石ころ

「わたしに従いなさい」 (ルカ6章)




 ユダを含めてすべては御父のみこころであった。イエス様が徹夜で神様に祈って選ばれた12弟子である。それは神様の永遠のご計画に拠ることである。
山から下りてこられたイエス様に、群衆は癒しの力を求めてなんとか触れようと押し迫った。

イエスは目を上げ弟子たちを見て言われた。「貧しい人々は、幸いである、神の国はあなたがたのものである。(ルカ6:20)

貧しさは世からの唯一の脱出の道として、神の国を求めるきっかけとなることがある。しかし、金持ちが神の国を求めることは「ラクダが針の穴を通るより難しい」と言われた。それは富が明日を保証しているように思えるからだろう。
ユダはこの言葉をどのように聞いていたのだろう。世の豊かさではなく、神の国の豊かさに渇く者は幸いだ。

今飢えている人々は、幸いである、あなたがたは満たされる。今泣いている人々は、幸いである、あなたがたは笑うようになる。(ルカ6:21)

世で満ち足りている者がどうして神の国を求めるだろう。飢えがなければ人は求めず探さず、霊の目も、門をたたかなければ開かれない。
主にたまわる笑顔はどれほど美しい笑いだろう。私たちの流す涙が主を求めて流す涙でありますように。

人々に憎まれるとき、また、人の子のために追い出され、ののしられ、汚名を着せられるとき、あなたがたは幸いである。
「しかし、わたしの言葉を聞いているあなたがたに言っておく。敵を愛し、あなたがたを憎む者に親切にしなさい。
悪口を言う者に祝福を祈り、あなたがたを侮辱する者のために祈りなさい。
あなたの頬を打つ者には、もう一方の頬をも向けなさい。上着を奪い取る者には、下着をも拒んではならない。
求める者には、だれにでも与えなさい。あなたの持ち物を奪う者から取り返そうとしてはならない。(ルカ6:22.27~30)


この命令は、すべてイエス様が世で経験された道程であるから真実なのである。
ののしられてもののしり返さず、苦しめられても人を脅さず、正しくお裁きになる方にお任せになりました。(Ⅰペテロ2:23)

憎まれて世から追い出され、無実の罪で十字架にかかり、敵を愛し、鞭打つ者のためにとりなして祈られた。
「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」彼らは、くじを引いて、イエスの着物を分けた。(ルカ23:34)新改訳

上着も下着も奪う者に与えて何も取り返すことをせず、癒しを求める者すべてを癒された。
今私たちはイエス様のご生涯を知って居る。イエス様が全部経験してくださったことであるから、みことばを生きる時に慰めと力が備えられているのだ。主はご真実である。
選ばれた弟子であるユダは従うことなく滅びを選んだ。誰であっても自分の選びによって約束のものを得るのである。

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