今朝はデボーションを少し置いて、パラリンピックの開会式を見ていた。
聖火を運ぶ女性が転んだ。会場はその時「許しと助け」の応援が満ちていた。
それは一分一秒を争う金メダルの応援とはまったく違って、すべての国の人々を一体とする応援だった。
聖火は引き継がれたが、突然の激しい雨が降ってきた。降りしきる雨の中を男性は微笑んで、聖火を掲げた車いすでゆっくりと走った。
そうして車いすは立ち止まった。聖火台は高い階段の上にあった。
此処でも、会場の一体感が画面からも感じられた。どうやってこの階段を登って行くのか・・しかも降りしきる雨の中で。
この時私は気付かされた。転んでも良いのだ。聖火が消えるようなことが起こっても大丈夫なのだ。皆で許しているから・・、皆で助けるから・・、アクシデントが起こればそれだけ一体となれるのだから。悪いことなんて何も無いということに・・。
困難と思える中で男性の微笑みは少しも変わらなかった。その微笑みが会場を力づけていた。男性を微笑ませたのは、助けるべき備えを知って居たから・・。
どんな人でもどんな困難の中ででも、それがあったら人は微笑むことができるのだ。
階段にはスロープが現れ、彼はそのスロープを力強く登って行った。スリップすることもなくとても安定して力強く・・。
そうして聖火が灯された。
雨はより激しく降って、聖火が雨の中できらめいていた。すべての汚れを洗うかのように・・、
「ああ、祝福されているなぁ・・」そんな感動が残った。
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