石ころ

道案内 2016年8月26日




 久しぶりのウオーキング。突然目の前をかすめる影があり、路面すれすれに飛び降りて前を行くのは「あ・・イソヒヨドリ」この鳥は人を恐れない。
それにしても・・からかうように前を行く「此処までおいで」

しばらく行くと次は黒い大きな羽を広げて、またも地面すれすれに飛び降りて来たのはカラス、目の高さをばっさばっさと羽の音がするかと思うほどに近く飛ぶ。
エリヤを養う助けをした聖書記事から、私はカラスに勝手な親しみをもっていている。「以外に大きいなぁ・・」そんなことを思いつつ、面白いので右に行くカラスの後に付いて行った。

道を大きく曲がってカラスが姿を消した瞬間、目の前に現れたのは乱舞するトンボの群れ。取り囲むように上に下に無数に飛び交って・・、「一体今日は何が起こっているのだろう?」あっけに取られて立ち止まってしまった。

その時、眼下に黄色と緑の見事なグラデーションが広がっていた。田毎にそれぞれに稲穂は青海波模様に色を少し変えて波打っている。
「なんてこと!」暑い暑いと閉じこもっている間に、なぁんだ・・秋は来ていた。


 約束の民イスラエルのこと、終末のこと、千年王国のことについて学ぶことから逃げていたと気付いた時、主は知ることを導いてくださっている。
私が信仰に入ったころは出掛けて行って近しく聞くか、本を買って読むくらいしか学ぶチャンスはなかった。その範囲はとても限られていたし、お金もかかることだった。

しかし、今は驚くほどに知ることの手段が備えられている。年寄りであっても家に居ながら学ぶこともできるのだ。同じ箇所を繰り返して聴くことも許される。
昔、何も知らない私がインターネットを非難した時次男に、「インターネットは素晴らしい道具だ。切れ味の良い包丁みたいなもので、それは使う人の問題だ。」と怒られたことがあった。今、自分でそれを使っているのだから・・何が起こるかわからない。

それにしても今私たちが叫ぶ時、こだまのように直ぐに応えられる備えはそれだけ時が迫っているのではないか・・、あまりにもすべての展開が速いと感じる。
何時に変わらぬ豊かな実りと澄んだ空の下の穏やかな風景を見る時、今日も平和だ安全だとつい居眠りをしたくなるのだけれど・・。


 宗教者の妬みによってキリストを十字架でさらし者にして殺したことは、サタンには勝利の様に見えただろう。しかしそれは人の罪をあがなう、主のご計画の成就であった。
今また、異邦人に対するイスラエルの妬みによって、選びの民の救いが完成しようとしている。
妬みという人のネガティブな力さえも、主には良き道具として用いることができるのなら、人が恐れるものは、ただ造り主なる神だけである。「人には出来ないことが神には出来るのです。」ハレルヤ!

もし、私たちがこの世にあってキリストに単なる希望を置いているだけなら、私たちは、すべての人の中で一番哀れな者です。
しかし、今やキリストは、眠った者の初穂として死者の中からよみがえられました。(Ⅰコリント15:19~20)


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