受けていないものがどうのこうのと選べることなのでしょうかと思いながら
勿論複雑な問題はあるかと思いますが、もっと心を寄せた発言にはならないものなでしょうかと哀しくなります
ある被災者のかたがおっしゃっていたように、復興とは離れていくことなのですものね・・
一番大切なところへ光が届きますように私もこころから祈ります。。
たくさんのzionさんのことばがこころに響きます
よいお話を伺わせていただいてありがとうございました
私も少しづつですが続けていこうと思っています^^
一時期だけのことでなく、まだまだずっと続いていく、これから、という復興。
れぃんさんのように長く細やかに続けて下さる方が、本当に貴重と思います。
これからもどうぞ、よろしくお願いいたしますm(_ _)m
私も、ほんの少しですが、今回近くに寄せていただいて・・・
お話を伺う機会を得て、祈りを新たにさせていただいています。
みんなが、できることを少しずつ続けていくことが本当に大きな力だと思います。
この所、いつも読ませていただくばかりで・・・失礼しております。
まだ変化の激しい季節、無理なさいませんように(^^)