昨日たまたま入った定食屋でついていたTVで、若者に編集したビデオを見せて感動させるという番組をやっていた。編集されたビデオの内容自体はその人の生き様として素晴らしいものがあったが、最近の若者は感動することが少ないとして「感動しろ」と言わんばかりの番組構成にはすぐに辟易した。「感動の押し売り」的な違和感である。
「感動」というものは生きていく上で大切なものではあるが、求めたり、それに飢えたりするものではない。身と心を自然の状態においた時に、全身で「感じ」て心が「動く」ものである。人間の感受性は時代が変化しても変わることはないと思うし、ましてや若者の感動が少なくなっているわけでは決してない。
つまり、「感動」を生み出す創作側の問題ではなくて、「感動」を安易に売り物にする伝達側の問題である。
「感動」というものは生きていく上で大切なものではあるが、求めたり、それに飢えたりするものではない。身と心を自然の状態においた時に、全身で「感じ」て心が「動く」ものである。人間の感受性は時代が変化しても変わることはないと思うし、ましてや若者の感動が少なくなっているわけでは決してない。
つまり、「感動」を生み出す創作側の問題ではなくて、「感動」を安易に売り物にする伝達側の問題である。
感動(=涙)を売るより笑いを売るほぅが難しい。その意味で日本は笑いの先進国だと思います。いや、韓国が遅れているって意味じゃないよ。笑いについては日本は進んでいる、ということです。こんなところで誤読の自由を主張しないで。