アナニヤとサッピラの記事には、人はあまり深入りしたくない気持ちになる。少なくともその大半を捧げた彼らであり、少し残して置いたとしても、それによって死刑に処せられるほどのことか・・という疑問があるから。
正直であればあるほど、自分の中にそのような弱さや取り繕いが存在することを、人は認めないわけにはいかないから・・。
しかし此処で重大なのは、彼らを通してサタンの仕掛けが、聖霊による交わりに入り込んできたということである。
イエスにある交わりは聖別されなければ大きな働きは出来ない。神の働きを妨げるものは、直ちに取り除かれる必要があるから、彼らは即座に葬られた。
サタンの誘いに乗って、良いこと(誰に・・)を行へという誘惑は非常に多い。それは巧みは罠だと思う。
自由な清い捧げ物に、気兼ねや嘘や取り繕いが入り込んだとき、その関係には裁きや、疑念が入ってくるだろう。それこそまさしくサタンの働く所となってしまい、その後の聖霊の働きを完全に妨げることになってしまう。
たとえ、アナニヤとサッピラが即座に殺されなかったとしても、聖霊を欺く者は必ず滅びるのだから。
人はどんな罪も冒涜も赦していただけます。しかし、聖霊に逆らう冒涜は赦されません。人の子に逆らうことばを口にする者でも、赦されます。しかし、聖霊に逆らうことを言う者は、だれであっても、この世であろうと次に来る世であろうと、赦されません。
(マタイ12:31.32)
彼らのこの捧げ物の計画がどのように生まれたのか、その動機が死を招いたのだと思う。たとえそれが良いことに思えても、神より発しているということが大切であり、わずかなことでもサタンの思惑が入り込むことを警戒するべきなのだと思う。
殉教を遂げる信仰と聖霊に満たされたステパノは、やもめの食事係に任命されていた。
家事に明け暮れる身であっても、日々のすべての事に信仰を働かせて、聖霊によって導かれなければ私たちは何も出来ないのであり、ひとつ一つそれは神より発したことであるかと問い続けることが必要なんだと教えられた。
使徒行伝5:2~10
ところが、アナニヤという人は、妻のサッピラとともにその持ち物を売り、
妻も承知のうえで、その代金の一部を残しておき、ある部分を持って来て、使徒たちの足もとに置いた。
そこで、ペテロがこう言った。「アナニヤ。どうしてあなたはサタンに心を奪われ、聖霊を欺いて、地所の代金の一部を自分のために残しておいたのか。
それはもともとあなたのものであり、売ってからもあなたの自由になったのではないか。なぜこのようなことをたくらんだのか。あなたは人を欺いたのではなく、神を欺いたのだ。」
アナニヤはこの言葉を聞くと、倒れて息が絶えた。そして、これを聞いたすべての人に、非常な恐れが生じた。
青年たちは立って、彼を包み、運び出して葬った。
三時間ほどたって、彼の妻はこの出来事を知らずにはいって来た。
ペテロは彼女にこう言った。「あなたがたは地所をこの値段で売ったのですか。私に言いなさい。」彼女は「はい。その値段です。」と言った。
そこで、ペテロは彼女に言った。「どうしてあなたがたは心を合わせて、主の御霊を試みたのですか。見なさい、あなたの夫を葬った者たちが、戸口に来ていて、あなたをも運び出します。」
すると彼女は、たちまちペテロの足もとに倒れ、息が絶えた。はいって来た青年たちは、彼女が死んだのを見て、運び出し、夫のそばに葬った。
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