どのような文章を書くべきか、ずっと迷っていました。
『ぴあのれっすん』を読んで下さっている方々は、もう、このクルマのことはよくご存じです。
プライベートでも社有車に乗っていた父が、初めて買った「自分のクルマ」
それから約7年、父の車として、父の足となり、天国へ召されてからは、乗り手のないまま、
実家の駐車場に一年、眠っていました。そして、翌年の春、父の召天から一年が過ぎて帰省。
夫の理解があり、それまで乗っていた車を手放して、父の車を我が家へ迎える事となりました。
一年の放置。そして、それ以前も、父の体調が悪化していたこと、また購入したディーラーが
遠かったことなども重なって、あまり充分な整備がされないまま・・・
それでも父にとっては「初めての自分のクルマ」
このクルマを買うまで、生まれてこの方、私は父が洗車している姿など、一度も見たことがありません
でした・・・余程、嬉しかったのでしょう。自分で洗車用具を買いに行き、せっせとクルマを洗って
いた父を今でも思い出します。我が家に来た時も、クルマのトランクに、父が買い揃えた洗車用具が
一式、積まれていました。
我が家に迎えたメルセデスは、長野からこちらへ向かってくる高速道路で、すでに不調を訴え(笑)
そのまま、最寄りのディーラーへ入院しました。
退院後、我が家の一員となってからは、どこへ行くにも一緒でした。
特に、大阪への転勤&転居となった2年間は、このクルマで、自宅と大阪を、何度往復したことでしょう。
雪に阻まれて、高速上で通行止めになり、車内で夜を明かしたこともありました。
その間にも、不調は続き、大阪でも、こちらでも、入退院を繰り返しました。それでも、事情をご存じの
ディーラーさんは、何とか修理をして下さり、今年の2月、15年目の車検を通過しました。
実は、この車検の前後にも不具合があり、2度、入院を経験しておりました(^^ゞ
それでも、メルセデスジャパンから、長距離を乗ったこと、長期に渡って乗ってきたことを記念して
賞状とプレートを戴きました。詳細は、こちらへ。申請の日付の関係で・・・受けた表彰は、初回登録から10年、そして10万キロの表彰でしたが
実際には登録から15年、そして15万キロを超えての表彰でした。
そんなメルセデスでしたが、連休後半の5月4日夕刻。
用事で自宅から外出しようとエンジンをかけたところ、いつもと違う音がします。
気にしながら、ギアチェンジをすると、凄い振動と共に、エンジンが止まってしまいます。
家の駐車場から1メートルほど、道路に出たところまで動いた状態で、完全にクルマが動かなくなりました。
ディーラーさんも連休中。仕方ないので、一旦駐車場まで押し戻し。。。連休明けに、レッカー車を手配して
ディーラーへ入庫させることになりました。いつもは、電話で状態をお話すると、だいたいこの辺りが悪いと
思う、とおっしゃるサービス担当の方が、今回に限って
「クルマを見てみないと、わからない」とおっしゃいました。
全く動かないクルマは、家の駐車場から、プロの技によってレッカーに載せられ、連れて行かれました。
何だかとっても胸騒ぎがして、寂しい気持ちで送り出したのでした。
それから数時間後、クルマを受け取り、不良箇所を確認した担当の方から電話が入り・・・
とても大きな修理を必要とする状態であることが告げられたのでした。
「これ以上の修理する人はいないと思うので、ご主人とよく相談してください」と・・・
そして迷った結果・・・「さよなら」の選択をすることになりました。
我が家に来た時、5万8千キロほどだった走行距離は、159517キロに・・・
チャイルドシート、ジュニアシートに載って、それでも座席に潜り込んでいた息子は、今でも同じ
運転席の後ろの席に習慣で座っていますが、頭が後方視界を妨げるほどに成長しました。
感謝しつつ・・・一昨日、ディーラーさんで、最後のお別れをしてきました。
『ぴあのれっすん』を読んで下さっている方々は、もう、このクルマのことはよくご存じです。
プライベートでも社有車に乗っていた父が、初めて買った「自分のクルマ」
それから約7年、父の車として、父の足となり、天国へ召されてからは、乗り手のないまま、
実家の駐車場に一年、眠っていました。そして、翌年の春、父の召天から一年が過ぎて帰省。
夫の理解があり、それまで乗っていた車を手放して、父の車を我が家へ迎える事となりました。
一年の放置。そして、それ以前も、父の体調が悪化していたこと、また購入したディーラーが
遠かったことなども重なって、あまり充分な整備がされないまま・・・
それでも父にとっては「初めての自分のクルマ」
このクルマを買うまで、生まれてこの方、私は父が洗車している姿など、一度も見たことがありません
でした・・・余程、嬉しかったのでしょう。自分で洗車用具を買いに行き、せっせとクルマを洗って
いた父を今でも思い出します。我が家に来た時も、クルマのトランクに、父が買い揃えた洗車用具が
