石ころ

祈りは愛の喜び 2016年8月20日




 息子と聖書を開いてのひととき・・、その後「良い行いについて」話しあう。
彼はみことばを思い出し、「ちょっと待って此処に・・」と聖書を繰りだした。そのことばはなかなか見つからなかったが、
それで良いと止めた。「イエスさまのおことばを探す」それが正解だと思ったから・・。

彼が「仕事までに完全に癒されますように」と祈った時、私ははっと気付いた。ほとんど癒されてあることが事実なのに、「もっと完全に」と求めるのはちょっと違う・・。

癒しは主の御わざだけれど、それを受けるのは私たちの信仰。「癒されたことを感謝します」と、信仰によって病気のしっぽを切り落とさないと、ずるずると何時までも付いてくるのじゃないかな・・、なぜなら「あなたの信仰のようになる」と書いてあるから。

 癒しは祈りに応えてくださる主の御わざ。ただ、天地創造の主に拠らない祈りでも癒されることはあるらしい。しかし、イエスさまに祈って癒されるのでなければ何の意味もない。それは死を待つ時間が少々延ばされるだけのことだから・・。
それに、イエスさまの癒しにはもっと大きな喜びがある。それはお交わりにある愛の感動、主に愛されていることを経験する喜びである。

神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。(ヨハネ3:19)

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