Yesterday never knows

Civilizations and Impressions

文明と価値8(社会秩序の盛衰四期について)

2022-12-26 11:19:55 | 論文

2 挑戦と応戦を統合する生命と運命

 

 ユングにおける心理的な構え方での分類を参考にして、外向型トインビー、内向型シュペングラーについて見てきた。これらの考え方を結合していくことも必要であろうが、これら二つを抽象的に結合させてみてもあまり意味がないように思われるし、説得力のあるものにはならないだろう。ただどちらか一つに偏ったとしても、不十分※なので、最少限度のものとして両方の視座を用いてみたい。状況を実際に説明する道具としてまずはこれらを使用してみる。

 この他シュペングラーが西洋の没落の中で挙げていた文化、芸術、科学、数学、歴史の事例は価値の内部的形成論を説明するうえで、西洋人でない者には評価がたいへん難しいように思われる。このため内部形成論の素材としては、シュペングラーの事例でなく自国の文化である日本のそれを前提に考えていこうと思っている。それをある程度、踏まえた上で日本の未来をテーマとして考えていこうと思う。

 

 ※不十分

 内向的な価値に集中しすぎると、生命現象に固執しすぎて、運命的にのみ価値を見ていくことになるだろう。しかし外部から影響を受けない型のモデルを考えていくことも方法論としては必要かと思われる。意識的に閉鎖的なモデルを選定することにより、純粋に内向型モデルについて考えることができるからだ。それが閉鎖型文明において生命現象を観照する意義であるといえる。

 

 しかし多くの場合、内向的な価値の形成だけでなく、外向的な意味においても価値の形成は行われるのであり、その部分は挑戦と応戦のメカニズムで多くを説明できるのではないだろうか。大きな枠としてこの二つの視座が最小限度に必要である。これらが理論としてどのように結合していくかというよりも、まずはそれぞれの視座にたつことにより何が見えてくるのか、見えてくるものを具体的に受け止めることを最初の段階の目的とするわけである。 

 

 

3 閉鎖型文明における文明の生命現象の変化について

 

 ここからシュペングラー風に文明の内向的な生命現象を観照していく。その際、適切な素材として歴史的な事例を探してみることがまずは必要となってくる。そのような事例の一つとして「鎖国下における江戸時代の心性の変化」が挙げられるだろう。

 

 鎖国開始(1636年)から黒船来航(1864年)までの日本の歴史は限りなく閉鎖型文明の理念型に近いといえる。このため内向型モデルを検討する素材としてふさわしく、これを使って生命現象の変化の過程を観察してみたいと思う。

 

  しかしその前段として、社会秩序と心性の変化について、簡素化したモデルをあらかじめ提示しておいて、その考え方について説明しておく必要があるだろう。

 ここでシュペングラーにおける社会有機体の盛衰の四期について書いておこう。シュペングラーは社会秩序の盛衰を四つの時代※1、子供、青年、壮年、老年の時代に分けて考えていた。こうした分類方法は文明を有機体として見ているということで、トインビーなどから批判されることとなった※2。しかしその一方で、トインビーは親文明から子文明が胚胎されるという考え方※3をしていた。それならば親文明と子文明の重なり具合によっては、こうした四つの時期が生じてくることはありえないことだろうか。こうした四つの時期は基本的なモデルとしても存在しうるものであり、それらの特徴について少し細かく見ていくのが、ここからのテーマとなる。

 

 ※1 社会秩序の盛衰を四つの時代

 社会秩序の盛衰の四つの時代の考え方については、シュペングラーの研究者からもシュペングラーを形式的にしか理解していないのではないかという批判がある。「非常に外的なものだけが理解されるのだということ」 こうした意見はトインビーなどからによる、社会は有機体ではない といったような主張からの影響であろう。文明にもさまざまな種類があり、外部の複数の文明から影響を受けるものもあるが、そうした中でも閉鎖的にして、最もシンプルな形の文明はわりと有機体的な形をたどってきたといえるのではないだろうか。

 

※2 トインビーはこのような分類の仕方を批判的に見ていた

 歴史の研究 P219参照

 社会はいかなる意味においても生きた有機体ではない。社会とは有機体であるところの個別的人間の行動の場の共通の基盤でしかないといっている。社会秩序が人間と同じ生涯の各時期をつぎつぎに経過するとは論証されないとした。しかしトインビーは社会とは別の意味で文明には親子関係があるとも言っている(P87)。親子関係があるのならば、その関係性によって時期が区分されることはありえることである。またそれぞれの時期を詳細にみていくことはさらに有意義であろう。

 

※3トインビーの子文明の胚胎の考え方

  トインビーの文明論の特徴はそれぞれの文明が単独でその生命現象を終えていくのではなく、その途中で子文明を胚胎するというところにもあった。親文明、子文明というのがそれである。また文明の胚胎の前には異なる文明同士の遭遇があったとも考えた。もし胚胎があるのであれば、それを原因とした文明間における世代の重なりが生じてくることだろう。文明と社会秩序は必ずしも一致するものではない。文明はいくつかの社会秩序が時間的には連なったものといっていい。しかし一致する場合もあるだろう。鎖国時代の日本がそれなのかもしれない。こういう場合、社会秩序の盛衰において大まかには「四つの時代」が生じてくることが予想される。旧社会秩序(先行社会勢力が担い手)と新社会秩序(新社会勢力が担い手)との関係においてそうした現象が生じうると見ている。

 

All rights reserved to M Ariake

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 文明と価値7(価値形成におけ... | トップ | 文明と価値9(社会秩序のDNA) »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

論文」カテゴリの最新記事