石ころ

航海中 2016年8月15日




 ペルセウス流星群を見損ねた昨夜、あるいは1つや2つの流れ星は見られるかもと玄関を出ると、リリリリ・・と虫の音、一度っきりだったけれどうんざりするような暑い日が続いている中で、小さな秋の気配に心が緩んだ。
でも、残念ながら外灯が眩しくて星はよく見えなかった。昔、放射状に流れる無数の星をひとり見入ったことがあるのだけれど・・。

 今日は郵便局まで歩いて、ついでにスーパーまで足を伸ばした。炎天下に出歩くのは久しぶりだった。カボチャに・・冷たい缶ビールをつい買ってしまったのでちょっと重くなってしまった。
往復とも人っ子ひとり出会わなかった「この暑いのに歩かないよ~」帰り着いて動きが止まると、汗がどっと吹き出して来た。それでも運動が出来て満足だけれど・・。


 パウロは囚人としてイタリアに送られるときその航海の危険を警告した。けれど誰も聞く耳を持たなかった。目の前の状況と専門家の言葉によって彼らは進んで行ったのだ。
パウロの忍耐は此処にある。命の危険を警告しても、最悪の事態になるまで世が耳を貸すことはない。わかっていながら、命が危険にさらされる次第を共にすることになるのだ。

クリスチャンの忍耐も此処にある。しかしパウロでなくても主に在る者がそこに居るということは、主が近しく居てくださるということである。
私たちにパウロの信仰が無くても、キリストの十字架の御わざに拠って、主の一方的なご真実に拠ってキリスト者の内には救い主が居てくださる。周りの人にまで救いの及ぶ主が居てくださる。

だれでも、イエスを神の御子と告白するなら、神はその人のうちにおられ、その人も神のうちにいます。(Ⅰヨハネ4:15)

ただ、てんでに自力によって逃げ出さないように、ボートの綱を切り落とし完全に主の御手に委ねる必要がある。共に救いを受けるために、主を知る者はその明確な指示をしなければならないのだ。

ところが、水夫たちは船から逃げ出そうとして、へさきから錨を降ろすように見せかけて、小舟を海に降ろしていたので、
パウロは百人隊長や兵士たちに、「あの人たちが船にとどまっていなければ、あなたがたも助かりません。」と言った。
そこで兵士たちは、小舟の綱を断ち切って、そのまま流れ去るのに任せた。(使徒27:30~32)


パウロたち276人の髪の毛一筋も失われることはなかった。と書いてある。
キリスト者は、みことばを丸ごと信じて時に家族の命を掛ける者である。そういう意味で今平凡な日々も航海中であり、毎日が聖日である。

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