すると突然、主の御使いが現われ、光が牢を照らした。御使いはペテロのわき腹をたたいて彼を起こし、「急いで立ち上がりなさい。」と言った。すると、鎖が彼の手から落ちた。
御使が「帯をしめ、くつをはきなさい」と言ったので、彼はそのとおりにした。それから「上着を着て、ついてきなさい」と言われたので、
ペテロはついて出て行った。彼には御使のしわざが現実のこととは考えられず、ただ幻を見ているように思われた。(使徒12:7~9)
この直前に、ヘロデ王は見せしめとしてヤコブを殺している。この時ペテロは自分の死が近いことを知っていたはずである。それでも、牢を照らす御使いの光にも気づかないほどに、熟睡していたなんて・・。眠りの浅い私にはびっくりするような記事である。
ペテロの眠りは、完全に主にいのちを委ねた者の眠りだったのだと思う・・。彼はすでに自身のいのちを捧げていたのだろう・・。
だから、御使いは熟睡している彼のわき腹を叩いて起こされた。なぜわき腹なのだろう・・私は十字架のイエスさまが、わき腹を槍で刺された箇所を思い出した。
「しかし、兵士のうちのひとりがイエスのわき腹を槍で突き刺した。すると、ただちに血と水が出て来た。」(ヨハネ19:34)
ペテロは立ち上がるように言われ、真理の帯を締め、福音の靴を履き、神が着せて下さったあがないの上着をつけて、御使いの導きに従って牢から出て行った。
ペテロは命じられたら即座に、しかし恐れて逃げるように出るのではなく、命じられたことをみな行ってから出て行った。
御使いが離れていったときペテロは我に返ったとある、そう、ここからはペテロ自身が自分で歩くのだ。
共に主を喜ぶために、弟子たちが集まって祈っていた家の戸を叩いたとき、ペテロの声に驚いた女中は戸を開けもしないで、ペテロが帰って来たことを知らせた。けれども、弟子たちは「あなたは気が狂っている」なんて言う。
弟子たちが信じていたのはペテロの死であろう。どんな祈りをしていたとしても・・。
私たちの古い頭の中では、いつも現実が幅を利かせていて、祈りとの間に大きな乖離がある。
古い脳みそは信仰を罵る。「気が狂っているとしか思えない」と、「あまりにも愚かだ。」と・・。私たちはこのような古き賢さと、新しくされたいのちの確執を常に内に抱えている。
ペテロは戸を叩き続けた。
イエスさまも私たちの戸を叩き続けて下さる。「信じない者にならないで、信じる者になりなさい。」「求めなさい。そうすれば与えられます。」と・・。
そうして、「共に食事をしようではないか、主の豊かさをともに味わい喜ぼう」と・・。
「見よ。わたしは、戸の外に立ってたたく。だれでも、わたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしは、彼のところにはいって、彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。」(黙示録3:20)
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