長男から少なからず待っていたメールが来た。マネージャ試験に合格したという知らせ。
「学生時代を通じて、かってないくらい勉強をした。」と、続いていた試験の無事終了したことを先日知らせてきていた。
彼は今で言うイクメン。幼い娘が風邪でも引こうものなら、ひと晩中でも抱いて部屋をウロウロと歩き回っている。
疲れているだろうにと見かねて「そんなにしないで、少しくらい泣いても寝かしておいた方がいいよ。」と忠告をすると、「眠りたいけれど、しんどくて眠れないんや。」と、父ちゃんの胸に頭を保たせてぐったりとしている娘を、大切そうに抱きしめる。
嫁さんが「そんなふうにするから、私が一人の時本当に困るよ。」って苦情を言おうが、彼は腕の中で娘の寝息を聞くまでは離さない。私はまったくお手上げだと、孫の成長を待つしかないと思ったものだった。
そんな日々の中で頑張っていたのだろう・・。
合格という言葉は、過ぎし日の彼らの入学試験や就職試験を思い出すが、その度に私は確かに主に祈ってきた。
けれどもそれは単に合格祈願ではなく、主がその事に関与して下さるようにという祈りだった。今回も同じだった。
先のことは何も分からないから、取りあえず目の前の問題を取り除いて下さいと願ってしまうけれども、主は決してそのような解決は与えなさらないことを知っている。
だから、その主がみこころのままに介入して下さるようにと願う。
結果がどうであろうとも、主が御目を留めて下さってのことなら、それこそが永遠に至までの祝福、それこそが喜び。
そんな私は、結局とってもとっても欲張りなのだろう。でも、主の御旨によっての合格であればなおさら感謝、それには安心が伴っているもの。
先の見えない世の中で、家族を抱えて生きていくことは決して簡単なことではない。懸命ながんばりを必要とすることもある。彼は寡黙で必要な言葉しか話さないし、言い訳もしない。良くまあ、あれで大都会で勤まるものだと思うこともしばしば・・。
「合格したらお祝いをするよ」と先日言っておいたから、メールには、
「特にお祝いとかしなくてもしなくてもいい。みんながんばってることだしね。」と書いてあった。
読むなり主人と、「此処に頑張っていないのが二人居るよ。」と笑った。
最近では教会に通うこともなく、献金をすることも奉仕をすることもなく、毎日、ただ、主の祝福の牧場に侍り、豊かな養いをうけるばかり・・
以前はこんな生活をしていると罰せられるのじゃないかと、心の深いところで恐れていたなぁ。主をよく知らなかったからだろう・・。
だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。(マタイ6:33)
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