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石ころ

聖霊と悪霊



 「聖霊を汚す者は永遠に赦されない。」とイエスさまは言われた。
それは、イエスさまを解き明かすお方を否定することにより、キリストを知ることができなくなるからであろう。聖霊の働きは、イエスを主とする告白を導くことだからである。

 イエスさまは弟子たちを悪霊を追い出す権威を持たせるために、身近に置かれたとある。
「そこでイエスは十二弟子を任命された。それは、彼らを身近に置き、また彼らを遣わして福音を宣べさせ、悪霊を追い出す権威を持たせるためであった。」(マルコ3:14~15)

悪霊を追い出すための条件は、イエスさまの身近に居る者であること。彼らが恐れるのはイエスさまだけだから・・。その働きは、唯一イエスさまの権威によるのであり、イエスさまという衣が剥がれたらミイラ取りがミイラになるように、彼らの住み家を設けることになるだろう。

どんな時も、イエスさまの回りに座って居ることができるのは、今は聖霊の導きによるのであり、その者こそ神の家族であるとイエスさまは言われる。

すると、イエスは彼らに答えて言われた。「わたしの母とはだれのことですか。また、兄弟たちとはだれのことですか。」そして、自分の回りにすわっている人たちを見回して言われた。「ご覧なさい。わたしの母、わたしの兄弟たちです。(マルコ3:33~34)


 「彼は、ベルゼブルに取りつかれている。」と言い、「悪霊どものかしらによって、悪霊どもを追い出しているのだ。」とも言った。(マルコ3:22)
 「あいつは悪霊に取り憑かれている」と罪定めすることは魔女狩りの昔からあることで、イエスさまでさえもこのように訴えられたのであれば、その方法は悪いものの常套手段なのだろう。彼は嘘つきであり、訴えるものなのだから。

聖いか汚れたものか、霊のそれは肉の目には判別出来ない。それは見かけに現れるものではなく、霊の奥深くに隠れていることだから。
むしろ偽ることの上手い悪しきものの方が、人の目には清らかにも見え、麗しくも好もしく見えるのである。

しかし、いつも聖霊によってイエスさまに馴染んでいる者は、悪しきものを嗅ぎ分けることができる。それは、単純なことであって「私の知っているものではない」という直覚によってである。

今、混迷の世では、めまぐるしく姿を変える悪霊の働きに心を騒がせることなく、また、彼らの訴えに言い訳をする必要もなく、いかなる時もイエス・キリストの十字架に安息して居ることだと思う。

そこは、すべての訴えから完全にキリスト者を守る完璧な砦なのだから。
此処でイエスさまを指し示しつつ待とう・・「主よ。来て下さい。」と。

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