石ころ

罪人の客 (ルカ19章)




 私のミニミニ菜園にはキュウリ、茄子、春菊、インゲンが揃った。今年はトマト苗を買い損ねてしまって残念・・。
どれもこれも仕入れるのが遅くなってまだ花も咲いていない。でも、みんなとても元気で日がな一日眺めても飽きることがない。

今では、主人が畑に入り浸りになっていた理由がわかる。それらは日に日に成長していて、少しずつ嵩高くなっている。
一番早くに蒔いたインゲンだけは沢山の花が咲いて、小さな小さな刀のような実を付けだした。うふふ「早く大きくなれ」と、暇人がしゃがみ込んで葉影までのぞき込む。
胡麻和えと、天ぷらと、煮物と、あと何にしよう・・。

 油菜さんに頂いたアジサイ・アナベルが、沢山の蕾を付けてとても楽しみ!
去年お隣さんに「きれいやね」とほめられたから、張り切っているのだろう。植物って確かにほめられると元気になる。
剪定で乱暴に扱ってしまったサツキは失敗した。去年とは打って変わって花が少なく少し病んでいた。ゴメンね。


 今日の聖書箇所はルカ19章のザアカイさん。
彼はイエスさまを「見よう」と走って行って木に登った。背が低くて群衆に邪魔され見ることができなかったからだ。

それで、イエスを見るために、前方に走り出て、いちじく桑の木に登った。ちょうどイエスがそこを通り過ぎようとしておられたからである。(ルカ19:2~3)
イエスは、ちょうどそこに来られて、上を見上げて彼に言われた。「ザアカイ。急いで降りて来なさい。きょうは、あなたの家に泊まることにしてあるから。」
ザアカイは、急いで降りて来て、そして大喜びでイエスを迎えた。(ルカ19:5~6)


「ちょうどイエスが通り過ぎようと・・」「ちょうどそこに来られて」
イエスさまを求めて自分の出来る事をした者に、主は出会いの時を備えてくださる。その絶妙のタイミングに「これは、主に拠ること」と知るのである。

背の低いザアカイのそうした行為は子どもっぽく思えて絵になるが、ザアカイは取税人の頭だからそれなりの権威を持っている者である。
その彼が一瞬子どものように走り、人目をはばかることもなく木登りをしてイエスさまを見ようとしたのだ。

イエスさまがザアカイに目を留められたのは、ただそのことによるのである。
イエスさまに「急いで降りてきなさい」と命じられ彼は、高い所から急いで下りて来て喜んでイエスさまを家にお迎えした。
この一瞬にザアカイは生まれ変わり生き方は一変した。彼は集めた金を罪の償いに使うと言った。

これを見て、みなは、「あの方は罪人のところに行って客となられた。」と言ってつぶやいた。(ルカ19:7)

彼は罪人と呼ばれていた。職を利用して水増した税を徴収していたからである。
そのようなザアカイの家に入って行かれたイエスさまを人々は非難した。罪人の友は罪人だと思ったのだ。

そう、事実イエスさまは罪人の身代わりに罪人となられ、その罪ゆえに御父にまで十字架の上で捨てられ、罪人を罪の重荷から解放してくださった。

「わたしはあわれみは好むが、いけにえは好まない。」とはどういう意味か、行って学んで来なさい。わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招くために来たのです。(マタイ9:13)

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