一式、積まれていました。
我が家に迎えたメルセデスは、長野からこちらへ向かってくる高速道路で、すでに不調を訴え(笑)
そのまま、最寄りのディーラーへ入院しました。
退院後、我が家の一員となってからは、どこへ行くにも一緒でした。
特に、大阪への転勤&転居となった2年間は、このクルマで、自宅と大阪を、何度往復したことでしょう。
雪に阻まれて、高速上で通行止めになり、車内で夜を明かしたこともありました。
その間にも、不調は続き、大阪でも、こちらでも、入退院を繰り返しました。それでも、事情をご存じの
ディーラーさんは、何とか修理をして下さり、今年の2月、15年目の車検を通過しました。
実は、この車検の前後にも不具合があり、2度、入院を経験しておりました(^^ゞ
それでも、メルセデスジャパンから、長距離を乗ったこと、長期に渡って乗ってきたことを記念して
賞状とプレートを戴きました。詳細は、こちらへ。申請の日付の関係で・・・受けた表彰は、初回登録から10年、そして10万キロの表彰でしたが
実際には登録から15年、そして15万キロを超えての表彰でした。
そんなメルセデスでしたが、連休後半の5月4日夕刻。
用事で自宅から外出しようとエンジンをかけたところ、いつもと違う音がします。
気にしながら、ギアチェンジをすると、凄い振動と共に、エンジンが止まってしまいます。
家の駐車場から1メートルほど、道路に出たところまで動いた状態で、完全にクルマが動かなくなりました。
ディーラーさんも連休中。仕方ないので、一旦駐車場まで押し戻し。。。連休明けに、レッカー車を手配して
ディーラーへ入庫させることになりました。いつもは、電話で状態をお話すると、だいたいこの辺りが悪いと
思う、とおっしゃるサービス担当の方が、今回に限って
「クルマを見てみないと、わからない」とおっしゃいました。
全く動かないクルマは、家の駐車場から、プロの技によってレッカーに載せられ、連れて行かれました。
何だかとっても胸騒ぎがして、寂しい気持ちで送り出したのでした。
それから数時間後、クルマを受け取り、不良箇所を確認した担当の方から電話が入り・・・
とても大きな修理を必要とする状態であることが告げられたのでした。
「これ以上の修理する人はいないと思うので、ご主人とよく相談してください」と・・・
そして迷った結果・・・「さよなら」の選択をすることになりました。
我が家に来た時、5万8千キロほどだった走行距離は、159517キロに・・・
チャイルドシート、ジュニアシートに載って、それでも座席に潜り込んでいた息子は、今でも同じ
運転席の後ろの席に習慣で座っていますが、頭が後方視界を妨げるほどに成長しました。
感謝しつつ・・・一昨日、ディーラーさんで、最後のお別れをしてきました。
胸がいっぱいになりながら読ませていただきました
車には特別な気持ちがありますね
とくにzionさんベンツはお父様の思いと一緒にご家族と共に走って来てくれた車ですものね
159517
お別れまでこんなにも愛されてきた車
お父様もとてもお悦びなって最後のスイッチを切ってくださったのではないでしょうか
うちでも夫が車が好きで二人の歳にはとても不自由なスポーツ車にまだ乗っています
そう思いながらも離れられません^^
zionさん これこそがベンツスピリッツということも感じさせていただきながらです
そして最後の文にまたウルウルとなりながら・・
素敵な暮らし方のお話をありがとうごさいました
言葉がないのですけれど、、、
愛車メルセデスは立派に完全燃焼し
とっても幸せな一生を全うしたと思います。
美しい写真に向かって
「15年間本当にお疲れ様でした」と手をあわせたくなりました。(花束)
家族の一員となって~ほんとにそうだったのですよね。。。
zionさんがよき理解者と仰るご主人様の
哀しみと感謝がこめられたblogの言葉にもジーンときてしまいました。
それだけ思い出の恵みがいっぱいの8年だったのですね。
だからzionさん少しずつ元気出してくださいね。
いろんな想い出のつまったクルマだった上に、初めて「廃車」という経験を
したので・・・複雑な気持ちでした。
それでも、どこか出先ではなく、この駐車場で止まったこと。
そのことにも、何か意味があったような気がしています。
れぃんさんのところでも、大切になさっているスポーツカーが!
いつまでもお二人揃って、楽しむことができますように(^^)
本当に、夫の理解があってこそ・・・
我が家にやって来て、その後の維持も、時に「もう無理かも」と弱気になるたびに
「直せば、まだ乗れる」と云ってくれて、何とかここまで来たクルマでした。
花束を、ありがとうございます(^^)
自宅の駐車場から送り出す事が出来て、それだけは良かった、と思っています。
主人のBlogも、そのように読んでくださって・・・感謝します。