ノアは神様の命じられたようにした。そして家族ごと救われ、神様の計画は成った。そして私たちもその救いを受けている。
昔、ノアがお金持ちだったと聞いたことがあるが、お金持ちを神様が用いたのではない。神様は必要を満たす神様である。卑近な例だけど私はそのことを体験している。だって神様を人が助ける必要なんてないと思うから。
膨大な材料を準備する事は、金持ちでもできないことがあるけれど、神様にはできる。膨大なヤニが必要だったと思うけれど、それを木から流し出すことは神様にはわけもないこと。ノアに事をさせたのは神様であって、ノアの力には拠らないと思う。
すべては、ノアは「はい」と答え「すべて神の命じられたようにした」ことに拠ると思う。その時、ノアは自分を見ることはなく、自分の家族が救われる者に相応しいかどうかと悩んだり、ヒューマニズムに悩むこともなかったと思う。
神のことばだけを握って、その日その日のなすべき事を夢中になって、働いていたのだと思う。出来上がってゆく箱船の姿は大きな喜びだったろう。
神の計画を行う時は、すべてがスムーズに着々と進むだろう。神の計画を邪魔することなど何ものにも出来ないことだから。すべての動物の後を追いかけ回す必要もなく、彼らは自分で乗り込んできた。救われる者と裁かれる者とを切り離されたのは神様、神様が箱船の戸を閉められた。
ノアがすごいから、神様の計画が成ったのではないと思う。神様に拠って成ることだから、私にだって、時に神様のことばに「はい」とお答えして、「すべて神の命じられたようにした」時、神様の計画が私にも成るとイメージしていたい。
「それは人にはできないことですが、神は、そうではありません。どんなことでも、神にはできるのです。」聖書
コメント一覧
石ころ
こじゃり
最新の画像もっと見る
最近の「Weblog」カテゴリーもっと見る
最近の記事
カテゴリー
バックナンバー
人気記事