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130817 父との時間

2013-08-17 | 父との時間
朝6時過ぎに父の所へ行くと、母は自分の布団に横になったまま、3時頃に吸引した、と言った。父の帰宅後、この2日間の怒濤のような人の出入りに、母も疲れていた。父はゼイゼイと激しく、苦しそうだった。早速痰の吸引を始めて気管から取れたものの、胸に手を当ててみるとまだ取りきれていない様子だった。幸い夕べの発熱はおさまっていて、吸引されて楽になったのか、すぐに父は眠りに落ちた。

それでも、一昨日よりも、昨日よりも、父は明らかに衰弱してきていた。身体に入れるものが、水分と低カロリーの点滴のみであれば当然のことなのだけれど、これが自然に任せるということかと思うと、それに抗いたいという医学の歴史もわかるような気がした。

看護師が入る1時間前に、便通のための座薬を入れた。背骨に沿って少し赤くなった部分が褥瘡になる前に、塗り薬を塗り、しばらく横にして寝かせるようにした。母は、いかに床ズレを起こさないようにさせるかが介護の技量、と私に説明した。

午前中に看護師が入り、検診、吸引、及び点滴の設置をした。明日から1週間夏休みに入るために、代わりに来てくれる看護師の手配や休み明けまでの段取りを確認した。夕方に院長先生が往診に来てくれることになった。

退院後、午後に2回ヘルパーさんが入ってくれることになって来てくれているが、便も小水も少ないため母は、それも1回にしてもらっていいかな、と言った。それまで病院任せであった部分はヘルパーさんのおかげで助かっているけれど、この2日間に出入りした人に対応すること自体が、さらに疲れを増幅させていた。私でさえいつにない疲労を感じていたから、母はなおさらだろうと思った。

夕方、看護師が点滴を外しに来て、検診と吸引をした。その後、院長先生を待っていたがなかなか見えなかった。私は所用で立ち会えなかったので、帰宅後に母から伝達された。

家に戻っても父に、何か食べたい、と言われると食べさせたくなる、という母に、先生からは、食べたいならば胃瘻や中心静脈栄養摂取でまず体力をつけてからです、家でもやれますよ、と言われた、しかし結局それは断った、と母は言った。私から見ても、いまさら胃瘻や中心静脈をしたからといって、口から食べられるには程遠いはずなのだが、医師としては患者とその家族にそう言われれば、そう答えざるを得なかったのだろうと想像した。

また、院長が吸引をしている間に、看護師が父の胸をかなりの力でマッサージしていたとのことで、それによってかなりの肺内の痰が押し出されて吸引出来たと、母は言った。私が吸引できたと思っていても胸に残っていたわずかな異音も確かに消えていて、父は安堵の表情で眠っていた。

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