golden days

nonsense sentence contents and fictional experiments

180921 自分の中でのなつかしい椎名誠

2018-09-21 | Weblog
寝る2時間前に「ぱいかじ南海作戦」なる日本映画を動画サイトで見つけて、気楽に見始めた。最初からコメディ感満載な日本映画は、三谷幸喜以外は大抵見るのをやめてしまうのだが、主演の阿部サダヲの強烈なキャラにやられてついつい見続けてしまう。

30代後半にして離婚と失業を同時に味わう主人公が新境地として南の島へ行く、という設定はありがちだけれど、沖縄の離島なら一体何処の島へ行くのだろうか、という興味にも引きずられる。
島に到着した初日から、テンポの良い、めくるめく展開。様々な場面にちりばめられた笑いの要素も、ありえねー!けれども笑いに変えていく、離島という設定としての極限状況のもたらすマジックのようなものが、妙にリアル感のあるスパイスとして効いている。

話はさらにテンポ良く展開していき、現代社会(というか「東京」に象徴される都市との比較)へのシニシズムを浮き彫りにしながら、あれやこれや、面白おかしくエンディングへと向かっていく。映画としても単純に、いや、素直に面白かった。日本のコメディ、状況設定と話の流れ的には海外でも通用するくらいのコメディではないか、等と思いながらエンドロールを眺めていたら、原作がなんと椎名誠(!)とあり、心底たまげた。

椎名誠の名前を見るのも久しぶりだけれど、前知識無しにたまたま観て、あー面白かった、と思った映画の原作が、10代の頃に「この人の書く文章や小説は面白い!」と共感していた人だったと分かった時に、大げさに言えば、自分の中での時空を越えた感性のつながりを思った。

当時、もう何の雑誌のどこに書いてあったかなんて全く憶えていないけれど、日々の生活の中でも椎名誠の言葉がふと思い出されることがままある。
例えば「排水口のヌメヌメとしたところを自分の手で掃除した時に初めて、それまで何も言わずにそれをやっていた母の偉大さを思った」とか、「目の前に出された牛丼について、あらゆる視点から記述しようと思えば、原稿用紙に何枚でも書ける」とか。

そんなホントにトリビアなネタだけれども、10代の頃に読んだ彼のセンテンスが、いまだにこうやってスイスイと思い出されるくらい、じわっと自分の中に染み込んでいるなつかしい椎名誠という存在を、その映画のエンドロールから思い返してしまった。

たぶん、世の中に対して真っ向から振りかざす切っ先鋭い「正論」の人が与える「痛み」というものの本質を理解しているが故の、脱力しながらむしろ「撫でていく」くらいのスタンスとでも言おうか。「脱力系」だが「物事の本質系」という彼からの影響は、もはや今更否めない、と思い至った今宵。

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